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2011年08月03日

夢や希望までも奪われた!=福島から脱原発を発信!原水禁福島大会

ヒロシマ・ナガサキの原爆投下から66年。「被爆66周年原水爆禁止世界大会(原水禁大会)」が、福島第一原発事故を受けて、7月31日15時から「福島から声を上げ、大きな行動に結びつけていこう!」と脱原発を実現をめざすことを確認し福島市でスタートした。原水禁大会は4日から6日まで広島、7日から9日が長崎、11日に沖縄でそれぞれ大会が開かれる。

福島駅前・辰巳屋ホテルの600人が入る会場には、県民集会のデモ行進を終えた参加者850人が押し寄せ、通路に座る人、会場の外で聞いている人でいっぱいになった。

主催者を代表し、川野浩一大会実行委員長(原水禁議長)は「私たちはこれまで『核と人類は共存できない』と、原発にも反対して長く運動をしてきたが、今日の事態を招いた。取り組みが弱かったことを反省しなければならない。残念でくやしい」とし、「広島・長崎の被爆者は66年間闘ってきたが、それがこの福島でもはじまる。ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ、『ノーモアフクシマ』と叫ぼう」と呼びかけた。

福島県実行委員長の竹中柳一さんは、「車でここまできたが、これまでと風景が変わった。原発から40㎞にわたって、食べ物を生産できない大地が広がっている。福島県民だけの問題ではない。これ以上、被ばくのある世界を作ってはならない」と訴えた。

大会の基調は、藤本康成事務局長が行い、「今年の大会は福島を皮切りに、広島、長崎、そして沖縄大会へと続けていく。それは原発も基地も合意なき『国策』として地方に押しつけ、一人一人の命を軽んじてきたからだ。再び被ばく者をつくらないという原点に立ち返って、しっかり生きていける、命を脅かされない社会にするために運動を広げよう」と提起した。
 
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福島現地報告として、原発建設当時から反対してきた双葉地方原発反対同盟の石丸小四郎さんが、「福島全体が病み苦しんでいる。530件あった修学旅行は30件になった。学校の校庭では高い線量の放射能を子どもたちに押しつけている。農業者などの自殺者も増加している。夢や希望までも奪われた」と、切実な実態が語られ、「福島からメッセージを発信しつづける!」と決意を述べた

ジャーナリストでありノンフィクション作家の鎌田慧さんが「原発体制を越えて、人類の未来へ」と題して講演した。
鎌田さんは、「気が重い」と述べ、「原発に反対してきたが事故を防止するまでの力になっていなかった。なんでもっと全力を尽くさなかったのかと思っている。とにかく何かやらなくては」と強調した。
また、5月初旬に南相馬までまわったことを述べ、「見るも無残な風景。田んぼは昨年刈り取られたところが腐っていた。人間的な風景が死に絶え、沈黙していた。この責任は誰がとるのか!」と指摘した。
その上で「一日も早く原発を止めることは私たちの義務で任務だ!と力を込めた。さらに、「どうして福島に東京電力の原発が作られたのか。中央が東北へ押しつけたからだ。これまで原発が作られた所は、反対運動が負けてきた所だ。原発は巨大な利権でできている。しかし、その危険性と、何万年もかかる廃棄物処理を考えると、コストは膨大だ。もう世界は脱原発に転換している。私や大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さん、落合恵子さんなどが呼びかけている『さようなら原発1000万人アクション』の署名や、9月19日の5万人集会に参加してほしい」と呼びかけた。
 

連帯メッセージ「ふたたびヒバクシャをつくるな!」では、長崎で原爆を被爆した長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会・奥村英二事務局長が「福島を含めすべての被ばく者の健康管理に国の責任を求めるべき」と述べ、1954年にビキニ環礁で被ばくした元第五福竜丸乗組員・大石又七さんも「マーシャル諸島の島民はいまだに甲状腺ガンを発症している」と、内部被曝の危険性を話した。

また、ロシアから来日した、チェルノブイリ原発事故の被災者支援をするアントン・ブドビチェンコさんは「今も被害が続いているが、事故が風化しようとしており、語り継ぐための博物館を建てた。これからは福島の皆さんとも協力していきたい」と話した。
 

最後に、福島大会アピールで「豊かな自然とすこやかな『命』を守るために、ここ福島から声を上げ、大きな行動に結びつけよう」と、を採択して終了した。



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