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2011年08月03日

帰りたい、でも帰れない=原発のない福島を求める県民集会

「戻りたい、はたしていつの日か戻れるか、放射能降り積もるわがふるさと~帰りたいでも帰れない♪」悲しいうたごえが雨の福島に響いた。


7月31日日曜日、初めて福島県で開かれた被爆66周年原水禁原水爆禁止世界大会に先がけ、復興支援・脱原発コンサートではじまった「放射能のない福島を返せ!原発のない福島を求める県民集会」に、県内や国内外から1700人が福島市内のまちなか広場に集まった。
多くのマスコミも駆けつけ集会の内容を必死に取材していた。翌日の新聞報道は、1面に大きく取り上げる北海道新聞、社会面で報道するところなど、大小、各社さまざまなのはどういうことだろう。福島第一原発の大きな事故の影響を考えれば1面に載るのが妥当なはずだ。まだマスコミに対して大きな力が働いているのだろうか。


放射線量が高い数値を示す福島駅前

会場は、JR福島駅から5分くらいの駅前通りに面したところだ。途中、脱原発をめざす人たちがビラを配り署名の協力を訴えていた。
福島県内で福島市内はまだまだ放射線量が高い地域だが、タンクトップをきた子どもたちが、まるで何事もなかったかのようにお母さんと手をつなぎ歩いている。


県民集会は13時からはじまり、主催者を代表して福島県平和フォーラムの竹中柳一代表は、「3月11日以来、福島は言いようのない苦しみと不安の中におかれている。福島県民の上に、28万人の子の上に、大量の放射性物質が降り注いだ。多くの人々が大地を失う過酷な現実にさらされている。先祖から受け継いだ広大な水田や畑が汚染され放置されたままになっている。『原発で手足ちぎられ酪農家』。自殺した酪農家が残した悲痛な俳句だ。収束のために必死に働いている福島県民もいる」と強調した。また「原発がもたらす悲劇を、身をもって証明した。原発が10基もある福島県に住んでいる私たちの責任は、ここで生まれた子どもたちが安心して成長できる原発のない、きれいな大地の福島を取り戻すことだ。そのために、すべての福島県民が結集する第一歩として全国に発信しながら豊かな福島を取り戻そう」と、力強く訴えた。

原水禁国民会議の川野浩一議長は連帯あいさつで、「今回福島第一原発の事故を受けて、私たちが原発にどう向き合うか問うために、福島からスタートすることになった」と述べた。その上で「原水禁は一貫して『核と人類は共存できない』と核兵器と同様に原発に反対してきた。原発事故は人災であることは免れない。二度と原発事故を、そしてフクシマを繰り返してはならない」と脱原発を呼びかけた。
 

現状報告で、高濃度の放射性物質を検出し、計画的避難区域に指定された飯舘村の青年を代表して佐藤健太さんが、「避難で村民がバラバラになったが、『負まげねど飯舘!』を立ち上げ、放射能汚染の責任を問い、事故を風化させない活動をしている。原発から30キロ以上離れ、何の交付金ももらってない。原発は安全と言うよりむしろ無関心だった」と述べた。「今、未来にむけて希望の種をまくことだ。村の女子高生が『将来、子どもが産めるのか』と悩んでいる。私たちは目に見えない放射能という津波に飲み込まれ、もがき苦しんでいる。村の大先輩が、『原発ができる時に、本気になって命がけで反対しなければならなかった。次世代に大きなつけを残してしまった』と涙ながらに後悔していた。その姿を見て、今大人が、命がけで本気になって未来のために行動しなければ次世代に大きな負の遺産を残し、一生後悔することになる。みなさんの力を貸してほしい」と訴えた。

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また、双葉郡浪江町が警戒区域になって、南相馬市に避難している教員の吉田博正さんも、「通勤は往復160キロ。妻は失業し、子どもは転校。生活に不安がある。これまで反原発の運動をしてきたが、だから言ったじゃないかと言いたい。早く家に帰りたい。『がんばれ』と言うが、どうがんばれば原発が収束するのか、奪われた生活がもどってくるのか。こんな現実でも、まだ原発にしがみつくのか!原発事故の被害者は、私たちで最後にしよう。今日にでも大きな地震、津波があるかもしれない。今こそ脱原発!」と切実に訴えた。

郡山市の松本徳子さんは母親の立場から「福島に原発が10基もあることを知らなかった。クリーンで安全と聞かされ、そう思っていた。事故後、私に何ができるのか、何をやらなくてはならないのかインターネットで勉強した。中学生の娘を東京の妹の所に預けている。しかし、避難できない子どもも多い。健康が心配でならない」と述べ、「私は大人として子どもを守り、線量の少ないところに送りたい。娘のためになんとかしてやりたい、ただそれだけ…」と涙ながらに報告した。
 
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次に、今後の運動の提起を福島県平和フォーラム・原利正事務局長が行い、自治体での「脱原発」に向けた意見書・決議の採択、全国1000万署名とともに、「福島県民の命を守りふるさとを取り戻すための署名」活動を独自に行うことや、来年3月11日の1周年に大規模な取り組みを行うと提起した。

最後に「『ノーモア・フクシマ』を胸に刻み、私たちは新たな時代を福島の地で切り開き。世界の先駆けとなる福島をつくるために、みんなの力を結集しよう」と集会アピールを確認した。
 

集会後、参加者はデモ行進で、「放射能のない福島を返せ」「福島に原発はいらないぞ!」「子どもたちを放射線から守れ!」「県民の生活と仕事を守れ!」などとシュプレヒコールで市民に訴えた。

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海外の参加者


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