2012年10月15日
今の生活を絞ることが必要。便利とは人間がさぼること=さようなら原発北海道1万人集会
10月13日に札幌市大通西8丁目広場で開かれた「さようなら原発北海道1万人集会」を詳しくご紹介します。
集会では、呼びかけ人の倉本 聰さん、雨宮処凛さん、西尾正道さん、小野有五さん、麻田信二さんのほか、上田文雄札幌市長らも駆けつけ意見を述べた。
小野さんは「日本海の海底活断層あるのが最近分かった。1993年の南西沖地震。奥尻で230人が亡くなった。あのときの活断層が少し東だったら、泊原発を直撃した。代わりに奥尻の方が犠牲になった。生き残った私たち。北海道と子どもの未来のため一日も早く廃炉にするため大きな声上げていこう」と呼びかけた。
西尾さんは「3.11以降生き方を考えることに直面した。医師として放射線の知識は全部原子力を推進する内容で教育された。放射能の影と裏を学んだ。とんでもないウソと隠ぺいで原子力政策を進めてきた。今年の夏場は乗り切った。何とかなる。放射線は見え見えない。浴びることで遺伝子に傷がつく。こういう世界はシャットアウトしたい。泊原発で事故が起こったら小樽・札幌では住めないし、北海道は全滅する。後悔先にたたず。健康な生活保てるよう生活を見直して原発を止めるようにしてほしい」と訴えた。
上田市長は「3.11原発事故で、原発は圧倒的に安全だと聞かされていたものがそうではないことを身をもって感じ、今こそ立ち上がらなければ、友達・愛する人たちの生活・命を守れないことが証明された。札幌市議会で国に原子力に頼らないとする決議を満場一致で可決した。192万人札幌市民の総意だと国へ要請した。政府の考え方が不明確。声がしっかり届く行動をするべきだ。多くの市民が声なき声を伝えようと立ち上がってる。民主主義の回復を私たちの手でなしとげなければならない。経済界は原発が再開されなければ国民の命に関わると言うが、本当に考えているのか。原発が動かなければというのはない。私たちは節電という大きな力を持っている。電気を作るのではなく使わない努力に限界まで頑張る必要がある」と述べた。さらに「今までも北海道は厳しい寒さを乗り切ってきた。北電は敵ではなく大事な企業で尊敬される企業になければならない。政府が脱原発というなら前倒し、電力・エネルギーの専門家と一丸となって努力することを求めたい。小さな力を結集して大きなエネルギーへと転換する。肩寄せ合って、電力をどう使うか実現することが試される。社会を鍛えなおす時間にし、連帯して安心して子孫が北海道で生活、豊かな文化をはくぐむ社会を実現していこう」と力強く連帯のあいさつをした。
雨宮さんは「原発は怖いと思いながらも何も表現してこなかった。無意識に原発に賛成していたんだと反省している。意志表示しないことが原発社会を賛成していることだと。被爆と貧困は根深いもの感じる。日本の原発の資源は海外から輸入している。残りかすは、劣化ウラン弾などの兵器に変化するシステムに矛盾を感じる。手続きが非民主的。民主主義なら原発は作れない。3.11以降直面した矛盾。自分も当事者だ。3.11をきっかけにして勉強する人も多い。行動しなければ変わらないと気づき、全国でデモの動きが広がっている。政府が無視できないようにするしかない。官邸前のデモに参加している。国会議員も来て訴えている。そこには、色々な国のメディアや大使館からも来ている。日本人が原発再稼働を許したからだと怒っている。原発事故で世界の海を汚し、再稼働で他の国の人たちは日本に疑問をもっている。世論も8割が脱原発。全国の人が立ち上がり、日本の民主主義は崩壊していない。もっと世界中にアピールすべき。黙っていることがどれほど恐ろしいことか。後悔したくないからデモに参加する人が増えている。よりましな社会に近づく一歩ために、これからもデモに参加する」と強調した。
倉本さんからは「3.11から1年7カ月。あの頃二度と原発は嫌だといっていた人の間でも温度差が出ている。この差は何なのか。脱原発を言ったはずの民主党は大飯原発再稼働を容認した。大飯原発が再稼働するまで日本で原発は動かなかった。支障なく生きていのに、安全という第二の神話のように再稼働した」と指摘した。さらに「この前以上の地震・津波、テロがあったら。放射能が漏れることは誰でも想像できる。それを想定できない人間は想定外という言葉を使ってはいけない。議員・科学者は想像力が不足している」と批判した。
また「3.11の原発事故を昔のレコードに例えると、A面は地殻変動。つまり地球システムの変動。それが地震・津波の発生。それは人間にとって都合の良いように天災・災害といった必然的に起きる。災害の起きた場所は美しい。だから住みたがる。世界自然遺産は全部地球の変動の後。B面は原発事故。解消方法を見つからないゴミをだす。それを将来の人が何とかするだろうと見切り発車したどうしようもない話。国会で原発ゼロの会が発足し、民主党議員が多く自民・公明は少数。民主党に疑問感じるが、自民に政権がいったらどうなるのか怖い。原発ゼロの会のロゴマークを作った。原発ゼロ希望する議員はポスターに貼ってほしい。今度の選挙は原発の是非を問う国民投票選挙だ。なぜこんなに経済ばかり重視されるのか。理解できない」と述べた。
最後に「現在、私たちは二つの岐路に立っている。1つは、今の豊かさを捨てられないから原発必要。今の生活が必要だから原発リスクを負う覚悟を持つこと。1つは原発いやだから不便になってもいい、昔に戻ろうということ。若い人たちは昔に戻るのが怖い。1970年代に戻った時、エネルギー消費量2/5になる。全世界の消費量の平均値。再生自然エネルギーというが、供給者の話、利用者側で考える必要あるか。つまりどう節電することだ。義務として事業仕分けする必要ある。今の生活を絞っていくことが必要だ。便利とは人間がさぼることで、便利さを文明という。昭和43年に大気汚染防止法、45年水質汚濁防止法ができたが、両方とも原発・放射能は除外されている。不思議な話。なぜか、国策として原子力発電に頼り、除外は理解できない話だ。絶対に原発は反対、なくしたい」と訴えた。
その後、札幌市内のパレードを行った。パレードでは、仮装や横断幕・プラカードを持った参加者が「脱原発」や「さようなら原発」を訴えた。
パレードのようすを写真でご紹介します。
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