「沖縄・辺野古新基地建設阻止運動」北海道団の報告
※追加部分はページの一番下にございます。
●日程と行動内容
北海道平和運動フォーラムは、沖縄視察として12月19日から12月21日に辺野古沖や米海兵隊「キャンプ・シュワブ」ゲート前などで建設阻止行動および基地・戦地巡りを主催し、道本部からは3名、計18名が参加した。本行動は沖縄平和運動センターと連携し、参加者はガイド役の沖縄平和運動センター事務局次長である岸本喬さんとともに行動した。
期日 | 行動内容 |
19日 | 16:00 沖縄・那覇市内入り17:00 北海道団団結式、報告「沖縄の現状について」および日程説明報告者 岸本喬さん(沖縄平和運動センター事務局次長)
18:30 北海道団交流会 |
20日 | 8:20 集合8:30 出発① 名護市「辺野古テント村」座り込み行動
② 「辺野古新基地建設」海上視察行動 ⇒悪天候により中止 ③ 「キャンプ・シュワブゲート前」新基地建設阻止行動 ④ 「高江ヘリパット建設」阻止行動 17:30 帰着 18:00 沖縄平和運動センターとの交流会 |
21日 | 8:50 集合9:00 出発「基地・戦地めぐり」ガイド 岸本喬さん(沖縄平和運動センター事務局次長)
① 「普天間基地」視察嘉数高台公園・展望台 移動中 返還跡地視察~沖縄戦米軍上陸地視察 ② 嘉手納基地視察(嘉手納道の駅) ③ 昼食・休憩 ④ アブチラガマ(沖縄戦追体験) ⑤ 平和祈念公園(資料館、平和の礎) ⑥ ひめゆりの塔 17:00 帰着・解散挨拶 長田秀樹さん(北海道平和運動フォーラム事務局長) 岸本喬さん(沖縄平和運動センター事務局次長) |
≪12月19日≫
12月19日、那覇市・沖縄平和センターで北海道団結団式が行われた。そこでは沖縄平和運動センター事務局次長である岸本喬さんが、座り込み阻止運動の場所や現場の状況、第一水域の拡大、刑事特別法の存在など、「沖縄の現状」を訴えた。
≪12月20日≫
われわれは名護市内の辺野古テント村および米海兵隊キャンプ・シュワブゲート前、東村高江の2か所で雨のなか座り込み阻止行動を行った。
●辺野古テント村・米海兵隊キャンプ・シュワブゲート前
辺野古テント村では、ヘリ基地反対評議会共同代表の安次富浩氏が「世論のバックアップによって我々は頑張れる。夏には政党関係なく差し入れなどをいただき、さらに、翁長雄志沖縄知事からもゲート前でエールをいただいた。政治と大衆運動が密接不可分に結びついているのが沖縄のいいところ」と語り、今回の衆議院選挙の結果もあわせ、沖縄が一丸となって新基地建設反対を願っていることを訴えた。
●CAMP SCHWABゲート前座り込み行動
辺野古テント村から車で5分のところにCAMP SCHWABのゲートがある。ここでは24時間、市民らが交代で座り込みを実施している。
「国策に抵抗する者は、死んでも構わないというのか」、2014年7月31日、沖縄新報が社説でそう示した“殺人鉄板”は健在だった。綺麗な国道沿いを走る資材搬送車の「泥落とし」という理由で沖縄防衛局がこれを設置した。この上でもみあいが起これば非常に危険だ。市民は「抗議行動の抑止が目的であることは明らか」と主張している。
ゲートにむかって左手にあるブルーのテントで座り込みが行われている。
テント内では、沖縄民謡を交えた決起で盛り上がったほか、うるま市具志川九の会共同代表・仲宗根勇さん、映画「標的の村」の監督・三上千恵さんらが駆けつけ、厳しい情勢を踏まえたうえで、沖縄の現状を全国へ伝えていきたいと訴えた。また、北海道平和運動フォーラム・長田秀樹事務局長も座り込みを行っている市民にエールを送るとともに、北海道団としても北海道と沖縄とが相互に連携をとりながら粘り強く活動していきたいと述べた。
●「高江ヘリパット建設」阻止行動
次に、われわれは、東村高江へと移動した。高江は名護市街地から東に車を1時間走らせた所に位置し、貴重な原始林が残っている場所だ。ここでは市民がヘリパッド―米軍のヘリコプター離着陸帯―建設に反対し、座り込みによって抗議している。ガイド役の岸本喬さんは「市街地から非常に離れた場所であり、来るだけでも一日仕事である。1週間ほど泊まり込みで抗議活動をしたこともあり、現在は資材搬入口に車をおいて建設を阻止している」と述べ、高江での抗議活動の厳しさを訴えた。
しかし、依然として根気強い阻止活動は続いており、「ヘリパッドいらない住民の会」が発行している小冊子『Voice of TAKAE』では、座り込み運動の必要と協力を呼び掛けている。この「住民の会」は当該冊子のなかで「防衛局は高江区による2度のヘリパッド決議や関係機関への計画見直し要請があったにもかかわらず、2007年7月2日、強硬に工事を開始。われわれに残された手立ては座り込み運動しかない。高江は小さいが住民の約2割を子どもが占めている集落だ。その高江はすでに22のヘリパットをもつ米軍北部訓練場と隣接しており、さらに集落を囲むように新たなヘリパッドが6つ造られようとしている。それは豊かな生態系を破壊するだけでなく、騒音や墜落によって住民の命を危機にさらすものである」と述べており、戦争にむかう日本の現状に関心を持ってもらうとともに「何かを決めるとき、7代先のことを考えて決める」というアメリカ先住民の言葉を引用して”選択すること”の重要性を説いている。
≪12月21日≫
地球儀の形をした宜野湾市・嘉数高台公園展望台からは普天間基地を望むことができる。普天間基地を囲むように住宅が立ち並んでおり、展望台から基地にむかって右手すぐに沖縄国際大学がみえる。ガイドの岸本さんは「沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したとき、米軍は墜落現場を封鎖し、日本人を追い出し、警察や消防すら入らせなかった」と当時を振り返り、法的枠組みによって日本が従属的立場に立たされていると述べた。
●嘉手納基地視察(嘉手納道の駅)
「道の駅かでな」の展望台から東アジア最大の米軍拠点・嘉手納基地が一望できる。ここではガイドの岸本さんから、おもいやり予算で作られた米軍内建物のことや、米軍機の飛行によって日本の飛行機の安全性が脅かされていることなどの話を伺った。
●アブチラガマ(沖縄戦追体験)
南部観光総合案内センターにて糸数アブチラガマ入壕の受付をし、アブチラガマへとむかった。この案内センターは、戦争の惨禍の記憶を風化させないために結成された地元ボランティアによって運営されている。
アブチラガマは自然洞窟(ガマ)である。それは第二次大戦時、戦場が南下するとともに避難場所から負傷兵が運ばれる陸軍病院へと用途を変えた。そこには軍医・看護師・ひめゆり学徒隊・慰安婦などが配属され、全長270mのガマを一度で最大1000人が利用したといわれている。ガイドの岸本さんは「“ガマをみて、当時を想像してみてください”という人もいるが、それは難しいことだ。想像を絶する惨状のはず。二度と戦争を繰り返さないよう活動していきましょう」と述べた。
●平和祈念公園(資料館、平和の礎など)、ひめゆりの塔
平和記念公園のなかにある平和の礎(いしじ)は、戦後50年目にあたる1995年6月23日に建立された。平和の礎は屏風の形をしており、計118基、海に面した平和の広場を中心に放射線状に配置されている。これは打ち寄せる波をイメージして造られた。「“平和が沖縄から、波のように広がっていくように”という願いをこめてデザインされたもの」とガイドの岸本さんはいう。石碑には国籍・民間人・軍人に関係なく沖縄戦で命を落とした人々の名前が刻まれている。韓国の碑には空白が目立っており、朝鮮半島からの強制連行・慰安婦問題の根深さをここからも感じられた。
最後にわれわれは糸満市・ひめゆりの塔、白梅の塔に立ち寄り、若くして亡くされた命に黙とうをささげた。
追記!◎特集・おりがみdeジュゴン◎
辺野古テント村を訪問したさい、おりがみで作られた「沖縄のジュゴン」をいただいた。とてもかわいらしく、参加者の興味を引いた。このような報告の機会をいただいたので、”サンゴが育つジュゴンの海を守ろう”との意を込めて、おりがみジュゴンの折り方をここで紹介したい。
おりがみジュゴンの折り方→doc12032920150115170927
辺野古の海は生物の多様性が高く、自然保護上きわめて重要な海域である。マングローブやクマノミ城、珊瑚類、そしてジュゴンの餌となっている海草藻場などが共存している。海草藻場にはジュゴントレンチ―ジュゴンの食べ跡―も確認されており、野生ジュゴンの生息域となっている。
それにもかかわらず、米軍新基地は辺野古の海の約3分の2を埋め立てて造られる計画だ。「サンゴが育つジュゴンの海を壊すな!」と多くの住民は訴えている。
皆で団結して、辺野古の海を守りましょう!