被ばく70周年原水禁世界大会は、2015年8月4~6日に広島大会、8月7~9日に長崎大会が開催され、北海道からは広島大会に93人(うち子ども18人)、長崎大会に30人(同5人)が参加しました!
≪広島大会≫
広島大会の幕開けは、平和公園資料館から広島県立体育館までの「折り鶴平和行進」です。
行進の後、体育館で行われた開会総会には約3400人が集まりました。
主催者あいさつに立った川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)は森滝市郎元原水禁議長の言葉『核と人間は共存できない』が原水禁運動の出発点であると述べたうえで、「安倍政権は安全確保もされぬまま再稼働をする人命軽視の政権だ。プラハ演説もむなしく核兵器の廃絶もできていない。ヒバクの広め、核兵器禁止条約の成立を早急に進めたい」と改めて決意を表明しました。
その後、広島県被団協の切明千枝子さんから『被爆者の訴え』が行われました。「小学生のとき、旗を振りながら兵隊を見送った。私は神風が吹いて日本は必ず勝つと教えられ、それを信じる軍国少女だった。しかし高校生になり勤労動員されたさい、資源や材料などなにもないのに武器や軍服を作るよう指示された。『こんな状態で勝てるのか?』と疑問を口にしたとき、先生から『戦いに疑問をもったら憲兵に殺されるぞ』とひどく叱られた。その後、8月6日を迎え、まさに地獄のよう。誰とも判別のつかない級友たちが次々と目の前で亡くなっていった。」と本当の戦争の姿を語りました。
5日には午前と午後で分科会が行われました。
午前に行われたテーマは『福島原発事故と脱原発社会の選択』についてで、265人が集まりました。原発事故の被害が今後長期にわたることや、再生可能エネルギーへの転換の必要性について講師陣から語られました。
午後に開催された分科会「『ヒバク』を許さないつどい」では、「被爆」の苦しみと被爆者援護法の勝ち取りなど、たたかいの経緯が述べられ、ヒロシマ市民の会の木原省治さんは「フクシマの被ばく問題に関しても、当事者意識を持って、積極的に取り組んでいかなければならない」と参加者に呼びかけました。
6日に開かれた原水禁国民会議結成50周年記念シンポジウムの様子です。
会場には700人が集まり、『ノーモア・ヒバクシャ』の声とともに広島大会の全行程が終了しました。
≪長崎大会≫
長崎大会は8月7日に長崎ブリックホールで開催され、開会総会には1800人が参加しました。
主催者の川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)のあいさつでは、「仙台原発が再稼働され、多くの屍に上にある平和憲法が壊されようとしている。戦争も原発も同じ根源だ。苦しみを引きずりながらなぜ原発を保持しようとするのか。NPT再検討会議の対応も問題がある。東北アジア非核兵器地帯条約案も早急に調印・発行すべき!」と述べられました。(左写真は開会総会の高校生平和大使による『長崎からのメッセージ』の様子。)
つづいて、海外ゲストのベーベル・ヘーン議会議員(ドイツ・緑の党)から「フクシマの原発事故はドイツを変えた」と代表者あいさつが行われたあと、特別企画『福島の祈り』(講談)が講談師の神田香織さんによって行われました。神田さんは、「たたかいは明るく楽しくしつこく行っていきましょう!」と述べ、福島原発さえなければ・・・という現地住民の悲痛な思いや体験を語りました。(右写真:神田香織さん)
8日午前には分科会「強制連行と被爆を考える」、午後にはフィールドワーク「被爆遺構めぐり」が行われました。
「強制連行と被爆を考える」では、長崎大学の髙實康稔名誉教授により講演が行われました。髙實さんからは、日中戦争時の中国・朝鮮人に対する強制連行についてや、そういった人々が被爆し、帰国後に生じた「在外被爆者」問題から「402号通達の廃止」までを取り上げ、「原爆の悲惨さや核兵器の廃絶のみを訴えるのではなく、国は加害者意識を持ち、責任をしっかりとるべき」と述べました。
(左写真は「402号通達」廃止に貢献したカク・キフンさん)
午後のフィールドワークでは、長崎市内の遺構を巡り、原爆のすさまじさと悲惨さを感じました。
爆心地周辺の地中には、未だ遺骨が埋まっているという事実に対し、参加者からは、「埋まっているとわかっているのになぜ掘り出してあげないのか?」との質問が寄せられたが、あらゆる団体・組織が遺骨収集を国に訴えているも聞き入れない現状が語られました。
2200人が集結した閉会総会終了後には、体育館から爆心地公園まで「被爆70周年・非核平和行進」が行われました。
その後、爆心地公園で献花を行い、原爆が投下された11時2分には黙とうをささげました。