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朔風プレミアム アーカイブ

2007年11月19日

【朔風プレミアム】小沢一郎の研究

先週の朝日新聞に小沢一郎民主党代表(以下「小沢代表」)の単独インタビューなるものが3面に掲載されていた。特に、目新しい話は見当たらなかったが、気になったのは大連立について「最大の方策で、自分の政治判断は今でも正しいと思っている」としている点だ。

続けて「みんなが望まないのだから捨てる以外にない」といっている。つまり、自分としては今でも大連立について間違った選択ではないのだと吐露しているのだ。ますます小沢民主党の危うさを感じとった有権者も多いだろう。

大連立とは、いうまでもなく自民党と野党第一党の民主党が連立政権を構成することである。野党といえば共産党、社民党そして国民新党という極少数勢力という状況である。この巨大与党の出現で日本の政治や国会はどう変化するのか想像してみて欲しい。

おそらく、与党間の政策協議でこの日本のすべての法律が作られることとなろう。国会議論におけるオープンな議論は形骸化し、国会は、単なるお喋りの場と化す。

果たして、こうした政治の構図が、小選挙区制に基づく政権交代をめざす小沢代表の持論とどこでどう整合性があるのか、まったく理解しがたい。仮に、総選挙で民主党が躍進したとして、これを「政権交代」と呼べるのだろうか。

私のなかで小沢代表への疑念はますます深まる。

彼はよく自分は「東北の農家の出身」といっているが、調べてみると、彼自身は中学まで山形は水沢で住んでいたが、その後は東京育ちで、しかも、大学卒業後も院生となり、社会生活を経験することなく父親の急逝により27歳の若さで代議士となった。

農家は祖父が営んでいたが、小沢代表の父は農業ではない。弁護士から東京府議会議員そして代議士となった。なので小沢は子供のころまで祖父のもとで「農家で生活」したことは事実だが、農業の経験があるわけでもなく、果たして「農業の出身」といえるかどうか。イメージは相当食い違う。

次なる疑念は先般の雑誌「世界」11月号の小沢論文である。「国連決議があれば、武力行使を含んでも憲法に抵触しない」「ISAFへの参加もありうる」とした。さすがに、これには驚いた。

それからもうひとつ。これはかなり前のことであるが「日本改造計画」(93年5月、講談社刊)で、彼は「全国の300の『市』に」することを打ち出していた。一斉に自治体の現場から批判が相次いだ。非現実的かつまったく自治体の現場を無視した乱暴な主張としかいいようがない。

ともあれ、「ねじれ国会」は最低3年は続いていく。総選挙で民小党が勝てば解消できる。例え勝たなくとも「ねじれ国会」での論戦を通じて民主党の政策的な優位性を示すことで、次第に政権交代に向けた有権者の機運が高まるというものではないか。「大連立」は百害あって一利なし。(@)

2007年11月22日

【朔風プレミアム】消費税のからくり

消費税率の引き上げがニュースサイトを賑わしている。政府税調が3年ぶりに引き上げを明記、自民党の「財革研」は10%程度とする報告書をまとめ、時期も2010年代半ばとした。

自民党が引き上げ幅や時期を示すのもおそらく初めてだろうし、共通するのは消費税を社会保障の目的税とする「社会保障税」に変更しようとしている点だ。

安心と信頼の年金制度の確立が焦眉の課題となっている。今や年金財源に税金を投入すること自体は正しい選択といえるかもしれない。

だが、問題はそれを消費税に収斂させるやり方には納得できない。保険料は、年収に対して比率でかかる仕組みだが、消費税は必ずしも収入に比例して高くなるわけではない。

総務省の家計調査によれば、家計収入に占める消費(反対は貯蓄)の平均は71.2%。この傾向は収入が高い家庭は減少し、低い家庭へ増大している。
ということは、消費税は収入の低い家庭に厳しく、収入の高い家庭に優しい税制だということになる。一見、平等・公平に見える消費税だがこうおしたからくりを見抜いておく必要がある。
www.stat.go.jp/data/kakei/2006np/index.htm

社会保障に使う財源だからいいよ、などと短絡的に考えてしまってはこの自民党の戦略にまんまとはまってしまう。税制全体の見直しと公平性の確保が求められる。

自民党は、小泉-安倍は含みを残しつつも消費税は封印。福田になって急に動きが出てきた。今年は「まだ早い」というが、09年度は基礎年金の国庫負担割合割合の引き上げが予定される。

やや気になるのは、民主党はこの消費税の引き上げを否定していないことである。せっかっくの「ねじれ国会」である。消費税問題で事実上の「大連立」になるようなことがあってはならない。

2007年12月03日

【朔風プレミアム】まやかしの「賃上げ」

経団連、春闘「賃上げ」に積極姿勢

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071202-00000101-yom-bus_all

この話は、まやかしだと思う。経団連は、昨年も同じような「積極姿勢」だったが春闘の賃上げ相場はほとんど横ばい状態だった。
大手の妥結結果(経団連調査)
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/048.pdf
中小の妥結結果(経団連調査)
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2007/062.pdf

つまり、1.4~1.9%台の引き上げが行われたというが、これは、旧来の定期昇給つまり「賃金体系維持分」とされるもので、会社の人件費の支払い=賃金の原資の増加を伴う正しい意味での「賃金の引き上げ」ではない。

個々の労働者にとっては増えるのだが会社の支払いは基本的に増えないというトリックなのだ。この賃金体系維持分を相殺するとほとんど0.1前後の引き上げであろう。

旧来の定期昇給は成果主義賃金制度の導入に反比例して減少した。しかし、制度としては廃止したものの、年功的な賃金制度は引き継がれた。

全体としてみると昇任や成果にともなう「賃金体系維持分」が「賃上げ分」として定義されている。それが、上記の経団連の集計した数字の正体である。

しかも、「引き上げ」は昔のように横並びでなくなっているので、賃金の格差が拡がっているが現実である。業種では自動車や食品繊維は上昇率が高いが、鉄鋼、紙・パルプ、化学などは低い。地域間の格差も無視できない。

この格差は、さらに業種内部の格差も拡がる。景気のいい自動車でも、今年はトヨタや日産は、賃金体系維持分含め7000円から8000円の「引き上げ」だが、その他の会社はほとんど1,000前後、ゼロ回答もある。
自動車産業の賃金引上げ状況
http://www.jaw.or.jp/act/act4_2_200706.html

さらに、問題なのは、このような集計の対象は、正規労働者の話であり、派遣、請負、パート等非正規労働者は、賃金体系そのものから除外されているので「賃金の引き上げ」を実体験することはほとんどない。

自治体労働者も地方財政の動向に賃金制度が翻弄され続け「賃金の引き上げ」からはある意味で排除されているといってもいい。

しかし、会社の景気がどうあろうとまた地方財政がどうあろうと、差別され不当に安い賃金を押し付けられている人間自身がまず立ち上がらなければ、何も前に進まないだろう。

(@)

2007年12月17日

【朔風プレミアム】健全化して地域崩壊

自治体財政健全化法の基準値を総務省が公表したが、こんな国のやり方では、地方財政の危機はむしろ拡大するだけで、自治の現場はただただ混乱するだけではなかろうか。

健全化法の特徴は、病院などの一般会計とは別の事業会計も含めた連結決算の赤字額によって新たに再建団体を指定するところにあるのだが、赤字の背景や原因を探らずして、ただ財政指標だけで「健全化」を促しても地域の医療は崩壊するだけではないのか。

いったい、何のための誰のための「健全化」なのか。まったく理解に苦しむ。しかも、夕張市の場合を持ち出すまでもなく、仮に総務省が決めた基準で再生に乗り出したとしても、その赤字の解消はまったくの「自己責任」であって、国は一円たりとも財政面で支援しない。

もともと、今の地方財政の危機は、国が誘導して膨らんだものである。バブル崩壊後の景気対策で、国は公共事業に補助金をつけ、借金をさせ、自治体に実施させた。その借金返済にどこも窮しているのだ。

借金分は交付税に算入という話だったが、2004年の交付税大減額で返済は苦しくなっている。まるで詐欺まがいの事態といっていい。

残念ながら、この健全化法の適用を前に、道内自治体はこの基準値を超えないように人件費をはじめてとしたリストラ策を軒並み打ち出している。

しかし、多くの自治体の場合、人件費を大幅に削減して住民の負担を求めても、財政が好転しないばかりか、悪化しているのが現実なのだ。

国は基礎自治体の集合体の上になりっていることを忘却している。住民に身近な公的なサービスを担う自治体が財政的に悲鳴を上げているのに、国はただ傍観するだけなのだ。

いや、国の財政赤字の対策に「健全化法」という錦の御旗をたてて、再び地方財政を動員しようとしているだけではないのか。

根は深い。

(@)

2008年01月01日

【朔風プレミアム】勤務時間の短縮

12月31日の読売新聞は人事院が2009年から現在の1日の勤務時間8時間を15分短縮して7時間45分にすると報じている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071231-00000003-yom-pol

人事院が固めるにしても今夏の勧告だけに、時期的には早すぎる。憶測記事の範囲をでていないと考えなければならない。

だが、人事院は昨夏、短縮の実現を明確に打ち出していたし、なんとしても現実のものにしなければならない課題といえる。

人事院の過去2年間の調査によれば、民間事業所の勤務時間は1日15分、週1時間15分、官を下回っていた。

公務員の労働条件は、民間準拠が原則なので時間短縮は当然といえるのだが、こと勤務時間や休暇は「官先行」だった。週休2日制は渋る銀行業界をリードしたし、その後民間に完全週休2日制が広がったのも実は「官」や「公」の導入が誘因となっていた。

もっとも、これは所定内労働時間の話で、実際の労働時間はサービス超勤の蔓延で深刻な問題を惹起していることはいうまでもない。

残念ながら、道内は条例で明記されていたにもかかわらず「国準拠」を理由に勤務時間が延長された自治体が少なくない。

勤務時間の延長という時代の流れに逆行した「助言」を徹底する総務省や道庁の姿勢もおかしな話だが、その「助言」をうけとめる首長にも哲学は感じられない。

この報道記事が、現実のものとなるよう春闘期から人勧期にかけて運動の強化が必要である。そして、すべての自治体で短縮に向けた交渉を開始しよう。

(@)

2008年01月26日

【朔風プレミアム】暫定税率廃止と自治体財政

ガソリン税の暫定税率を今後も維持するのか廃止するのか、ガソリンは1円でも安い方がいいに決まっているが、なかなかこの問題は根が深い。

揮発油税、つまりガソリンを入れるたびにかかるリッターあたり約50円の税金。この税率の本則約24円が決められたのが1954(昭和29)年、今から54年前。これに約倍の暫定税、が決まったのがそれからちょうど29年後の74(昭和49)年である。

田中角栄が日本列島改造計画をもちだし、全国津々浦々に道路が建設され整備されていくことになった。それからすでに34年、道路は当時と比べ物にならないくらい立派になった。

どんな田舎道も埃の立つ砂利道を車で走ることはない。もちろん、まだまだ整備が必要な道路が道内でも多くあることはいうまでもない。

道路が立派なのはもちろん、この道路特定財源、とりわけ暫定税率のお陰なのだが、問題はまず第一に政府与党がいうように、今後もこの倍の「暫定税率」を10年も維持しなければならないのかどかという点が議論されなければならないと思う。

つまり、道路をどこまでつくるのか。自治体にとってもっと優先すべき行政サービスの分野があるのではないか、限られた財源をどう有効に活用すのるか、といった自治体政策上の議論が深められなければならない。単に、ガソリン税を維持するかしないかという問題だけではないということである。

次に、廃止された場合、自治体財政にどれほどの影響がつまり財源不足が生じるかということをきっちっと把握しておくことが重要となる。

自治体の予算編成は、すでに来年度のこの道路財源を見込んで編成しているので、仮に年度末で廃止されると、直ちに自治体予算はその前提が崩れ大混乱してしまう。

地方への道路財源は、新規のみならず、その維持管理、除雪そして道路建設にともなう借金の返済にまでも使われている。この収入が見込めないとなるとその財源を他から充当しなければならない。

道路特定財源は、総額5.6兆円、内地方分は2.2兆円。暫定税率分は国、1.7兆円、地方1.0兆円となっている。

この地方分が前述のような使用状況にあるのだが、逢坂誠二衆議院議員によれば、民主党は自治体財政には1円の迷惑もかけないように現在ミクロの代替案を検討して、近々国会に法案として提出する予定という。

マスコミは、「ガソリン国会」などと面白おかしく書き立てているが、民主党の基本的な姿勢は、まず、この不透明な道路特定財源の一般財源化にある。詳しくは、以下の民主のウエブサイトを参照していただきたい。
www.dpj.or.jp/news/dpjnews.cgi?indication=dp&num=12440

つまり、自治体が自由に使える財源に切り替え、その上で暫定税率を廃止する。結果としてガソリンが約25円程度安くなるということなのだ。これは、地方分権一括法以来の大改革につながる提案ともいえる。置き去りにされた地方税財源のありかたを根本から変えていく。

そこで、この自治体分2.2兆円の民主党の代替案は、今のところ、①国の直轄事業負担金の廃止=約1兆円、②道路財源の余剰金=約1兆円、③株の譲渡への課税=6000億円という内訳で「マクロ」であるけれど、具体的な検討が進んでいると逢坂議員は説明する。

さて、次の問題は国会情勢である。政府与党が譲歩せず、3月末までに、この暫定税率維持を盛り込んだ租税特別措置法案が成立しないと、4月1日午前零時をもって暫定税率が失効してしまうことになる。

すると、消費者はガソリンが直ちに25円安くなるので歓迎なのだが、自治体財政は、前述のような大混乱となる。これは最悪のシナリオといわなければならない。

「60日ルール」といわれるように、テロ特と同じように参院へ法案が送られ60日が経過すると否決したものとみなすという憲法の規定があり、今度は、衆議院で3分の2以上の賛成がないと成立しない。

この奥の手を再び使うのか、使うとしても4月1日を越えてはいけないと与党は考えている。

民主党が衆院でも多数であれば、道路財源は一般財源化され、それこそ地方には交付税としてこれまでの道路財源相当分が交付されてくる。

しかし、現実は民主党が政権を担っているわけではない。「ねじれ」国会である。道路財源にかかわる関係法案だけを分離して議論できればいいが、そんな土俵に与党が乗るとも考えにくい。

民主党は、この問題をガソリン税の25円問題に矮小化することなく、地方分権一括法以来の財政分権改革ととらえ、しっかり代替案をミクロに詰めて、早期に国会へ法案として提出、世論に訴えるべきだろう。この作業はまごまごしていられない。

急を要する

結局のところ、のちのち「ガソリン税解散」といわれるような解散総選挙を実施し、政権の交代を実現することがなによりの「代替案」かもしれない。道路特定財源への民意を問うのだ。自治体にとっても一番わかりやすい。

(@)

2008年02月03日

【朔風プレミアム】母べえの時代

山田洋次監督、吉永小百合主演、「母(かあ)べえ」を観た。なぜか涙が止まらなかった。

正月に観た「続三丁目の夕日」の時もなぜか顔がくしゃくしゃになった。この時は、ポップコーンをつまんだしょっぱいティッシュで涙を拭いた。

今回は、持ち込んだ「カツサンド」についていた濡れティッシュを使ったら、顔中ソースだらけになった。


治安維持法下で思想や学問の自由が奪われ、拘置所で無残な日々を送る「父べえ」。どうすることもできない国家権力とその時代に対する悔しさか。

いや、拘束された夫を信じて疑わず一途な愛に生きる妻佳代。次々と襲う不幸な出来事へ力強く気丈に生きようとする強さへの感動か。

こみ上げてくるものをこらえてもこらえきれない。

「三丁目に夕日」は自分の育った時代背景とほぼ重なっていたが「母べえ」はまさに日本が第2次世界大戦に突入する戦時中の話、われわれの親や祖父母の時代の物語である。


原作は、野上照代の「父へのレクイエム」。彼女は1927年生まれ。敗戦の年18歳。「自分の少女時代のことを書いた作品」(雑誌「世界」2月号)という。

12月8日の太平洋戦争開戦のラジオニュースが流れていたので13歳からぐらいの時のことである。

彼女の父は、日大の教授時代、戸坂潤らの唯物論研究会に入っていた。研究を目的とした団体だったが「思想的によくない」ということで、32年に大学を追われる。

山田監督は前出の「世界」で、この研究会の講演会に丸山真男が参加したことがあり、その場で逮捕されたというエピソードも紹介している。

治安維持法は、23年、関東大震災を契機に成立した法律だか、その後幾度か「改正」を重ね、事実上の「体制批判」を事前に取り締まる悪法と化していく。

映画では、佳代が獄中に差し入れる書物を大学時代の恩師に借りにいくシーンがある。

恩師は「悪法も法だ」といって、教え子を批判する。佳代は「あの人がどんな悪いことをしたというのです」と応じる。失望して、一緒にいった照べえとすぐ家を出る。

この場面は山田監督によると、哲学者久野修が恩師との間で実際にあったやりとりをヒントにしたようだ(前出「世界」)


さて、佳代は、夫が拘置所に入りなかな釈放されない。ある日突然、「死亡」の電報。絶句する。

それにもめげず、代用教員として働きながら二人の子どもを育てる。やがて、終戦。しかし、まもなく、結核で亡くなる。


映画の最後のシーンは、病室で息を引き取る間際の照べえとは母べえの会話。

照べえは「あの世で父べえにやっと会えるね」と手を握り締め話しかける。

聞き取れないくらいの小さな声で母べえは「生きてて、父べえに会いたかった」

照べえは、泣き崩れ、幕が下りる。


戦地では、飢餓で死んでいく兵士がいる、国民は食糧難だというのに、特高警察の幹部は、すき焼きを食べ酒を喰らうシーンもある。

危機だ、危機だと叫びながら、大企業は大儲け、格差が拡大し、官僚と政治家は腐敗のきわみ。為政者は自分たちの意に反するものは、議論抜きで圧殺する。

時代は、変わった。しかし、底流に流れる民主主義の否定は今日もなお形を変え続いている。

いい映画だった。

(@)

2008年02月24日

【朔風プレミアム】「食」と「農」

地下鉄の中吊広告、「日能研」学習院中等科の入試問題。

食料自給率を上げるために私たちができることのひとつに「食べ残しを減らす」ことがある。その理由を考えよ、というもの。

これには、参ってしまった。「食べ残さない」は小さい頃からしつけられた食事のいわば作法のようなものだが、その理由は「もったいない」あるいは「農家への感謝の気持ち」または「そんなに食べたら腹壊すよ」というようなもので、どうして自給率と関係があるのかと自問してしまった。


降参して、解答をみると「食べ残してむだになる食料が減れば、必要以上の食料を外国から輸入することもなくなるから」というのだ。
www.nichinoken.co.jp/sikakumaru/mondai/f_mondai_01.html

なるほど、そうかもしれない。だがよく考えてみると、食べ残しても、スーパーに戻したり、レストランにその分引き取ってもらったりはできないので、結局「食べ残し」は「消費」と同じ意味なのではなかろうか。

だから、食べ残さないためには、必要以上の買い物をしないということがより正解に近いような気がする。

24時間スーパーが開き、大量の食材が季節感なく店頭から消えることなく消費者を誘い続ける。売れ残りも相当な量だろう。

そして「安いもの」をとことん求める消費者と食品産業。その結果、国内で十分賄える食料さえも国際競争から排除され、中国やタイから大量に食料が輸入される。

こうした「食」と「農」の分離が日本の食料自給率を39%にまで押し下げたばかりか、棚田が消え、ムラを解体に追い込んでいる。

「食べものを残さない」は間違いではないと思う。しかし、この問題の本当の答えはこれ以上の「農」の解体を進めない、ということだろう。

オーストラリアとのあいだで交渉が進む農産物の関税撤廃など「農」を市場原理主義の呪縛から解き放つことだと思う。
(@)

2008年02月29日

【朔風プレミアム】中国冷凍食品の残留農薬

■「捜査共助できないのか」 中国側否定に閣僚ら不快感=北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/78886.html


警察庁は事件性を強調するが、この可能性は低いと思う。問題は中国の農産物に対する農薬の使用の甘さにあるのだと思う。

このことは、2月24日の北海道新聞の社説が指摘しているが、ここに問題の背景と本質的な原因があるように感じてならない。やたら「反中国」を煽ってもなにも変わらない。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/77894.html?_nva=28

つまり、農薬や殺虫剤は餃子の製造過程で混入したのではなく、餃子をつくるための原材料にもともと付着していた残留農薬ではないのか。

社説にあるように、中国は2002年のほうれん草問題以降、直接的な野菜の輸出品には検査を厳しくしたが、加工食品向けの野菜は、検査がいき届かないという。

餃子は、いうまでもなく豚肉にキャベツ、にんにくなどの野菜を混ぜ、それを小麦でつくる皮で包む食べ物。

この加工食品用の出荷野菜や小麦の残留農薬、中国の農家の使用の濃淡もあろうが、相対的に濃度の高い材料で作った餃子が「事件」につながった可能性が高いと思う。

中国は、これを機会に、加工向けの農産物の検査と農薬の規制を一層強め、日本は、事件性を強調するのではなく、加工食品の農薬検査体制を強化すべきだろう。

さらに、食品輸入業者も独自の検査を実施し、安全な製品管理に努力することだ。

それにしても、食料の多くを中国に頼る日本の台所。人間の生命を育む大事な食料を市場原理にゆだね、そして海外に依存するというこの発想を政府も企業もそして消費者もおおいに考え直すべき時ではないだろうか。
(@)

2008年03月07日

【朔風プレミアム】社会横断的な賃上げ

福田首相は経営側に「賃上げ要求」を求めているという。

曰く、「企業も、給与を増やして消費が増えれば、より大きな利益を上げることにつながる。給与引き上げの必要性は経済界も同じように考えているはずだ」

これはちょっとのん気というか森を見て木を見ない発想で、マクロの話としては正しいかもしれないが、実際はここ数年の春闘の結果をみると、賃金が上がっているのは大手企業の従業員だけで、圧倒的多くの労働者は横ばいか減少しているのが現実である。

だから、給与を増やす、すなわち賃金の引き上げは、昔のように社会横断的に働く人全体に波及しなければ消費は増えないし、企業の売り上げも期待できないのである。

今年も自動車などほんの一部の大企業では「賃上げ」が期待できるかもしれない。だが、今や春闘はかつての広がりは期待できない。大手の賃上げが中小に波及しなくなった。いや、自動車や電機など大手の産業内にさえ波及しないのだ。

それだけではない。消費の後退は定率減税の廃止とか社会保険料引き上げとか物価の高騰など自民党政治の政策的な誘因によるものである。

もっとえいば、労働分野の規制緩和の結果としての日雇い派遣に象徴される雇用の改悪・非正規雇用の拡大が構造的な消費の後退を生み出した。

これだけ所得格差が拡大するとパートの時給とか最低賃金の引き上げとかミクロの労働分配率の引き上げが実現しないととても経済全体の好転には寄与しないだろう。

正規と非正規の待遇の均等化と格差の是正、そして労働者全体に波及する賃上げこそ求められているように思う。 そして、消費の拡大と経済の回復は政治の果たす領域が極めて大きいことを知るべきである。
(@)

2008年03月21日

【朔風プレミアム】KY

組織内の国会議員によれば、福田総理は完全にKY(空気を読めない)、政策判断も遅い という評判が永田町を駆けめぐっているという。

その背景としては「伊吹幹事長と国対方針がバラバラ」「町村官房長官と総理、幹事長が不仲 」・・・
ということらしい。

福田総理の知恵袋が与謝野馨前官房長官というのだからなんとも頼りがいがない。暫定税率廃止問題でも、日銀総裁人事にしても、福田内閣は間違いなく迷走を続けている。

支持率も30%を切るのは時間の問題だろう。「4月危機」説を強調する政治評論家も多い。

サミット後などといったんは遠のいたと思われた解散総選挙が案外前倒しでやってくるかもしれない。

(@)

2008年04月01日

【朔風プレミアム】「混乱」の深層

ガソリンの暫定税率が3月末に期限切れとなり、25.1円引き下がる。満タンにすると約1000円前後浮く計算だ。外食一回分である。われわれ庶民にとってこれは大いに歓迎すべきことであろう。

福田首相は、口を開けば「混乱」「混乱」と野党を批判するけれども、混乱しているとすれば野党の主張に歩み寄らない、妥協という民主主義の基本を忘れた自民党の責任が大きい。

戦後日本の政治のほとんどの時期を政権政党として君臨してきたこの驕りと惰性、そして強行採決にみられる独善、これこそが混乱の原因といっていい。

60日規定やそして3分の2再議決も強行採決と同義語である。国会で何を議論しても、同じ回答の繰り返しで、なにも歩み寄らない、妥協しないのは、いずれ数の力で自民党の主張が通るとたかをくくっているからではないのか。

こうした態様に成熟した民主主義的な政治の姿を読み取ることは不可能だ。自民党の一党支配体制そのものである。どこかの国の閉鎖的な政治風景とちっともかわらない。国会は単なるお喋りの場ではないのだ。

福田・自民党は、真の意味で「ねじれ国会」という状況を理解していないというしかない。民主党が最後まで暫定税率の引き下げを譲らないとは想像していなかったのではないか。どこかで妥協してくると勘ぐっていたのだ。

55年体制下の「自社」の政治駆け引きとは根本的に異なる政治状況が現出しているのが今日である。

予算案意外のあらゆる法案は野党との妥協なくして成立しない時代に入った。福田自民党内閣にはこの点の認識が異常に希薄であり、旧態依然のその場しのぎの「新提案」ではなにも解決しない。

そんなに「混乱」「混乱」と騒ぐのなら、さっさと野党に妥協して財源不足対策や業界対策をすればよかっただけの話である。下げることが「混乱」というなら、暫定税率は未来永劫下げることができない恒久法となってしまう。なんとも馬鹿げた話である。

解散総選挙こそ「ねじれ」解消の一番の近道である。「大連立」「与野党協議会」などという密室的な手法には賛成しかねる。政権交代こそ成熟した民主政治の姿である。福田内閣は直ちに総辞職・解散総選挙を実施すべきである。

日本の民主主義はまず自民党を下野させるところからはじまる。「混乱」はその序章に過ぎない。

(@)

2008年04月07日

【朔風プレミアム】ミッションを失った霞ヶ関の役人

こう指摘するのは、前鳥取県知事で慶応義塾大学教授の片山善博さんだ。先週、山口二郎北大教授の招きで来札、時計台ホールで、歯に衣を着せぬ語り口で講演した。

ミッションとは使命のこと。

片山さんは、霞ヶ関の役人つまり官僚は、そもそも国民のためにいい行動をすることがミッションなのだが、今は自分たちの権益や利益、組織を守るために汲々としている、と指弾する。


日銀人事と暫定税率にしても官僚の思い通りに行かなくなった。大混乱しているのは官僚ではないかという。

日銀は大蔵省の時代から官僚の天下り先となっている。ガソリン税も大衆課税化して特定財源の意味がなくなった。ともに官僚の思うどおりに維持できなかった。

昨夏から政治の力関係が変化しているにもかかわらず、旧態依然として政治家を動かしつつ既得権益を守るために足掻いているのが今の霞ヶ関だというのだ。

東大法学部卒、上級採用、24年官僚として過ごしたひとの言葉だけに真実味があった。

(@)

2008年04月11日

【朔風プレミアム】オリンピックと平和

平和が訪れると日常の生活のことが人々の支配的なことがらとなるが、戦争になると平和の大切さが人々の支配的なことがらとなる。こんな意味のことを思想家・山川均が述べていたことを思いだす。

チベット問題の惹起で北京オリンピックが揺れている。欧州では複数の大統領や首相が開会式欠席を表明、聖火リレーは抗議行動で異常事態となっている。長野もルート変更するという。

4年に1回のスポーツの祭典、オリンピック。第2次対戦中は中断されたように、オリンピックと政治は一見無関係にように思えるが、実はそうではない。

戦争になってしまっては、スポーツどころか、家庭生活やおおよその文化芸術、そして恋愛までもが無残に切り刻まれていく。人間生活はすべてが平和という基礎の上に成り立っている。

ちょっと考えれば誰にでもわかることだが、かの大戦からはやくも63年が経過する。とりわけ今日本の人々は戦争と平和に鈍感になっているような気がしてならない。

とりわけ若い層に想像力の欠如も見られる。憲法9条に対する国民意識も大きく後退している。

世界のあちこちで紛争が絶えず、人権が否定されている。欧州の人々はこのことに今なお敏感であることがこのチベット問題で現出した。

オリンピックに向けて、一生懸命練習を積んできた選手の気持ちはよく理解できる。でも、平和なくしてスポーツは成立しない。

選手だけではない。観る側もそのことにまず想像力を張り巡らさなければならない、そんなことを朝一番考えた次第である。

(@)

※今回のチベット「騒乱」は、オリンピックを妨害しようとしたダライ・ラマ法王の意図があるとの主張もあるいが、この3月は、ちょうど49年前の1959年3月10日、ラサでチベット人が蜂起し、中国政府が87,000人を殺害して鎮圧、この節目であることが蜂起の背景と考えられる。

2008年05月09日

【朔風プレミアム】無年金時代 すぐそこ

不信の極みともいえる公的年金制度は未だその信頼を回復するいたっていない。年金ほど複雑怪奇な制度はないだろう。その分かり難さが今日の混乱の土壌を作り出したともいえるかもしれない。

保険料の支払経過と年金の受取額を一目瞭然にする「年金通帳」方式の採用など全体をわかりやすくとにかく、そして広く公開することだ。

財源問題など抜本改革の前にやることは山ほどあるだろう。


さて、年金の受給できる年齢は全員が60歳と勘違いしている組合員も多いように思う。いやわからない人がほとんどだろう。

実はもう、1994(平6)年の法改正で、共済年金も厚生年金もすでに支給開始年齢は65歳と決まっているのである。

これでは定年後の生活の糧がなくなるので、特例的に本来の満額年金から減額(基礎年金)して支給開始年齢を段階的に引き上げる経過措置を講じているわけである。

たとえば、今年の3月末の定年退職者の場合は、63歳以降は満額支給されるが、それまでの3年間は減額される。来年3月末定年退職者からはいよいよ64歳に引き上げられる。

このように、段階的に引き上げられ、やがて1953(昭28)年4月2日以降生まれの人、学齢でいうところの「昭和28年」世代からは、この減額された年金がまったく支給されない時代にはいる。無年金時代の到来である。

もちろん、無年金となる年齢もこれまで同様段階的に引き上げられ、最終的には1961(昭36)年4月2日以降生まれの人、学齢で「昭和36年」世代、年齢では47歳以下の組合員からは完全に65歳にならないと年金は支給されない計画なのである。

そこで、この1953年4月2日生まれ以降の方々の60歳から65歳までの生活の糧はどうなるのか、とても退職金だけで食いつなぐというような呑気なことはいっていられない。

現在、その減額された分を補い、雇用と年金支給を繋ぐ制度として民間の再雇用制度に相応する再任用制度が公務員の場合整備されほとんどの自治体で条例化されている。

しかし、実際に運用されている実態は全道庁など極わずかとなっている。満額支給まで期間が短いのでなんとか食いつないでいけるということでもあろう。また、地域民間の実態の影響も大きい。

ところが、あと5年もするとそうはいっていられなくなる。まったくの無収入状態となるからである。

また、現行の再任用制度は、短時間勤務など年金を補填する程度の収入しか想定していないので、とてもリタイヤした後の生活費を完全にカバーする雇用条件とはなっていない。

そこで、人事院は昨年の勧告で「定年延長」と「民間並みの再雇用の義務化」という二つの視点を打ち出し、その具体化のために研究会をスタートさせている。

私たち公務員労働者は定年の延長を基本としながら、仮に再雇用制度であっても今度はその「義務化」が前提となる制度構築を求めていくことが必要だ。

無年金の時代の始まりは、いいかえれば「65歳まではみんな現役だ」という時代がすぐそこまで迫っていることだと思う。

先輩もそして後輩もその発想の転換を図りながら、安心の高齢雇用制度を求めていくことが急務となっている。

(@)

2008年05月29日

【朔風プレミアム】「市職解散か」=「自治労通信」で再びクローズアップ

7年前、一大センセーショナルを巻き起こした札幌市職の機関紙新年号が、「自治労通信2008.5.6、NO730号」で再びクローズアップされている。

tuusin-miuraiintyou_edited-1.jpgここをクリックすると画像が大きく表示されます

とりあげられたのは「組合が見えない」に応える実践講座の3回目。チューターはレーベン企画の南雲聡樹さん。

「組合なんてもういらない!?」「三浦委員長真っ青」「がけっぷちに立たされた執行部」となんともショッキングな見出しが紙面に躍り、苦悩する委員長の写真がでかでかと掲載され、そのトレードマークの広い額にリード文が走る。三浦委員長とは、現道本部委員長のことである。


組合解散策動に対し、当時の委員長をはじめ執行部が年明け早々から組織防衛に走るという記事なのだが、もちろんこれはまったくのパロディ。

「不真面目だ」「冗談が過ぎる」など批判的な意見も当時は多くあったと聞く。

でもこの機関紙の狙いは「もし、組合がなかったら」ということをみんなに問いかけ、組合活動の原点を年頭にあたり改めて考えてみようということだった。

空気や水と同じように、日常的にはあたりまえとなっているのでその「重み」を感じることは少ない。しかし、いざ「解散」した場合のことを組合員に投げかけて、みんなで議論してみることも大切なことだろう。


なお、この機関紙は2001年の自治労機関紙コンクールでダントツの優秀賞を獲得。審査委員を務める南雲さんによれば、その後これを上回る機関紙は出現していないという。

この機関紙を思い立った背景や裏話は「自治労通信」に詳しい内容が載っている。

(@)

2008年07月07日

【朔風プレミアム】世界と日常

週末に参加した集会で、G8に意義を唱えるNGOが強調するスローガンは「反グローバリズム」すなわち金儲けに血眼になり世界を駆け巡る多国籍企業とそれを擁護する政府(新自由主義者)への猛烈な批判である。

農業の疲弊、格差の拡大とあからさまな貧困、燃料の高騰、食料・日用品の値上げ・・・

この国内の日常のできごとが実は世界的にどこの国でも起きていることがスピーカーの口から異口同音に語られた。

日本の新自由主義=「小泉構造改革」の前に政党は、社会主義的価値観を後退させ、労働運動は「抵抗闘争」を嫌悪したように思える。

でも、世界の活動家は連帯しグローバリズムにNO!をつきつけ粘り強く抵抗していた。

経済評論家内橋克人氏推薦で、「WTO徹底批判!」(作品社、杉村昌昭訳)の著者であり、国際NGO組織「ATTAC」の副代表著スーザン・ジョージさんは、次のように述べている。


「新自由主義・超国家主義企業・臆病あるいは従順な政府は、行き過ぎまで行くだろう」

「・・・、われわれがしようと思うことは、国際的空間において民主主義を確立することである」


久しぶりにデモッた。30度を超える猛暑の中、集会2時間、デモ1時間半という長時間だったが、晴れやかなすっきりした気分のいい週末だった。

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2008年07月15日

【朔風プレミアム】市場と人間

市場にこれほど人間生活が脅かされ、翻弄されたことがあったろうか。

市場は経済といいかえてもいい。本来は、人間生活を豊かにするのが経済の役割ではないのか。市場や経済というのはもともと人間に従属すべきなのだと思う。

もっといえば、より人間生活の幸福を追求するために人々はより高度の生産技術と経済社会をたえず生みだしてきたのではなかったか。

しかし、それがどうだろう。まったく市場の行き過ぎを咎めることができないでおろおろしている。

モノに人が縛られている。倒錯した社会となってしまった。まさにチャップリンの映画のようである。市場原理が妖怪となって彷徨っているかのようである。

東西冷戦の時代、世界経済は政治的な障壁が西側の自由な市場を規制していたが、冷戦の崩壊とともに、一気に経済のグローバル化が進んだ。

とともに、西側諸国内でも同様の障壁の除去・緩和が進み、冷戦時代に企業とその政府からの妥協として培った福祉、医療、環境保護そして労働者保護政策が次々と緩和された。

市場=資本はもともと一人歩きする性質・法則をもっている。自己増殖を目的としてアメーバの如く世界を駆け巡る。だから本来的に無慈悲である。

この非人間的なそして止むことない搾取と横暴、貪欲な利潤の追求。この市場原理と資本の論理に今の政治がなんと無力なことか。あきれるばかりである。むしろ、助長しているようにさえ思える。

だから政治と政府の役割が大変重い。

少なくとも、この原理にNOを突きつけ、民主主義のルールを確立するのは他ならぬ人間による市場経済への介入ということになろう。

これからは人間が市場を支配する時代だ。

(@)

2008年08月15日

【朔風プレミアム】「拉致」と従軍「慰安婦」問題

少々、古い情報で申し訳ないが、昨年の3月24日付けのワシントン・ポスト紙の「安倍首相のダブスタ発言」と題した社説=下記に全文=をとりあげたい。

「拉致」の解決にとって、日本のマスコミが報道しない核心的な主張が散見されるので、紹介しておきたいと思うからだ。

要約すると「社説」は、日本政府が拉致の解決を北朝鮮にもとめるなら、それと比べても証拠が劣らない従軍「慰安婦」問題に関して、政府としての責任を認め、謝罪と補償を行うべきだ、というもの。

つまり、「拉致」も「慰安婦」問題も、人を騙して、誘拐して、あるいは強制的に連行していった、という点で、重大な人権侵害であり、同義語なのだと、この「社説」は言いたいのだと思う。

日本で「拉致」の問題を論じる場合、そのほとんどは「対北朝鮮」というアングルでしかみないように思える。

しかし、「拉致」問題は従軍「慰安婦」問題だというのが、日本のもっとも「良き理解者」であるはずの米国の世論とはなんとも皮肉な話である。おそらく、韓国も中国も同じ見方であろう。

それから、4月後の7月30日、米国下院で、従軍「慰安婦」問題に対する決議案が可決された。それからオランダ、カナダ、そして欧州議会でも同様の決議が採択されている。

「慰安婦」問題の解決なくして、「拉致」問題の前進はないように思う。

ワシントンポスト 2007年3月24日社説

■安倍首相のダブスタ発言 (原題:"Shinzo Abe's Double Talk")

北朝鮮問題をめぐる六者協議で、今週一番タフだったのは、ブッシュ政権ではなかった。 ブッシュ政権は、北朝鮮の要求する2500万ドルの預金を送金するため四苦八苦していた のだ。一番タフだったの日本であった。

日本政府は、数十年前に北朝鮮が拉致したとされる17人の日本人についての情報を提供するよう北朝鮮に要求しており、回答がある までは関係改善協議を一切拒否するとしている。

こうした強硬な政策は安倍首相の倫理 重視主義を反映するものだ。安倍首相はこれまでも、国内での支持率低下を回復させる ために日本人拉致被害者(その中には13歳で拉致されたとされる少女もいる)を利用して きた。

安倍首相が北朝鮮側の非協力的態度を批判すること自体は当然のことだ。しかし、第二 次大戦中に日本が何十万人もの女性を強制連行・強姦してセックス奴隷にしたことに対 する日本の責任を認める立場を後退させる動きを、これと並行して安倍首相が見せているのは、奇怪であり人を不快にさせるものだ。

アメリカ下院で、日本の公式謝罪を求める 決議案が審議中であることに対して、安倍首相は今月2度にわたり声明を出し、日本軍が強制連行に関与したことを裏付ける文書は存在しないと主張した。

先週末に出された 閣議決定は、いわゆる慰安婦に対する日本の残虐な扱いを認めた1993年の官房長官 談話を後退させるものであった。

この問題についての歴史的記録は、北朝鮮が日本人(うち何人かは教師や翻訳者にされた)を拉致したという証拠と比べて、説得力において劣るものではない。

歴史研究者らによれば、朝鮮・中国・フィリピンなどアジア各国で奴隷化された女性は20万人にも及ぶ。強制連行には日本兵らが関与したという。多くの生存者が、自らの恐ろしい体験を証言している。

その中には、先ごろアメリカ下院で証言した3人の女性も含まれる。日本政府が、彼女たちの被害に対する責任を完全に認めて補償したことが今まで一度もない というのは、悪いことだ。

そして、従来の談話の立場を安倍首相が後退させているのは、主要民主主義国家の指導者としては恥ずべきことだ。

安倍首相はもしかすると、強制連行に日本政府が直接関与したのを否認することが、北朝鮮に回答を要求するにあたっての日本の倫理的立場を強化すると思っているかもしれない。

しかし、それは大間違いだ。日本人拉致被害者に関する情報を得るための国際的支援を欲しているのであれば、安倍首相は日本自身が犯した罪についての責任を率直に認め、自分が中傷してきた被害者たちに対して謝罪すべきである。

(@)

2008年09月02日

【朔風プレミアム】自民党政治の終焉

昨夜の突然の辞任劇。眠たい目をこすりながらニュースをみていた方も多いだろう。

今朝の新聞各紙は、一様に批判的であり厳しい社説や論説が目に付いた。

なかでも、「毎日」は2代続けて政権を放棄した淡白さは「自民党がもはや・・・国家を率いていこうとする政治家を持たず、ただ漂流するだけ」と指摘する。

戦後政治は自民党の一党支配が長かったが、93年の総選挙で自民党は過半数割れを起こし、戦後初めて野党となる。

村山政権下で与党に復帰するものの、その後の選挙でも衆議院での単独過半数には届かなかった。そこで、公明との連立政権がスタートする。

ところが、2005年の小泉・郵政解散総選挙で300議席に迫る大勝を果たし、安定的な政権運営をしているかのように思われたが、昨夏の参院選挙で自民党は大敗し、参院は与野党の勢力が逆転、「ねじれ国会」といわれる政治状況が生まれた。

細川政権の誕生にはじまる自民党的な政治の終焉は、15年かかっていよいよ現実的なものとなるのか。

突然の退陣と新しい陣容。「日経」は「この衝撃はそれほど長く続かない」とみる。そして、年末・年始の解散総選挙を予想する。

まだ、いくつかのよりもどしがあるかもしれない。しかし、民意は解散総選挙そして政権交代可能な政治的枠組みへ向かっているように思える。

額に汗して働く人々が確実に明日を託せる政治の夜明けが近づいていることを予感させる「驚き」だった。

(@)

2008年09月03日

【朔風プレミアム】時事通信社の衆院選シミュレーション

時事通信社は、福田首相の突然の辞任を受けて、以下の「衆院選シミュレーション」を発表している。
年内解散の可能性が相当高まっている。

以下、引用。

◎「10月解散、11月総選挙」も=首相交代で-衆院選シミュレーション

 福田康夫首相の退陣表明を受け、自民党は後継を選ぶ総裁選へ走りだした。一方、民主党代表選は小沢一郎代表の無投票3選が固まっており、臨時国会では速やかな衆院解散・総選挙を求めて対決姿勢を一層強める構え。「ポスト福田」に誰が選ばれるにせよ、新政権は事実上、「選挙管理内閣」の性格を帯びることになりそうだ。

 ◇広がる年内解散論

 「2代続けてこんなことになった以上、早期に衆院選をやらないといけないだろう。国民が納得しない」(自民党町村派若手)。首相の唐突な辞任表明を踏まえ、与党内には年内解散の流れが強まったとの見方が広がっている。

 安倍晋三前首相に続く福田首相の「政権放り出し」は、小泉純一郎首相(当時)の下で行われた2005年の「郵政選挙」以降、自公政権が一度も衆院選という国民の審判を受けていないことに根本原因がある。首相が交代しても、その「正統性」に疑問符を付ける野党が重要法案の成立に協力する可能性は極めて小さく、自民党重鎮は「解散時期をずるずる延ばしたって、状況は変わらない」と強調する。

 総裁選は、国民的人気の高い麻生太郎幹事長を軸に展開する見通しで、対抗馬には小池百合子元防衛相らの名前が挙がる。

 自民党内では新首相に対する「ご祝儀」効果に期待する向きがあり、ベテラン議員は、臨時国会で経済対策を盛り込んだ08年度補正予算案を成立させた直後の10月解散、11月総選挙の公算が「非常に大きい」と指摘。早期解散を目指して福田首相に圧力を掛けてきた公明党からも「転がり始めると止まらない」との声が上がる。

 ただ、民主党が補正予算案に反対し、衆院通過から30日後の自然成立を待った場合は、「11月解散、12月総選挙」になるとの見方も出ている。一方で、最も早い年内解散のケースとして、臨時国会冒頭で選出される新首相が組閣と所信表明演説などを行った後、直ちに打って出る可能性もある。

 ◇予算編成し通常国会冒頭解散

 新首相が年末に09年度予算案と、定額減税を盛り込んだ今年度第2次補正予算案を編成。それへの賛否を問う形で、来年1月に召集される通常国会冒頭で解散、2月総選挙に踏み切るケースも想定される。

 与党内では「2次補正」を成立させてから解散するシナリオも取りざたされるが、定額減税には民主党が批判的なため、予算関連法案の成立には憲法の「60日ルール」に基づく衆院再可決が必要となるのは避けられない。

 ◇実績示し、来春以降に解散

 これに対し、自民党閣僚経験者の一人は「解散は、新首相の下で09年度予算を仕上げてからだ」として、予算が成立する来年4月以降が望ましいと主張する。「首相交代による政権浮揚効果は限定的」との理由からだ。

 9月の任期満了選挙に言及してきた自民党の古賀誠選対委員長も2日の民放テレビ番組で、「今のような経済状況の中、国民生活を考えなければならない。しっかりした政策を積み上げることが大事だ」と改めて強調した。ただ、来春以降の解散となれば、夏の東京都議選と実施時期が近づくことになり、公明党が反発するのは確実だ。(了)

2008年09月11日

【朔風プレミアム】逢坂誠二さんの凄いところ

多くの組合員が同じことを感じていると思うが、逢坂衆議院議員の日常活動の凄さである。

個人のブログ日記「徒然日記」
mixiの日記(コミュ含む)
を毎日更新し、

平気睡眠時間5時間、

国会閉会中となれば、海外視察が常識の永田町にあって、土日、祝日関係なく連日地域回り。

健康状態が心配なくらいである。

そして、豊富な問題意識と現場に根ざした政治哲学と発想。

こんな議員が民主党に多数いれば、おそらく政権交代はそんな難しい課題ではないと思う。

たとえば、今日の「徒然日記」では、自治体財政について次のように書いている。

以下引用。

自治体財政の
強化を望む声が数多く寄せられます。

小泉政権時代に行われた
まやかしの三位一体改革によって、
自治体財源は
年間6.8兆円も急激に減額されました。

当初少しは評価する声もあった、
三位一体改革ですが、
今では、
国の赤字を自治体に押し付け、
自治体を窮乏状態に陥れた、
まやかし改革だったと
酷評されています。

====

国政に力点を移さなければならないと
私に決意をさせた理由の一つに
このまやかし改革があります。

====

とにかく自治体財政を
なんとかしなければならないとの
強い思いを私自身が持っています。

昨夜、この問題について、
国の関係者と意見交換をしています。

何とかして、自治体の真水と言われる
一般財源を確保しなければなりませんし、
国の義務付けによる自治体の必要経費は、
国の予算で
しっかりと保障されなければなりません。

====

昨夜は、
交付税改革などについて
真摯に意見交換をしています。


引用終わり。

民主党に中では、数少ない自治体現場出身の国会議員である。

政権交代が実現すれば、すぐにでも総務大臣になってもらいたいぐらいである。

有権者は、そうした政治家の日常の姿を一票に託す際の重要なポイントにしていることを忘れてはならない。


(@)

2008年10月05日

【朔風プレミアム】事件は現場で起きているんだ

道本部大会が終了した。

参加したひとり一人がそれぞれの感想を抱えて、職場に戻っていったことだろう。
もっと発言したかったが代議員も多かったに違いない。

私は2日間の議論を聞いていて「事件が現場で起きているんだ!」という織田裕二のセリフを思い出してしまった。この「事件」とは、今の自治労がいや労働運動がかかえる課題のことである。

そして、この「事件」に道本部はどんな思いを伝えようとしているのか、そんな叫びが聞こえたのだ。

市場万能主義、競争の激化と格差の拡大・・・、これはどこか別の世界の話ではない。いま、自治体の現場で静かにそして広く滲みこみつつある事象なのだと感じた。

臨時非常勤等連絡会議の報告は非正規雇用が自治体職員の3割に達していることを指摘した。

足寄の代議員は、あきらめていた昼休みの帰宅時の事故を通勤災害に認定させたことをあげ「職場で個人主義化が進んでいないか」「となりの組合員がなにか困っていないか」労働組合の原点を強調した。

今、猛烈な競争と分断、そして差別が知らず知らずのうちに私たちの自治体の現場に広がっていないか。だれもがうすうす感じながら毎日を過ごしているのではないか。そしてこの「事件」を「自己責任」ということで片付けているのではないか。

一方で、鷹栖の山田代議員、平取の崎広中央委員が「指導部の思いが伝わる運動」「熱い運動」などと発言した。思えば、昨年の大会でも「顔の見える道本部運動」ということが強調された。

労働運動の原点はなんだろか。それは団結すること。いいかえれば競争の排除ということでもある。道本部が現場に思いを馳せた運動の構築を急ぐことはもちろんだが、

今問われているのは、私も含めて大会に参加したひとり一人が、職場での「事件」にどう向き合っているのか、向き合ってきたのかということを振り返ることではないだろうか。

「自由、公正、連帯」スローガンに終わらせてはならない。来年の大会では「現場」と「道本部」それぞれどう克服しようとしたのか、もう一歩前に進めた議論をできたらいい。

(@)

2008年10月16日

【朔風プレミアム】一党支配の末路=「世界」山口論文を読む

解散はいつか、総選挙はいつか、口を開けばつい出てしまうフレーズ。つい「麻生君に電話をかけて聞いてくれ」とふざけてしまう。

「政治の世界、一寸先は真っ暗」とはよく言ったものである。

さて、もう少し、長い目で今の政局を考える論考に接した。「世界」11月号の山口二郎北大教授の「新自由主義の終焉と政権選択」という論文である。読んだ方もいるだろう。

このなかで、山口氏は戦後の先進国の政治を30年周期で考察している。1970年代まではケインズ主義と大きな政府。

しかし二度の石油ショックでこの体制は動揺し、80年代、イギリスサッチャー、アメリカレーガンによる小さな政府路線と新自由主義的政策が世界を跋扈する。

そして今、世界金融危機は、この30年続いた新自由主義的政策が限界に達し、世界の政治は次の段階に入ろうとしていると見る。

これから戦われる日米の選挙は「新自由主義を転換するというベクトルが基調となるべきことは言うまでもない」として、その歴史的意義を強調している。

さらに、山口氏はこうした世界政治の周期のなかで日本の戦後政治を振り返る。80年代、民営化や社会保障の縮小など「小さな政府」路線をとるが、自民党や官僚の既得権が温存され、根本的な「小さな政府」にはいたらず、自民党政治の限界が露呈した。

90年代に入っても政党の再編など試みもあったが、基本的には自民党の一党支配体制が続いてきた。山口氏は自民党は「森政権でその命脈が尽きていた」と総括する。

小泉という人気者で一時は勢力を盛り返したが、小泉の退陣とその後の2度の政権放り出しは自民党がもうぼろぼろであることを物語っている。統治能力を失っても「自分たちは唯一の政権党」と考えるところに混迷の原因がある。


山口氏は、さらに続けて、今回の総選挙の意義はこのような「自民党に政権を預け続けるのか、自民党を罰するのかどか」であるとして、政権交代を起こすこと自体が選挙の目的だと言い切る。

しかし、単に、05年の小泉政権へのなだれを逆にしただけではだめで、およそ30年続いた新自由主義の時代からの転換こそが課題であると力説する。

現在の金融危機を乗り越えるために、単に従来の景気刺激策を漫然と対置するだけでは必ずどこかで小さな政府の巻き返しが起こる。

今、求められていいるのは、第二ニューディル、よりグローバルなニューディールだという。新しいエネルギー、食糧増産、森林の保全と拡大などこれらの課題は市場ではなく政府のイニシアチブが必要なことである。

つまり、今回の選挙は政府による当面の緊急避難なのか、社会システムの転換の第一歩なのかが問われるべきである、と結論付けている。

そして、民主党に対しては「人間の尊厳が守られる社会」を目指し、非正規労働者への社会保障サービスの提供、医療や教育など公共サービスの確保を柱とした「経済効率一辺倒で破壊された社会的連帯を回復すること」を根本理念にすえるべきであると提言している。


山口氏89年の「一党支配体制の崩壊」(岩波書店)から早20年、いよいよ日本の政治も動き出すのかもしれない。

山口氏いうように、この歴史的な選挙に関わったことが、のちのち楽しく、そしていつまでも語り継がれるような戦いにしたいものである。

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2008年10月31日

【朔風プレミアム】主権在民

主権在民

憲法の3大原則の一つ、主権在民。この国の主権は国民であるという考え方である。そしてこの主権者=有権者が選挙で国会議員を選び、議会を構成し、そこから内閣を組織し政権を担当する。

いうところの議会制民主義なのであるが、この仕組み自体が全く機能しなくなっている。

衆議院議員は前回の郵政選挙から3年余、まだ一度も選挙での信任を得ていない。本来、主権在民の原則に立てば、少なくとも安倍政権のもとで総選挙を実施すべきだったというべきだろう。

何しろ郵政以外なにも国民の審判を仰がずに次々と危険な政策を進めてきたわけなので「そんなことまで支持したわけじゃない」と多くの有権者はそう感じているに違いない。

だから、この国で民主主義が機能するには少なくとも国民の代表たる国会議員の選挙を実施することが憲法の想定した民主主義の仕組みなのだと思う。

「政治空白は作れない」というけれど、総裁選挙でやや1月ほどお祭り騒ぎで国会を置き去りにした政党はどこだったろうか。

解散から選挙までは僅か40日以内である。「経済対策が優先」これも当然のことであるけれど、選挙で洗礼を受けた政権こそ実行力のある政権運営ができるのではないか。

世界金融危機の発信源アメリカの大統領選挙は延々と1年以も続き、新大統領の正式就任は明年1月20日である。

消費増税を声高に叫ぶ、こんな政治がまかりとっているのは、詰まるところその責任もまた国民に帰着するといわなければならない。

今もっとも優先すべき政治課題は主権在民と議会制民主主義の復権である。国民の期待を裏切った国会議員を選挙で落選させることである。

そして、改めて選出された国会議員により新しい国会を構成し、新しい総理大臣を誕生させ、新しい内閣を組織することである。

現実はまさに逢坂議員指摘のように「居座内閣」というしかはない。昨今の政治状況をみていると、まるで主権は自民党、公明党そして官僚集団にあるかのようである。

いやそう思いこんでいるに違いない。今こそ彼らに鉄槌を浴びせる時だ。主権は国民にあることを思い知らしめなければならない。

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2008年11月03日

【朔風プレミアム】吹き荒れる解雇と労働者

解雇。もう日常茶飯事の出来事かもしれないが、金融危機を背景に一層、厳しく労働者に襲い掛かるかもしれない。いや、現実は始まっているのだ。

今朝も、朝日新聞の社会面で不動産賃貸の家賃保証会社「リプラス」がサブプライム問題の影響で外資が撤退、倒産に追い込まれ、社員が「即時解雇通知」という紙一枚で首を切られたという取材記事が目に飛び込んできた。

朝のニュースでは、倒産したホテルの従業員が解雇され、納得できず自主再建、自主営業しているという話も報道されていた。

道内では「木の城たいせつ」破綻による解雇問題が記憶に新しいが、会社の都合による解雇、破産による解雇など労働者を路頭に放り投げるこうした事態は枚挙にいとまがない。

再就職も簡単ではない。前述の「リプラス」の場合も譲渡先に行く社員もいるが全員ではない。50人ほどで組合を立ち上げ、給与の支払いなどを求めている。

私が、毎朝散歩中に通る公園にトンネル型の滑り台があり、その狭い中に野宿している人がいる。もう雪が降るという寒さの中でいつまで続くだろうか。

解雇され、再就職できない。僅かばかりの失業保険、ハローワークに通う。しかし、ここで自分にあった仕事を見つけることはかなり難しい。頼れる親や家族もいない。

「失業の不可避性」という原論的な話ではなく、日本の政治や社会制度はこの問題に有効に機能しているかどうかが問題なのである。

日経連「新時代の日本的経営」から13年、戦後日本の労働慣行は破壊され、労働分野の規制緩和が進んだ。

しかし、拡大される非正規労働者の待遇や社会保障制度の不備、転職や再就職支援などは全く過去の正規・終身雇用制度を前提としたままなのだ。

仮に再就職できても、最低賃金ぎりぎりの給与では家族生活を維持し人間らしい生活をおくることは難しい。

小泉・竹中構造改革の総括がないまま、また金融危機と背景とした賃下げと解雇・リストラの嵐が吹き荒れようとしている。

明日はアメリカ大統領選挙の投票日。金融危機にもかかわらず淡々と政治日程をこなすアメリカ。対照的に政治日程を先送りする日本。

給付金などどいう偽善に惑わされることなく、労働者のめの政府をつくろう。経済を変えることができるのは政治である。政治を変えることができるのは他ならぬ額に汗して働く労働者である。

(@@)

2008年11月09日

【朔風プレミアム】演説の力

政治家の演説は本当に大事だ、と強く感じる。オバマ氏のシカゴでの勝利演説がニュースで流れ、支持者が涙を浮かべ聞き入っていた。私もなぜか、熱くなった。

オバマは、熱く語る。

>若者と高齢者、富める者と貧しい者、民主党員と共和党員、黒人と白人、ヒスパニック、アジア系、先住民、同性愛者とそうでない人、障害を持つ人とそうでない人が出した答えだ

シカゴの貧民街でボランティア経験があることをみんな知っているだけに、それが上辺だけのものではなく、彼自身の心の底からでている言葉だと感じているからだろう。

人種問題にしても、彼自身が黒人であるというところから発せられる白人との融和の強調。もし、マケイン候補だったらどうだろう、感動を呼び起こすことはないだろう。


政治家の演説でいえば、現役では横路衆議の話は知事の時代から何度も聞いているが、わかりやすい。それから、我が組織内の逢坂衆議も、シャープで説得力ある話をする。演説に力がある。

亡くなられた山崎昇元参議も、本当に短いながら、迫力のある話をする人だった。今度は何をいうのかな、と期待に胸をふくらませ背筋を伸ばして聞いていたものだ。

古い話になるけれど、石橋元社会党書記長、土井たか子元委員長の演説も忘れることができない。

聞くたびに「自分の考えていることと同じだ」とつぶやきながら、政党のリーダーと一人の支持者にすぎない、この連帯感のようなものが体内から沸き上がり、熱いものが頬を伝わることもたびたびあった。

政治家ではないけれど、元森尾委員長の演説(あいさつ)も、多くの組合員の心を揺り動かし、闘争への決起を促した。しわがれた声でたたみかけるような演説は胸を打った。

共通するのは、声が大きく、自信にあふれていたことだろうか。

ひるがえって、麻生総理はどうだろう。自民党支持者でも彼の演説に感動するひとはわずかだろう。だから、支持率も低迷するのだ。

しかし、話が上手ければいいということでもない。流暢に話しているけれど、どことなく胡散臭さを感じる演説も多い。

小泉元総理は確かに演説が上手かったが、私は、総理大臣に就任した時から、なにかペテン師のような気がしてならなかった。

政治家に限らず、リーダーが何を話すか。本人が考える以上重要なファクターである。


アメリカの大統領選挙を見ていて、日本の民主党にオバマ氏のようなリーダーを期待するのは難しいかもしれないが、政権交代を掲げる以上、演説はそう上手くはなくとも、心に響く、胸を打つような話のできる人が必要な気がしてならない。


もちろん、何を話すかより、なにをするのか、ではありますがね。

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2008年11月13日

【朔風プレミアム】選挙はいつ・・・

いったい、解散総選挙はいつあるのだろう。そんなことは当の麻生総理もわからなくなっているに違いない。


金融危機のお膝元のアメリカでは、黒人初の大統領オバマが誕生し、政治に活気があふれ、危機克服に向けた新鮮な空気が流れているというのに、この国の淀み具合はどうしたものだろう。

閉塞感を通り越して、絶望的な気分に覆われている。


逢坂議員によれば、永田町では昨夜あたりから、次のブラックジョークのような話が流布しているという。

>次の選挙は、総選挙じゃない。またしても自民党の総裁選挙だ。


これには、思わず反応してしまった。

もともと自民党内では、辞任した福田の後継は総裁選を争った小池百合子という話が根強かったという。

衆議院の任期は、来年の9月10日。この前に、総裁選をやって、小池人気?で任期切れ選挙へなだれ込もうというのか。


しかし、有権者を甘く見てはいけない。

誰が総理総裁になっても、今の議院内閣制の下では、政権の枠組み変えない限り、何も前に進まないことは、定額給付金の扱い一つでこんなに迷走しているだけでも、明らかになっている。

ましてや、年金や医療、格差是正など抜本改革が求められる難題をクリアすることが自民党の政権の下では難しいと有権者は次第に感じとっているのだ。

「ブラックジョーク」が現実味を帯びてくる可能性はないとはいえない。しかし、自民党の政治生命はそこまで持ちこたえるだろうか。

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2008年11月19日

【朔風プレミアム】まともな医者?!

夜のNHKニュースを見て思わず噴出してしまった。腹を抱えて笑ってしまった。

ニュースは今日開かれた全国知事会との会合で麻生総理がこれに出席、地方が抱える医師不足の問題について、みずからの考え方を示した際、医師のことを「社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と発言したのだ。

この発言には、さすがに日本医師会が「信じられない、真意を確認する」と苦言を呈したとの報道。

問題はその後。この発言と医師会の反応について総理大臣官邸の記者団に問われ「おれの友達にも医者がいっぱいいるが、なんとなく話をしても、ふだん、おれとは波長が合わない人が多いと思った。まともな医者が不快な思いをしたというのであれば、それは申し訳ない」と述べたのだった。

おそらく、明日の各紙の囲み記事になるだろう。

「社会的常識のない医者」発言を釈明したつもりが「まともな医者」発言で一層「真意」がはっきりしてしまった。

「踏襲」を「ふしゅう」「未曾有」を「みぞうゆう」は誤読でしたで恥をかくだけでよいけれど、今回ばかりは本音がでてしまっただけに、総理の資質が問われることは間違いないだろう。

漫画ばかり読んでいるから語彙能力が欠如したんでないかい。

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2008年12月26日

【朔風プレミアム】日本的経営と労働者の使い捨て

労働者の解雇が相次いでいる。民間の調査機関によれば、11月から09年の6月まで非正規労働者を含む170万人の雇用が削減される可能性を指摘している。

思えば90年代の初め、バブル崩壊時にも大量の解雇と賃金カットが労働者を襲った。それから経済は徐々に立ち直り、戦後最長という「好景気」を謳歌した日本経済だっった。

しかし、この景気回復過程の内実は、労働者派遣法の改悪に伴う大量の非正規労働者の誕生と一方における成果主義賃金制度の導入や低賃金政策に支えられたものだった。

労働者にとってはまったく好景気などという実感の沸かない時代だったのだ。実際、ここ10年は賃金相場は横ばいかマイナス、史上最高収益の更新が続いたトヨタ自動車でさえ賃上げを抑制し一時金などでその場をしのいできた。

このように労働者への配分を後回しにして、経営側は株主への配当だけは優先、一方で莫大な内部留保をため込んだのだった。

そして、ここへきてアメリカは発の世界的な不況と国内経済への深刻な影響も、結局労働者へのシワ寄せ、使い捨てで乗り切ろうとしている。

先日、知り合いの会社社長と話す機会があった。ちょうど、北海道新聞朝刊一面トップに「大手16社貯金33兆円」「株主重視の姿勢反映」「人員削減4万人の陰で・・・」という見出しが踊った日だった。

社長は「これだよ、これ」といって「株主重視・・・」という活字を指さした。つまり、日本の会社経営はまず社員重視、次に株主・役員という伝統が流れていた。しかし、小泉・竹中改革の頃からか、それが大きく変わりはじめたというのだ。

社長の経営する会社も、今次不況のあおりをもろに受けているという。受注が減り、前年比で大きく収益が下回っているらしい。でも「配当は後回し、会社を支えている社員を守らないと・・・」

大手企業がいとも簡単に労働者を使い捨てする陰で中小企業は日本的な経営を大事にしようとしている。皮肉なことに、日本の大企業の繁栄はこうした圧倒的多数の中小経営者とそこに働く労働者の血と汗に支えられてきたことを忘れてはならない。

来年はさらに経済危機が深化する。経団連は減員が正社員にも及ぶことを示唆している。労働組合は何をなすべきか、おおいに議論すべき時である。

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2009年01月05日

【朔風プレミアム】新自由主義からの決別

謹賀新年、本年も自治労北海道ホームページよろしくお願いいたします。

さて、なんとも煮え切らない妙な雰囲気のまま年を超したような気がしてならない。調査によっては国民の8割が解散、政権交代を望んでいるのに解散しない、できない麻生内閣。

しかも、アメリカを震源とする経済不況が津波のように日本を襲い、東京・日比谷公園には「派遣村」が出現するという異常事態に、麻生内閣はなんら対策を講じることなく国会は幕を閉じた。国会が多数の民意を反映しないまま時間だけは経過してゆく。

そんな折、興味深かったのは天皇陛下が誕生日と新年参賀で、正確ではないかもしれないが「厳しい経済状況で苦労多く新年を迎え(てい)る人が多いのではないかと案じている」というような趣旨のことを述べたことだ。

天皇は戦後憲法で象徴となり、政治的行為を禁じられている。これはおそらく宮内庁の作文ではなく自身の思いを言葉にしたのではないだろうかと思ってしまう。政治的な立場にありながら、完全に想像力を失いつつある政治的トップたる麻生総理と対照的な出来事だった。


もうひとつの妙な雰囲気は、というより憤慨したのは、元旦夜のNHKスペシャルに竹中平蔵氏が登場、これからの日本をどうするかについて相変わらずの能弁ぶりを発揮したことだった。

番組で、彼は「政策は現実から」とか「リアリティを重視」などと強弁し続けた。しかし、この津波のような現実を巻き起こしたのはいったい誰なのだ。これからを語る前にまず自己批判からはじめるべきだろう。

この種のNHKの番組はいつも両論併記の形で終わるのだが、今回はどうみても軸は竹中氏という印象。対抗して出演した金子勝教授や山口二郎教授も遠慮がちだった。斉藤貴男氏だけがかみついて、彼の現実論を論駁していた。

暮れから新年にかけてはイスラエル軍がパレスチナ自治区への戦闘を開始、多くの市民を巻き込んだ。戦闘は最大の消費と需要をもたらす景気対策といえる。過去の戦争は経済的な行き詰まりを打開する政治的政策選択だった。

戦争反対論は非現実的として排除され戦火は拡大、多くの尊い命が奪われた歴史はそんなに昔の話ではない。戦争を二度と起こさない非戦の思想と貧困と格差の現実に立脚した新自由主義に決別する理論的な政治経済政策論の探求が急がれる。

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2009年02月07日

【朔風プレミアム】チェ 39歳 別れの手紙

「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳 別れの手紙」を2周連続で鑑賞した。

ジョン・レノンは「1960年頃、世界で一番かっこいい男がチェ・ゲバラだった」と語ったようだが、39歳という短い人生を圧政に苦しむ民衆の解放にかけた革命一筋の姿は、まさにかっこよかった。そして、いまでいうイケメンだったのである。

そのイケメン、ゲバラを演じるベニチオ・デル・トロが朝のNHKに出演、映画にかける並々ならぬ意気込みを語っていた。しかもそっくりさんだったので、これは観なくては心に決めていた。

個人的な話だが、昔愛用のルーズリーフノートのカバーには、なぜか葉巻を吹かすチェ・ゲバラのモノクロポスターの切り抜きが挟んである。30年以上前のものだ。

その昔「職業革命家」、略して「職革=ショッカク」という言葉があった。革命が職業というわけである。

チェ・ゲバラはレーニンや毛沢東のように武装闘争、武装蜂起の革命路線だが、議論は武器に因らない平和的な権力奪取だった・・・ そんなことを議論していた時代だった。

さて、映画は前編の方は伝記的な色合いが濃いためか、ナレーターが随所に入り、ダイナミズムに欠ける。ただ、それがかえって観る人の想像をかき立てる作用を果たしているかもしれない。

後編は「違う作り」というので期待して劇場へ向かったが、やっぱり同じようなつくりだった。

なんというのか、はっきりいえば面白くないのである。最後にゲバラが敵の手にかかって銃殺されるというのにまったくこみ上げてくるものを感じなかった。

なぜ、ゲバラはキューバでの名誉と地位を捨てて、そして愛する家族を捨ててまでボリビアに向かうのか、単にカストロが「ゲバラの手紙」を読み上げればいいというものではないだろうと思う。

ゲバラの思想や世界観を志を同じくする仲間たちにもっと語らさなければならなかったのではないかと思う。

脚本や監督の意図はなんだったのか。まったく伝わってこない。

撮影もあまりに月日の経過にとらわれすぎでワンシーン、ワンシーンが短く、登場人物の心の動きや物語の展開に躍動感が感じられない。

まあ、かなりマイナス評価ばかりだが、社会の変革が可能なのは一人の英雄の存在ではなく民衆自身だということはなんとなく伝わった映画といえるかもしれない。力作ではある。

昨年がチェ・ゲバラの生誕80年、生きていれば81歳ということになる。1昨年は没後40年でもあった。
今年はキューバ革命50年にあたる。

この映画、米、仏、スペイン合作だが、本家本元キューバでは記念の映画化はされていないのだろうか。

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