政治家の演説は本当に大事だ、と強く感じる。オバマ氏のシカゴでの勝利演説がニュースで流れ、支持者が涙を浮かべ聞き入っていた。私もなぜか、熱くなった。
オバマは、熱く語る。
>若者と高齢者、富める者と貧しい者、民主党員と共和党員、黒人と白人、ヒスパニック、アジア系、先住民、同性愛者とそうでない人、障害を持つ人とそうでない人が出した答えだ
シカゴの貧民街でボランティア経験があることをみんな知っているだけに、それが上辺だけのものではなく、彼自身の心の底からでている言葉だと感じているからだろう。
人種問題にしても、彼自身が黒人であるというところから発せられる白人との融和の強調。もし、マケイン候補だったらどうだろう、感動を呼び起こすことはないだろう。
政治家の演説でいえば、現役では横路衆議の話は知事の時代から何度も聞いているが、わかりやすい。それから、我が組織内の逢坂衆議も、シャープで説得力ある話をする。演説に力がある。
亡くなられた山崎昇元参議も、本当に短いながら、迫力のある話をする人だった。今度は何をいうのかな、と期待に胸をふくらませ背筋を伸ばして聞いていたものだ。
古い話になるけれど、石橋元社会党書記長、土井たか子元委員長の演説も忘れることができない。
聞くたびに「自分の考えていることと同じだ」とつぶやきながら、政党のリーダーと一人の支持者にすぎない、この連帯感のようなものが体内から沸き上がり、熱いものが頬を伝わることもたびたびあった。
政治家ではないけれど、元森尾委員長の演説(あいさつ)も、多くの組合員の心を揺り動かし、闘争への決起を促した。しわがれた声でたたみかけるような演説は胸を打った。
共通するのは、声が大きく、自信にあふれていたことだろうか。
ひるがえって、麻生総理はどうだろう。自民党支持者でも彼の演説に感動するひとはわずかだろう。だから、支持率も低迷するのだ。
しかし、話が上手ければいいということでもない。流暢に話しているけれど、どことなく胡散臭さを感じる演説も多い。
小泉元総理は確かに演説が上手かったが、私は、総理大臣に就任した時から、なにかペテン師のような気がしてならなかった。
政治家に限らず、リーダーが何を話すか。本人が考える以上重要なファクターである。
アメリカの大統領選挙を見ていて、日本の民主党にオバマ氏のようなリーダーを期待するのは難しいかもしれないが、政権交代を掲げる以上、演説はそう上手くはなくとも、心に響く、胸を打つような話のできる人が必要な気がしてならない。
もちろん、何を話すかより、なにをするのか、ではありますがね。
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