解散はいつか、総選挙はいつか、口を開けばつい出てしまうフレーズ。つい「麻生君に電話をかけて聞いてくれ」とふざけてしまう。
「政治の世界、一寸先は真っ暗」とはよく言ったものである。
さて、もう少し、長い目で今の政局を考える論考に接した。「世界」11月号の山口二郎北大教授の「新自由主義の終焉と政権選択」という論文である。読んだ方もいるだろう。
このなかで、山口氏は戦後の先進国の政治を30年周期で考察している。1970年代まではケインズ主義と大きな政府。
しかし二度の石油ショックでこの体制は動揺し、80年代、イギリスサッチャー、アメリカレーガンによる小さな政府路線と新自由主義的政策が世界を跋扈する。
そして今、世界金融危機は、この30年続いた新自由主義的政策が限界に達し、世界の政治は次の段階に入ろうとしていると見る。
これから戦われる日米の選挙は「新自由主義を転換するというベクトルが基調となるべきことは言うまでもない」として、その歴史的意義を強調している。
さらに、山口氏はこうした世界政治の周期のなかで日本の戦後政治を振り返る。80年代、民営化や社会保障の縮小など「小さな政府」路線をとるが、自民党や官僚の既得権が温存され、根本的な「小さな政府」にはいたらず、自民党政治の限界が露呈した。
90年代に入っても政党の再編など試みもあったが、基本的には自民党の一党支配体制が続いてきた。山口氏は自民党は「森政権でその命脈が尽きていた」と総括する。
小泉という人気者で一時は勢力を盛り返したが、小泉の退陣とその後の2度の政権放り出しは自民党がもうぼろぼろであることを物語っている。統治能力を失っても「自分たちは唯一の政権党」と考えるところに混迷の原因がある。
山口氏は、さらに続けて、今回の総選挙の意義はこのような「自民党に政権を預け続けるのか、自民党を罰するのかどか」であるとして、政権交代を起こすこと自体が選挙の目的だと言い切る。
しかし、単に、05年の小泉政権へのなだれを逆にしただけではだめで、およそ30年続いた新自由主義の時代からの転換こそが課題であると力説する。
現在の金融危機を乗り越えるために、単に従来の景気刺激策を漫然と対置するだけでは必ずどこかで小さな政府の巻き返しが起こる。
今、求められていいるのは、第二ニューディル、よりグローバルなニューディールだという。新しいエネルギー、食糧増産、森林の保全と拡大などこれらの課題は市場ではなく政府のイニシアチブが必要なことである。
つまり、今回の選挙は政府による当面の緊急避難なのか、社会システムの転換の第一歩なのかが問われるべきである、と結論付けている。
そして、民主党に対しては「人間の尊厳が守られる社会」を目指し、非正規労働者への社会保障サービスの提供、医療や教育など公共サービスの確保を柱とした「経済効率一辺倒で破壊された社会的連帯を回復すること」を根本理念にすえるべきであると提言している。
山口氏89年の「一党支配体制の崩壊」(岩波書店)から早20年、いよいよ日本の政治も動き出すのかもしれない。
山口氏いうように、この歴史的な選挙に関わったことが、のちのち楽しく、そしていつまでも語り継がれるような戦いにしたいものである。
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