市場にこれほど人間生活が脅かされ、翻弄されたことがあったろうか。
市場は経済といいかえてもいい。本来は、人間生活を豊かにするのが経済の役割ではないのか。市場や経済というのはもともと人間に従属すべきなのだと思う。
もっといえば、より人間生活の幸福を追求するために人々はより高度の生産技術と経済社会をたえず生みだしてきたのではなかったか。
しかし、それがどうだろう。まったく市場の行き過ぎを咎めることができないでおろおろしている。
モノに人が縛られている。倒錯した社会となってしまった。まさにチャップリンの映画のようである。市場原理が妖怪となって彷徨っているかのようである。
東西冷戦の時代、世界経済は政治的な障壁が西側の自由な市場を規制していたが、冷戦の崩壊とともに、一気に経済のグローバル化が進んだ。
とともに、西側諸国内でも同様の障壁の除去・緩和が進み、冷戦時代に企業とその政府からの妥協として培った福祉、医療、環境保護そして労働者保護政策が次々と緩和された。
市場=資本はもともと一人歩きする性質・法則をもっている。自己増殖を目的としてアメーバの如く世界を駆け巡る。だから本来的に無慈悲である。
この非人間的なそして止むことない搾取と横暴、貪欲な利潤の追求。この市場原理と資本の論理に今の政治がなんと無力なことか。あきれるばかりである。むしろ、助長しているようにさえ思える。
だから政治と政府の役割が大変重い。
少なくとも、この原理にNOを突きつけ、民主主義のルールを確立するのは他ならぬ人間による市場経済への介入ということになろう。
これからは人間が市場を支配する時代だ。
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