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2011年06月 アーカイブ

2011年06月01日

【☆8復興支援活動】棚づくりとお弁当

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7、☆8(は第8グループのこと)と変えています。
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報告者:第8グループ第3班一同

5月31日(月)

宮古第二中では、住民の方々は体育館で避難生活をしていますが、近々教室に引越しをするみたいです。その教室に設置予定の棚のイメージを半日掛かりで作成。現場のボランティアの方、長野からのボランティアの方3人、教頭先生、自治労3人で協力して作った大作です。

脚と棚をガムテープで固定中。後はひっくり返せば完成です。

脚が何本かやられそうになりましたが、無事完成。
少しでも引越しに役立ててもらえれば、と思います。

6月1日(火)
宮古第二中学校は昨日が配給最終日。今日からはホカ弁の支給に切り替わりました。
毎食弁当では、飽きるのではないかと心配ですが、皆さん美味しそうに食べていたの
ではないかなぁと思います。
ちなみに今朝はのり弁、昼はサバ?幕の内?弁当でした。

20110531bento.jpg
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2011年06月02日

【☆8復興支援活動】『嬉しいできごと』

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報告者:第8グループ 3班 工藤(滝川市職労)・中村(北竜町職労)

6月1日(火)

宮古第二中で活動中の第8グループ3班の今日2回目の報告です。
7時から夜勤のために宮古第二中に入った私たちにうれしいできごとが!!
なんと地元ボランティアの方が夜勤の私たちのためにオレンジをとっておいてくれていました。

「夜食にでもどうぞ」とボランティアさん。
この小さなできごとが4日間この避難所で活動してきた私たちにとって少しでも力になれかな・・・と思う嬉しい瞬間でした。

次回は出来たら・・・夜勤の私たちの活動のようすを報告します!

【☆8復興支援活動】新しくできた仮設住宅への引越しがありました

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報告者:第8グループ 2班・三浦祐二(中札内村職)

6月1日(火)

今日は、新しくできた仮設住宅への引越しがありました。
画像は引越し作業を手伝う職員の勇姿です!撮影者も同様に汗だくになりました。

続いて午前中には、ともにボランティア活動を行っていたお坊さんたちによる座禅体験!!
座禅のやり方など教えていただきました。
職員たちの煩悩もすっかり解消されたようです・・・。

夕方には、学校から帰ってきた小学生たちとサッカー。
元気な小学生に職員たちは悪戦苦闘。
いつくるか分からない筋肉痛が怖いです。
でも、子ども達の気分転換になるなら筋肉痛なんて痛くないはず・・・。


2011年06月03日

【☆8復興支援活動】仮設住宅引っ越し!避難所は空スペースが目立ってきました

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7、☆8(は第8グループのこと)としています。

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第8グループ 第1・2班 引地圭太(道本部)

6月2日(木)

昨日の夜から本日の夜まで、私と一緒に24時間勤務中の吉田さん(釧路市役所ユニオン)です。気温は10℃あるかないかという寒さの中でも、半袖Tシャツで受付業務に励んでおりました。さすが「どさんこ!」


★寒さに負けず「ガリッと」任務につく、釧路市役所ユニオンの吉田さん★

今日も引っ越し作業がありました。
ボランティアスタッフと北海道団スタッフで、避難所の皆さんの協力もあり、手際よく作業が行なわれました。

引っ越し作業途中、可愛いらしい訪問者が。
犬のホワイト・ファイブちゃんが遊びに来ていました。飼い主の方に名前の由来を聞いてみると、「白い犬で、犬を飼うのがホワイトちゃんで五匹目だから」だそうです。

グリーンピアの避難所の方々も、徐々に、仮設住宅へ移られる方が増えてきました。避難所の中も空スペースが目立ってきましたよ。


避難所

避難所生活をされている方々の洗濯場です。

グリーンピアから徒歩で2~3分ほどのところに、洗濯場があり洗濯機が10台設置されています。
大きなバケツに入った洗剤の補充を行いました。

このところ気温が低い日が続いているので、洗濯をするのも大変です。


★洗剤を補充する、遠軽町労連の瀬下さん★

2011年06月04日

【☆8復興支援活動】第8グループの任務もあと実質あと1日

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第8グループ 第1・2班 瀬下(遠軽町労連)

6月3日(金)

任務終了まであと残りわずかとなってきました。ここに来て一週間足らずではありますが、避難所にいる人たち、私たちと志をともにボランティアに励む人たち、住民の皆さんなど色々な出会いがあります。

そして今日…1つの別れがありました。佐賀県曹洞宗青年会の皆さんがグリーンピアを旅立ちました。朝早くから夜遅くまでここでの任務をともにしてきたこともあり、別れ際はちょっとしんみりとしました。


(佐賀曹洞宗青年会、グリーンピアボランティアスタッフ、住民の方々、遠軽町労連の瀬下さん)

佐曹青(略してこう呼ぶらしい)のみなさんお疲れさまでした!!
なお彼らの任務は今後も継続して行われるようです。ますますのご活躍を期待してます!

さて、時間は流れ…すっかり朝の恒例任務となりました、湯沸し・お湯の補充から任務スタートです。


(お湯の補充作業途中の、釧路市役所ユニオンの鏡さん)

東神楽町社会福祉の千葉さん(上川地本公共民間労組協議会事務局長)と遭遇。避難所から仮設住宅への引っ越し作業ボランティアに来ているそうです。千葉さんは交代で任務に就いているそうです。お疲れ様です。


(東神楽社協・千葉さん)


午前10時頃から、仮設住宅への物資の搬入作業に参加しました。


(物資搬入作業①・②)

搬入物は、敷布団・掛布団・テーブル・湯沸し器・電子ジャー・ストーブ・物干しざお・食器セットです。テレビ・洗濯機・冷蔵庫は来週月曜日(6月6日)に搬入作業を行うそうです。


(物資写真)

搬入作業には、連合の災害ボランティアの方々も参加しておりました。UIゼンセン同盟の仲間の皆さんと一緒に作業を行いました。


(UIゼンセン同盟の皆さんの写真)

搬入作業を行った後、搬入物を部屋の中まで入れて、施錠をして任務完了です。
結局、作業が終了したのは17時半頃でした。


(作業途中の写真)

残すところ我らが第8グループの任務もあと実質あと1日。残された時間を使って何ができるかを考え、全力で頑張ります!!

【☆8復興支援活動】第3班は山田町役場の事務補助業務を支援!

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7、☆8(☆8は第8グループのこと)としています。
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第8グループ 第3班 足寄町職労 中鉢・尾西


第3班は、山田町役場の事務補助業務を支援しています。
具体的には、義援金の申請のチェック業務となっています。申請書類の内容と、すでに入力されているデータとの整合性を図ります。

(職場風景)

山田町役場は、宮古のベースキャンプから約25キロ南のところにあるため、朝は他のメンバーよりも若干早く出発しなければなりません。
今日も一日頑張るぞー!

(BCを出発する、中鉢さんと尾西さん)
県に申請する支援金と、町に申請する義援金の2種類があり、件数も5月16日受付分まででそれぞれ約1800件。義援金の6月3日振込にむけて追い込み作業です。
役場は震災から土日も開庁していて、職員はほぼ休みなしで仕事をしています。

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(役場から見える風景)クリックすると大きく表示されます

高いところにある庁舎も地下は津波の被害があり、役場の周辺はさらに火災の被害もあり、庁舎のすぐ手前の建物まで燃えたようです。庁舎屋上からの風景は壮絶。

【☆8復興支援活動】自治労北海道の総力を挙げて被災地を支援していくことを宣言!

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6月4日(最終日)

報告者 第8グループ教宣部長 森(佐呂間町職労)

「グリーンピア三陸みやこ」には、先日までの山田町支援の2人が加わり、避難者からは「女の人が来てくれた!!」と大盛況です。男性支援者には言えないことも多いようです。
でも、残念ですが今日だけなのです。今晩、私たちは引き上げることになります。

明日からは大阪の仲間が活動開始するとのこと。ここの人たちとのコミュニケーションを第一に活動に励んでいただきたいと思います。

ここに来た当初は「何ができるのか」と自問自答を繰り返したこともありましたが、非日常的な生活を強いられている避難者が求めていること。それは避難所での「いつも通りの環境」。それを維持することが私たちの大切な任務なのではないのでしょうか。

避難所で暮らしている人びとは、目新しいことは求めてはいませんし、これまでの支援団以上のことも、それ以下のことも求めてはいません。ここに生活している「安心感」を求めています。そこに自治労復興支援団がいるのです。

第6Gからはじまった子どもたちとのサッカーもその一つです。ここ毎日のように繰り広げられた「岩手っこVS北海道の元青年」。
本日も大人げない対決がありましたが、思いっきり遊んでいる姿は、この被災状況の下では微笑ましい姿です。



避難所での支援物資は、生活面、食事面でも一定程度の量が集まっています。この先長期化するであろう避難生活を乗り切れるだけの物が揃っています。



第8グループの仲間は、ここで学んだことを地元単組に持ち帰り、多くの仲間に語り継ぎ、自治労北海道の総力を挙げて被災地を支援していくことを宣言いたします。

2011年06月05日

【☆9復興支援活動】第9グループ到着!山田町の義援金受付事務補助を担当します!

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出発第1日目 6月4日(土)

報告者 第9グループ 全道庁労連 河端孝司

6月4日~13日の日程で支援に入る第9グループは、渡部(道本部)、山田(京極町職労)、登山(登別市職労)、佐々木(登別市職労)、河端(全道庁労連)の合計6人。

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今日、朝7:45千歳空港を出発、→:45岩手・花巻空港へ。
そこからバスでJR盛岡駅に9:50到着。
岩手県本部が用意してくれたベースキャンプ(BC)である宮古市行きバスの出発時間は15:00・・・ 
待ち時間中、一同、盛岡市内を散策も・・・長い待ち時間にくたびれ気味。

やっと時間になり、バスに乗り込むが、BCまでの道程も2時間半と長い。

ここまで震災の状況は全くみえず。道中の山間部では稲植えを終えたきれいな水田があり、支援活動に来たというのに、どうもイメージが湧かない。

そろそろ到着時刻に近づき、宮古市内へと海岸線を下っていくとこれまでののどかな光景は一変した。瓦礫となった車が集められ、家並みはメチャクチャ。時間も経過し片付けられたのであろうが、テレビで見た悲惨な光景に息を呑む。津波の恐ろしさを実感。

バスに乗っていても海は見えないほど高い防波堤があるにもかかわらず・・・。ただ、何とか復旧した商店街の一部は営業を開始していた。

BCである宮古市・ホテル沢田屋に17:30到着。各県からのボランティアも集まり、全体グループ会議が開かれた。
 
任務は宮古市内6ヵ所と隣の山田町1ヵ所の避難所支援、私たちが受け持つことになったのは、山田町の義援金受付事務補助(6日のみ支援所業務)=3人と仮設住宅の入居手続事務補助=3人。

第8グループの北海道班と引き継ぎ会議をした。山田町は火災もあり、宮古市よりもひどい状況らしい。

当初は被災者への直接的な支援を想定していたが、現地は復旧から復興へむかっている過程。復興には行政の力がより重要だ。行政職員の仲間をバックアップできる任務は自治労の真骨頂だろう。

明日から任務開始。頑張ろう。第8グループの皆さんお疲れさまでした。

2011年06月06日

【☆9復興支援活動】明日から山田町役場で行政支援!職員の負担を減らしたい

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6月5日(日)
報告者:第9グループ  登山利博(登別市職員労働組合)


第9グループの第2日目は、第8グループと第9グループとの記念撮影からはじまりました。

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前日行われた第8グループから引き継ぎで、私たちのやるべき任務が少しずつ見えてきたところで、緊張のスタートです。

まず、山田町役場の仮設入居手続業務にあたる3人(渡部(道本部)、山田(京極町職労、河端(全道庁労連本部)を見送りました。



義援金受付業務にあたる3人は、本日は山田町役場における業務がお休みのため、一日限り、宮古第二中学校の避難所支援にあたります。
 
業務内容は、避難所となっていた体育館を、普通教室へ変更するための引越し作業のお手伝いです。
荷物のほとんどは、避難されてる方自身が、朝から運んでくれています。われわれは、体育館の清掃や、大きな機材の運び出しを行いました。



午後からは、宮古第二中学校の生徒達と体育館の床掃除を行いました。野球部やバレー部の生徒達がとても元気で、本当に圧倒されてしまいました。
年齢を忘れて、中学生と一緒になり、体を動かした私は、明日?以降の筋肉痛が心配です。

明日からは、6人揃って、山田町役場で行政支援です。山田町役場職員の負担を少しでも減らせるよう、われわれができることをしっかりやっていこうと思います。

【☆9復興支援活動】大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市は今…

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7、☆8、☆9(☆9は第9グループのこと)としています。

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6月5日(日)
報告者 第9グループ:山田光紀(京極町職労)


今朝は午前6時に起床。昨日は大部屋で就寝しました。前任者の8Gのみなさんとホテルの前で記念撮影。このあとみなさんは現地視察のあと、青森市にむかいます。
あたたかい声援と見送りを受けてバスに乗車。北海道の6人は義援金と仮設住宅の事務補助の2班に別れての作業です。
 
今日は日曜日。義援金作業はないので3人は山形・大阪の仲間たちと一緒に、宮古市の仮設住宅の引っ越しの手伝いです。
われわれ3人は隣町の山田町にむかいました。
町の名前に若干の親近感を覚えながら現地に到着しましたが、スケジュールが変更になり今日の予定作業がなくなったとのこと。岩手県本部の野中書記長の案内で、県南の被災状況を視察することになりました。車は海岸線沿いを南下し、大槌町、釜石市、大船渡市を越えて陸前高田市まで行きました。これより南は宮城県気仙沼市です。

○大槌町(おおつちちょう)
故・井上ひさしさんのゆかりの地として有名。吉里吉里地区や「ひょっこりひょうたん島」のモデルとなった島を見ながら、役場前に到着。庁舎の時計が15:15で止まっています。おそらく津波が来た時間を留めているのでしょう。地震が来たとき、職員が庁舎前に集合したところを津波が襲ったそうです。町長はじめ30数人の職員が被害に遭い、現在は副町長が別な場所で町の業務の指揮をとっているそうですが、まもなく任期が切れてしまい、今後どうなるのかは未定だそうです。

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大槌町役場(クリックすると大きく表示されます)

○釜石市(かまいしし)
新日鉄で有名なこの町も、企業の撤退で9万人もいた人口が1/3ほどになっているそうです。港にむかう道路は走行はできるものの、アスファルトが波打っているので車が上下に揺れます。港に着くととても大きな貨物船が停泊していました。…がよく見ると船底が見えます。聞けば、津波で船が持ち上げられて陸に乗り上げ、岸壁に引っかかってしまったそうです。すさまじい威力を感じさせます。


貨物船

○大船渡市(おおふなとし)
砂浜や近くの街がまるごとなくなってしまっています。北里大学の学生寮の空き部屋は、災害支援の県職員の方も使っており、陸前高田市まで40分かけて通勤しているそうです。
途中のドライブインで休憩しましたが、休日ということもありたくさんの車が多く、通り過ぎた方が私たちの着ている「復興支援」と書かれたビブスを見て会釈してくれました。

○陸前高田市(りくぜんたかだし)
県内で最も多い、60人以上の職員が犠牲になったそうです。景勝地・高田松原も1本だけ残して全滅。これまでの街は家の基礎が残っていることが多いのですが、ここはそれすらも見えないところが多く、市街地は見通しが良すぎるくらいです。数十センチの地盤沈下があり、土地が平らなため津波の海水が抜けきらず、所々に大きく水がたまり、まるで水田のようです。水は海岸から8キロ先まで被害を与え、竹林も斜めになっていました。水源には塩分が入ってしまい、ポンプで汲めてもしょっぱくて飲めないため水道は復旧していないそうです。

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海水が残る陸前高田 復旧ボランティアも活動
(クリックすると大きく表示されます)

予定していた業務ができなかったのは残念でしたが、被災地を丁寧に案内していただき、とても勉強になりました。塩分を含んだ土壌では作物が育ちません。新しく街を作るには都市計画などの見直しも必要でしょう。まちづくりの計画を立てる際には、有事にはこういう状況になる可能性があるのだという共通認識をもって望むことが大切なのだと感じました。

2011年06月08日

【☆9復興支援活動】約2,500件の申請書類の確認・入力作業展開中!

6月7日(火)

報告者 第9グループ:登 山 利 博(登別市職員労働組合)

山田町役場の行政支援に入り2日目となりました。
写真は、山田町役場庁舎と役場前のようすです。役場前は、大きな被害を受けています。

以下、記事と写真は添付ファイルを開いてご覧ください。
第9グループ6月7日をダウンロード

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【☆9復興支援活動】山田町役場に出勤。健康福祉課と建設課に分散=6人はどんな人?

6月8日(水)
報告者 第9グループ 全道庁労連 河端孝司

7:25、今日も第9グループ北海道班6人はいつもどおり?宮古市からバスに揺られ、山田町役場に出勤。いつもどおり健康福祉課と建設課それぞれ3人ずつ分かれて任務につく。

昨日(7日)、建設課に行っている3人のうち、山田、河端は、仮設住宅の入居者に衣類を配布するための調査表を渡す業務を実施。調査表の内容は、家族構成や性別、年齢、服の大きさなどを聞くもの。簡単なレクチャーを受けたのち、我々が提案して、調査表の集約方法を決め、説明文などを作成した。役場は来訪者で忙しい。

文書類を封筒に詰めて役場の車を運転し計4カ所の仮設住宅群(計280戸)へむかう。われわれの判断で各戸訪問を実施。高齢者が多く、障害を持つ方もいた。文書を渡しただけでは理解できない方もいて、各戸訪問は正解だった。
訪問によって仮設住宅の不具合や支給物資(家電など)の故障・不備に対する要望も多数出された。
 北海道から来ていることがわかると、感謝されると同時に逆に励まされることも多数。家の中に招かれたケースも数件。こんなに感謝される各戸訪問は初めて…

役場へもどると、建設課は依然、業務でパニック気味。今日の行動内容や対応すべき事項を報告書にまとめ、少しレクチャー。18時少し過ぎに任務は終了した。

今日は特筆すべきことがないので、ここまでの共同生活?でわかってきた6人の素性を少し紹介する。

渡部(道本部):リーダー!  早起き。歳のせいか長い時間寝ていられない…

山田(京極町職):役に立つ“山田”。係長(ホントに)。好奇心旺盛でバイタリティー溢れる。ぶらりひとり旅が好きで時々いなくなる。でも、日曜日の昼は「仁鶴がまあるく収める“生活笑百科”」を観てるけど…

登山(登別市職):ズバリ“気配りの人”。協調性に優れ、決して自ら前に出ないが、周りをまとめる能力がある。上からも下からも好かれるタイプ。後輩ササキの面倒見が良く、山田町ではカップ麺の湯の確保に奔走。山田町に来たAKB大島優子のきわどい生写真をもう1枚隠し持っているとのウワサが・・・?

佐々木(登別市職):一見おっとりとした感じだが…実は…何か企んでいる? 先輩Nを影で操る実力者。お湯、洗濯物の次の狙いは? Nは気づいているのか?? とにかくよく食べる。日焼け止めクリームに意味はあるのか???

後藤(北学労):こちらは一見まじめだが…肝が据わっているというか、神経太い。学校事務。1人で教頭を操る? みんなが起きても定刻まで絶対起きない。スポーツ全般、やたらと詳しい。教師を妻にした。妄想を現実にした…?

河端(全道庁労連):口八丁手八丁。8日の運勢悪く固く口を閉ざした。何か企むササキから「この人の話しは信用しないほうが良い」と言われる。洗濯物は長靴の中に。上からファブリーズをかけ消臭に余念がない。

特段“一致団結”しているわけでもないが、バラバラでもない。真面目でもなく不真面目でもない。大酒飲みもいないので、任務が終われば部屋のテレビでスポーツ観戦し、11時ぐらいにはみんな就寝。

なんだかわからないが、ギスギスせず肩肘張らず、フツーに奇妙で案外居心地良い共同生活を営んでいる。これならまだまだ居れるかも×××

もう寝よう。今日もBCである宮古・沢田屋ホテル周辺の信号は壊れたままだ。

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2011年06月10日

【☆9復興支援活動】来週末の義援金支給にむけて作業は急ピッチ!

6月9日
報告者 第9グループ 登別市職員労働組合 登 山 利 博

本日も早い朝御飯に始まり、山田町役場への通勤です。
朝の通勤ラッシュのせいか、故障している信号機が多いせいなのか、夕方は30程度の道ですが、朝の通勤時には、1時間程度かかります。
山田町への通勤も4日目となると、通勤バスに揺られている時間は、貴重な休息時間?になっております。

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《朝の渋滞》

信号機が故障している箇所や大きな交差点では、警察官が交通整理を行っています。

貴重な休息時間が終わり、役場に着くと、気持ちを入れ替え、業務にあたります。
本日の仮設住宅入居手続支援業務班は、夕方に仮設住宅入居の抽選会を行いました。

義援金受付業務支援班の3人は、来週末の義援金支給にむけて急ピッチで作業を進めました。
しかし、入力業務に使用できるパソコンの台数が限られているため、もどかしさを感じながらの作業となりました。

写真は、他自治体の応援職員とともに、義援金・支援金の申請件数の最終チェックをおこなっているようすです。忙しい中でも、笑いもあり、和やかなムードで仕事ができております。

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《作業のようす》
 
お昼休みの楽しみは、ホテルを出発する際に渡されるお弁当(おにぎり2個)です。
おにぎりの中身は、「梅」(毎日)、「しそのふりかけ」(一日おき)であります。
「梅」と「しそ」が苦手な私(登別市職労 登山)は、この4日間、毎日がおにぎりとのたたかいでしたが、なんとか「梅」と「しそ」を克服することができました。
これも、支援に参加できたおかげかな?と思うところであります。

さて、お昼休みには、役場の隣にある臨時スーパー「びはん 旧山田病院店」に行くことができます。
「びはん旧山田病院店」は、被災した山田病院の一部を利用して食料品や生活必需品を販売しております。品揃いは良く、必要なものは、ある程度揃うようになっています。

 
土曜日は、山田町役場が閉庁するため、われわれ6人は、それぞれ宮古市内の避難所(2箇所)と山田町内の避難所にむかいます
 
そのため、山田町役場での勤務は、明日(6月10日(金)が最終日になります。
 
やっと業務に慣れたところで終わってしまうのは残念ですが、来週以降の業務は、次のグループの方にしっかり引き継ぎ、即戦力として頑張ってもらいたいと思います。

2011年06月11日

【☆9復興支援活動】仮設住宅抽選!ゴミ分別収集のお知らせ!役場職員の後方支援の一助に!=写真はのちほどアップします

6月10日(金)
第9グループ=報告者:山田光紀(京極町職労)
 
 
8グループから引き継いだホテル沢田屋305号室にもなじんできました。-今朝も午前6時に起床。洗顔のあと6時半に朝食を摂り、部屋で支度を整えながらテレビの星占いに一喜一憂。7時半にバスに乗車し、約1時間で山田町役場に到着します。私たち9グループは6人全員が同じ庁舎で日勤の仕事をしているので、全員ほぼ同じ行動をとります。明日は土曜日なので庁舎は閉庁。今日は山田町役場での最後の勤務となります。
 
昨日は新しい仮設住宅の入居を申し込んでいるみなさんの抽選会がありました。申込者が少なかった住宅は全員入居できますが、多かった住宅は抽選になります。
各地区の代表者の方4人が立ち会うなか、町長が抽選箱からくじを引いて当選者を決めていきます。
今朝は当選者のみなさんに電話連絡をしました。人数が多いのでわれわれと池田町・静岡県浜松市から派遣された職員の計5人で手分けして電話をかけます。ほとんどの人が喜んでくれるので、電話をかけている方もうれしくなっちゃいまして、思わず「よかったですね」と声をかけてしまいました。
間取りは2DKと決して広いとはいえませんが、避難所や親類宅に身を寄せている町民としては、自分の家に住めるということはうれしいことです。特に、被災前の住所の近くの仮設住宅に当選した人はとても喜んでいるようすでした。…でも、すべての町民が仮設住宅に入れたわけではありません。今回落選してしまった方の気持ちを考えると心が痛みます。
 

 
午後は既設の仮設住宅のみなさんに、ゴミの分別収集の曜日をお知らせに行きました。
現在入居されているみなさんは最初の入居者のため準備が追いつかず、現在はゴミの分別を行っていません。燃えるゴミは○曜日、ペットボトルは○曜日というように地区ごとの回収日が決まったのでこれをまとめたチラシを戸別に配り、ゴミステーションに看板を設置しました。(…ってよく考えたら、「ごみ・捨てーション」ってダジャレですよね、これ。)北海道チームは先日、衣料品の調査表の配布で仮設住宅を回っていますから、土地勘はバッチリですのでナビを買って出ます。人数が前回の倍だったので、時間は半分で済みました。チラシの配布と同時に先述の調査表の回収のほか、住民の要望も聞き取り建設課につなぎます。
 

 
また、ちょっとしたことなら自分たちでやっちゃいます。ある住宅では、視力に障がいのある方が入居しており、敷地内を壁づたいに手をつたって歩っているのですが、その途中にゴミステーションがあったり、木の枝が伸びているので歩行のじゃまになるというのです。
チラシ配布後、手のこをもって現場に取って返し、林務係よろしく枝打ち作業です。…これで歩行は大丈夫。喜んでいただけたようです。
 

 
現在の仮設住宅戸数はおよそ300戸。来月にはもう100戸増えることになりますが、避難所や町外に住んでいる方の人数を考えるとまだ十分とはいえません。高齢の方や障がいのある方は優先的に入居できますが、バリアフリー化など困難な部分もあり、地区によって規格や間取りが異なるのも課題のひとつです。町職員の中にも避難所から通勤している人もおり、帰宅しても避難所管理の手伝いをしたりするケースもあるそうです。役場職員が本来なすべき仕事を行う環境をつくるためにも、私たちのような者が彼らの後方支援を行うことでその一助になればと思うのです。
 

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2011年06月13日

【☆10復興支援活動】10グループ盛岡に到着!震災から3カ月…

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第1日目 6月12日(日)第10グループ報告者=道本部・岡本
 

北海道の復興支援活動第10グループは、奇しくも震災発生から3カ月目になる、6月11日に花巻空港に到着した。

ベースキャンプのある宮古市までの移動は、時間調整のため、盛岡市内で貸し切りバス到着時間まで約5時間のフリータイムとなった。
折から、地元では「ちゃぐちゃぐ馬っこ」のパレード当日とあって、盛岡駅前では、子どもと馬っこが華やかないでたちで、お披露目を行っていた。

昼食は、「わんこそば」に挑戦した人や回転寿司で2千円の商品券をゲットした人など、思い思いに昼食をとってから、宮古市のベースキャンプへ所要時間1時間40分ほどの移動となった。
 
山間の自動車専用道路を抜け、宮古市内に入るとそれまでの景色は一変し、津波の爪あとはいまだに生々しい。

これまでの車内の雰囲気も一変し、これからの生活と活動を考えて緊張感につつまれる。
 
当日は、全体の打ち合わせと夕食のあと、各県ごとに引継ぎをおこなった。北海道は、第9グループから始まった山田町(宮古市の南約30kmほど)の、義援金・支援金給付支援と仮設住宅と入居者支援の内容の引継ぎを受ける。

引き継ぐ第9グループの、なんとまあ表情の生き生きとしていることか。重責を果たした達成感か、それとも同じ苦労を味あわせることになる屈折した快感?からか、いずれにしても、明日からの支援活動に不安と緊張感を抱きながら、全国からの参加者25人とともに、全員同室の修学旅行状態で、眠りに着いた。

2011年06月14日

【☆10復興支援活動】北海道ツルハシグループ始動!杭(くい!?)を残さず頑張ります?!

第2~3日目 6月13日(月)~14日(火)
第10グループ報告(佐々木、若山、氏家)

このたび、われわれ北海道3人は山田町建設課において仮設住宅に関わる行政支援を主に行うことになった。

最初に与えられた任務は仮設住宅の駐車場の看板およびび番号の作成と看板の取り付けとなった。まずは、車を借用し現場を確認し、PCで番号を作成、番号の切り抜きとラミネート、貼り付け、ドリルでネジ打ちを実施し174本の看板を作成した。

その後、現地へむかい、ヘルメットを被り、ツルハシを持ち、長靴を履いて土方作業がはじまった。
3人の連携がとてもうまく行き過ぎて、1週間かかると想定された、作業をなななんと!1.5日で終了させてしまい現在ある仮設住宅の駐車場のすべてを任されることとなった。これを機に北海道のツルハシグループと周囲に言われるようになった。


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6月14日は得意のツルハシや長靴を使用することなく(とても残念(T_T))仮設住宅の当選の電話をおよそ150件処理し、役場の方から頼まれた仕事を次々にこなす1日でした。
写真がなくスミマセン(>_<)
山田町のために杭(くい!?)を残さず頑張ります!!! by 佐々木

2011年06月16日

【☆10復興支援活動】パソコン入力、支援物資仕分け=義援金チーム報告

第5日目 6月16日(木)

第10グループ報告

肉体派のツルハシチームと並んで、頭脳派義援金チームも山田町役場に入った。
義援金等の書類チェックとパソコン入力作業に、盛岡市、八幡平市、静岡県からの職員合計8人で没頭している。

でも…今週は義援金の申請が一段落してきたのと、弔慰金の受付がはじまる前という、ちょうど端境期のようで、ほかの仕事をすることになった。

これは山田町役場に隣接する支援物資を集積しているコミュニティーセンターで、毎日たくさんの支援物資が届き、各避難所、仮設住宅に届けられている。義援金チームも静岡県チームと支援物資の搬入、仕分の仕事をしたが、量の多さに驚き、これだけ救援物資を必要としている人がいることを再確認した。

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義援金チームは、昼休みに山田町内を散策する時間をもらうことができた。
これは山田町の漁港にある防潮堤で、一緒に写っているのは岩見沢市職の高橋さん。身長183センチ体重100キロ。

こんな堤防を軽々越えるのかと、改めて津波の大きさを体感した。
山田町滞在ももう少し。山田町役場職員として頑張ります。
今日はダジャレはありません。

2011年06月18日

【☆10復興支援活動】第10グループみんなからのひと言

6月17日(金)

第10グループ報告

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■できることを忘れずに支援活動を続けたい
天気にも恵まれ、北海道から参加した仲間にも恵まれ、あと残り1日となった。
山田町をはじめとする、沿岸部の被害状況を目の当たりにして、自然の猛威を実感した。札幌に帰ってからも、できることを忘れずに支援活動を続けていこうと思う。
(道本部・岡本)

■子どもたちに元気もらった
今回は山田町の役場建設課の行政支援を行ったが、北海道のメンバー、役場の方々に恵まれてとても充実した支援業務を行うことができた。外勤が多かったためさまざまな地域から被災の状態を見て、あらためて言葉を失った。悲惨な状態でも子どもたちが真剣にスポーツに取り組む姿勢や笑顔を見て元気をあげるどころか、反対に元気をもらった。
山田町役場や地域の人たちのために支援できて本当に良かった。北海道に帰ってもこの気持ちを忘れずに自分にできることを引き続きしていきたいと思う。
(札幌市労 氏家)

■支援できて良かった
6月12日から18日までの7日間、山田町役場建設課の支援をしてきたが、あまりにも悲惨な震災の被害状況に直面し、言葉を失うとともに、少しでも自分たちができることをしなければという気持ちになった。今回の支援で、どれだけの支援になったのかはわからないが、今回だけではなく、北海道へ帰ってからもできることをやっていかなければならないのだと改めて実感した。短い期間ではあったが、支援をすることができて本当に良かったと思う。
(八雲町職・若山)

■思った以上に酷い状況
避難所運営、義援金業務、仮設住宅業務、支援物資業務と幅広く、浅くではあったがいい経験だった。それにしても実際に見る被災地は、思った以上に酷い状況だった。
頑張れ東北!
(岩見沢市職・背戸田)

■貴重な体験をさせてもらった
 被災地の現状を目の当たりにして非常に驚いたが、現地の人々が元気に頑張っている姿を見て逆に励まされた。
行政支援や避難所運営を行い、とても貴重な体験をさせてもらった。
(岩見沢市職・高橋)
■身の引き締まる想い、ファイト!山田!!

山田町に到着し、現状を目の当たりにし愕然としたが、何か少しでもお役にたてればと身の引き締まる想いがした。7日間、仲間に支えられながら微力でも活動を最後までやり通すことができたと思。また、素晴らしい経験ができたことに感謝の心で一杯。
ファイト!山田!!
(札幌市職・佐々木)

2011年06月20日

【☆11=復興支援活動】10班から引き継ぎOK!11班活動開始しました(^_^)/

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7、☆8、☆9、☆10、☆11(☆11は第11グループのこと)としています。

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第1日目 6月19日(日)第11グループ報告者=
各画像をクリックすると大きく表示されます。

第11グループは、上川地本2人、檜山地本1人、釧根地本2人、道本部1人の6人で参加した。

昨日は、10班と同様に盛岡で5時間待ち、宮古市に着いたのは18時過ぎ、その後、本部より説明があり、10班から引き継ぎを受けた。
「充実した10日間であったが自己満足でやっているのではないのかと迷う日が多かった。しかし現地に入り少しでも役に立ててよかった。やれることは積極的にやったほうがいいよ」とアドバイスをもらった。
 
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翌日、10班のメンバーと写真を写し、前任者の思いも引き継ぎながらそれぞれの活動場所へ移動。
業務内容は、山田町における義援金受付業務と仮設入居手続き業務、しかし、土日は閉庁のため、義援金業務はないため3人が宮古市の避難所配置となった。


宮古市の避難所は、自治会がしっかりと機能しており、われわれの業務はほぼない状態で「少しでも役に立ちたい」との思いからすると残念。だけどそれだけ避難されている方が協力しあい生活が成り立っていることだと思う。

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そのような中、ファンキーモンキーベイビーズが登場、「辛いこと・悲しいことがあったと思うが、元気を出して欲しい」とメッセージを送り一時間にわたり二千人以上の市民とともにひと時を過ごした。

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山田町派遣、チーム掛矢隊です。暑い一日山田町役場勤務?を飛び出し仮設住宅の駐車場設置運営を行ってきました。
北海道の日差ししか浴びていない3人、今日一日で赤く日焼けしてしまいました。お風呂痛かった(^_^;) お昼は鯨の焼肉弁当、さばカレーの差し入れがあり1日目から体脂肪が不安なっています。出発前85kgを増やさないように頑張ります。
あ、現地局長から日本酒の差し入れがキター(^^♪ 戴いてビンを枕に寝ます。お休み(^^)v

【じちろうNEWS】第17~21号です!

じちろうNEWS第17~21号までです

第17号をダウンロード

第18号をダウンロード

第19号をダウンロード

第20号をダウンロード

第21号をダウンロード

【岩手県本部】自治労いわて8~9号

自治労いわて8号と9号です。
9号は北海道参加者が掲載されています。
ぜひご覧ください(^_^)/~

自治労いわて第8号のダウンロード

自治労いわて第9号のダウンロード

2011年06月22日

【☆11=復興支援活動】チーム掛矢隊の一日

現地からの報告がこない…と、アップする側としてはさびしい気持ちになっていましたが、(たぶん読者の方も待っていたはず…と思いたい)なんと今回は、檜山地本通信で紹介された、せたな町職の河原さんが登場です!
暑い中の作業、読ませる超大作が届きました(^_^)v

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第1日目 6月21日(火)第11グループ報告=せたな町職 河原 泰平


山田の支援も3日目となりました。役場に配属されている6人のうちの半分の、仮設住宅に関するこまごまとしたこと!について、建設課の新たな指定管理を受けた(つもりの)当隊の一日を追ってみましょう。

☆仮設住宅への連絡物配布
まず、仮設住宅の雰囲気をつかんで来い!と、配布物を渡されて役場を出発。
目印なんて流されてないから地図なんていらないよ、と冗談なんだか本気だかわからない激励を受けて出発。確かに道路標識等一般的な目印はないけれど、チームの名に恥じないガテン系の嗅覚をもって任務を遂行、無事役場に帰着。そりゃそうだ、中心部は見通しが良くなっちゃって、どこからも役場が見えるのですから・・・現実なのに現実的でない光景にジャブひとつ・・・

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☆仮設住宅の駐車場札打ち込み
今の世は車社会。仮設住宅を建てると必然的に必要なものは、駐車場。
枠までは県で施工してくれるのですが、なぜか番号が打たれていない!!そこで我々の出番です。
ラミネートして札をつくり、区画ごとにひたすら掛矢で打ち込み。そう、我がチーム名の由来であり、主要請負業。富良野のY監督の叱咤の下、霧が似合う釧路のH技師は猛暑? にひーひー言いながらもきちんと完工していくのでした。

☆新人隊員の乱入
仮設住宅がどんどん完工されていくにつれ、建設課の仕事は忙しくなり、我々の受注も激増? 
そこで、1階に潜入している義援金チームから優秀な人材の引抜きを敢行することとしました。現れた浜中のW氏、早速張り切って掛矢を振り下ろすも、とんでもないことが。大事な大事な標識が、ほれこのとおり。さすがライバル義援金チーム、我々を欺いてとんでもない人材をよこしてくれたもんだ(~_~)

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☆当選の使者
私たちは決して汗臭いだけの男たちではありません。仮設住宅の抽選日の午後は、幸福の使者。当選された方に1軒1軒お電話をさせていただいております。ここではW氏も名誉挽回といわんばかりに、電話を掛けまくっています。
その電話の中には、待ちに待った独立した生活に、感極まって涙汲んでいるようすが受話器から漏れ聞こえてくることも。私たちが何かしたわけではありませんが、うれしいお知らせをお伝えできたことに、こちらもなんだか胸が熱くなりました。

☆明日へのエネルギー摂取
お隣の町民ホールが避難所なもんですから、毎日いろんな炊き出しの方がいらっしゃってます。黒い前掛けエプロンのかわいいギャルソンから、お世話になってます!なんて声をかけてもらうと、一体何を提供してくれたんだろうと、気になったりして。
 
今日は役場にも「お三時」にエチオピア支援関係のNPOから、エチオピアコーヒーを。濃いのに、マイルドな深い味わい。うまかった~
 
帰り際、山口のお兄さんから、豚骨ラーメンを手渡される。「これ全部はけないと俺たち帰れねえ~!」とのことから、遠慮しつつも戴きま~す!!うめえー、本格濃厚豚骨の味わいに、夕飯のことも忘れてついつい義援金チームも含め、仲良く隊員全員増量セール中です。

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【☆11G】浜中町職の渡部さんが釧路新聞に掲載されました

釧路新聞に掲載された、現在岩手で復興支援活動をしている浜中町職の渡部さんの記事です。

釧路新聞記事をダウンロード

【☆11=復興支援活動】震災後の長い時間職員どんなだったのか

義援金チーム報告 6月22日 
貴重な人材を1人引き抜かれても陽気にラーメン食べて遊んでると思われると困るので、少しまじめにレポートします。
 
義義援金チーム2人、は第10班から引き続き、災害義援金およびび被災者再建支援金の支給申請にかかる内容審査、システム入力、入力データのエラー潰しを行っています。
 
健康福祉課主任のもと、八幡平市からの派遣1人、盛岡市2人、静岡県2人の職員とともに作業にあたっています。
これまでの総処理件数は、義援金2900件、支援金2700件。
義援金については町からの支給になることから、一刻も早く被災者に届けるため、申請から最短1週間での口座への振込みを目標にがんばっています。
 
チーム掛矢隊と違って、事務職員には派手なアクションはありません。
しかし、被災地の姿とともにもう一つ、僕がここに来て知りたかったのは、震災発生直後から翌日、一週間、その後と続く長い長い時間、被災者であると同時に公務員である役場の職員の方は、どのような時間を送ったのか。
でも、職員さんの事情を知らない僕はなにも聞くことはできませんでした。

事務作業を始めて3日目の今日、少しずつではあるのですが雑談の中で、冗談交じりで話してくれました。

地震直後は役場の裏山にみんなで逃げたこと、津波が来たあと役場の屋上から街を眺めたこと、小さな火が上がったこと。
最初は本当に小さな炎だったのが街一面に広がり2日間燃え続けたこと、ただ呆然とながめたこと、なにもできなかったこと。

沖に浮かぶ島は、海水浴場になっていてとてもきれいな砂浜だそうです。
「でも今年はだめだなー。行方不明者上がってきたら困るしなー、あははは」と主任は静かに笑いました。
しかし、私はぜんぜん笑えませんでした。

あと2日、もう少し主任の話が聞きたいです。
 
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2011年06月23日

【☆11=復興支援活動】被災地に緊張・津波注意報発令~さらに緊急事態

報告者 第11グループ 渡部 
6月23日朝、岩手県沖を震源とする地震が発生、防災無線から津波に注意するよう繰り返し放送され、宮古市内は消防車のサイレンが鳴り響き、東日本大震災のあの日の記憶が思い起こされた。
児童生徒は自宅待機、避難指示や勧告が出された町もあった。
個室で地震の揺れを感じ、「Ahせたなぁ~」とKさん、山田町へいつもの海岸沿いの国道45号線を迂回し、内陸の県道を通勤バスは進んでいった。幸い一時間ほどで注意報は解除され、一安心第5日目の活動がはじまった。
 
☆チーム掛矢隊は、仮設住宅の物資搬入、入居希望者対応。
仮設住宅の入居対応、支援の物資を各戸へ搬入。

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ここで事件が。トラックから隊員が転落、大事をとって役場近くの病院に受診、診察を終え帰ってきた隊員の腕には、三角巾が巻かれていた。復興支援の業務をこなし、時には町内の被災状況を精力的に調査した。第11グループのムードメーカー、骨折により支援活動を止むなく離脱することに、その意思をしっかりと受け止めた。


翌日帰路に着く隊員

その晩は、宮古市長からの夜の復興支援要請に基づき、夜の街に支援活動を展開し、せたな町職の仲間との別れを惜しんだ。
 
 

2011年06月27日

【☆12=復興支援活動】11班から引き継ぎOK!12班活動開始しました(^_^)/

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7、☆8、☆9、☆10、☆11、☆12(☆12は第12グループのこと)としています。

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第1日目 6月26日(日)第12グループ

活動初日、第11グループからの引継ぎを受け、避難所へ2人、山田町建設課へ行政支援に出かけた。

避難所のローテーションは24時間勤務体制をとっており、昼間だけの対応は北海道のみであった。地震発生から一定の時間が過ぎており、避難所への来客もあまり多くはなかったが、被災した住民の皆さんの笑顔が見られるように、少しでも役に立つことがあれば努力したい。
詳しくは、下記をクリックしてご覧ください。
画像もファイルの中に添付されています。

第12G報告をダウンロード

2011年06月28日

【☆12=復興支援活動】おにぎり弁当はおかずにたこ焼き?

6月27日(月)第12グループ報告

活動2日目、今日から第12グループフルメンバー(6人)で、山田町役場に行政支援として向かいます。
 途中国道45号線、津波が築堤を乗り越えるとともに、水圧で防波壁が破れた状況に視線が止まる。

詳しくは、下記をご覧ください。

6月27日(月)第12グループ報告をダウンロード

2011年06月29日

【☆12=復興支援活動】報告者は誰?毎回読ませてくれています

第12グループ=6月28日(火)活動3日目

今日は朝から仮設住宅入居の電話連絡に没頭の青柳さん。

一方では、42才の若造青柳を事務所に置き、奮闘する53才コンビ竹鼻さんと鈴木さん(3枚目右)は、避難所に救援物資を運ぶ。今日は静岡隊とともに朝から忙しい。

つづきは下記をご覧ください。

第12グループ=6月28日(火)をダウンロード

2011年06月30日

【☆12=復興支援活動】12G着々と業務遂行!しかし内乱勃発、消えた櫛部氏!

第12グループ=6月29日(水)活動4日目

前日の肉体労働の疲れか、今日は朝から建設課で駐車板の作成の竹鼻さん。
その間、静岡隊(県)とともに支援物資の個数確認の鈴木さんと青柳さん。(暑い!今日の予想気温は30℃)


つづきは、下記をクリックしてください
第12グループ=6月29日(水)活動4日目をダウンロード

【じちろうNEWS】復旧・復興事業公契約で

じちろうNEWS第22~23号です

じちろうNEWS第22号をダウンロード

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