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【☆6復興支援活動】何年か後、このメンバーで宮古に来よう

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第6グループ1班:黒坂(道本部)、2班:若松(標茶町職労)5月21日(土)・22日(日)

第6グループの活動もいよいよ終盤戦。
先日姉妹都市の炊き出しに来ていた八幡平市の西根中学校の生徒さんに演奏と合唱に来ていただく。スタッフも機材の搬出入を手伝う。そのすぐあとには、地元では有名な「中川あいこ」おばちゃん一行が民謡・お笑いショーを披露し、みんなで頑張ろうとエールを送るとともに「頑張ろう宮古、頑張ろう田老」と呼びかける。


【写真】八幡平市立西根中の演奏風景


【写真】「中川あいこ」おばちゃん一行の演奏風景

午後は、上士幌町職の菅原さんをメインに避難所の人たちやボランティアスタッフにも協力してもらってサッカー大会。子どもたちの動きについて行くのがやっとの大人たち。
子どもたちのいい気分転換になれば幸いである。


【写真】子供たちとプレーをする下関市のボランティアスタッフ


【写真】中央は標茶町職労の若松さん


【写真】非番を利用して駆けつける3班の苫前町職伊藤さん

第6グループの昼番の活動を終え、引き継ぎの時に仮設住宅に移られた方から、お世話になったお返しと、これからも頑張るという意味で作ったというキーホルダーをプレゼントしていただいた。メンバー一同の宮古に寄せる「絆」がまた一つ生まれた。


【写真】仮設住宅に入居された方がわざわざお礼に来てくれました


【写真】いただいたキーホルダー。メンバーにとっても宝物です。右側は中標津町労連山口さん

5月22日(日)
宮古市職労伊藤執行委員長の案内で被害の大きかった田老地区の視察に向かう。我々グリーンピアに通っていたメンバーにとっては今日がいよいよ最後の日程。10mの高さのX型堤防の内側に初めて足を踏み入れる。木造の家屋は基礎部分以外ほとんど残っていない。場所によってはコンクリート製の建物であっても倒壊している。宮古市街方向からの波ともう一方の波により渦のような流れが起き、被害が大きくなったという。改めて津波の威力を思い知らされる。災害復興計画は今年10月を目安に作り上げられる。具体的な作業はこれからだとのこと。自治体職員としても高い関心を寄せたい。あとは陸路で盛岡まで移動・宿泊。花巻空港より帰道。誰からとなく「何年か後にこのメンバーで宮古に来よう」と確認し合い、任務終了となった。


標茶町職・若松さんの感想をダウンロード



【写真】倒壊したガソリンスタンドの建物


【写真】3階部分まで被害を受けたホテル


【写真】任務終了し一路北海道へ

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2011年05月25日 18:58に投稿されたエントリーのページです。

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