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2011年05月 アーカイブ

2011年05月01日

【☆3=支援活動報告】第3グループ最終日=自立を大切にする宮古小避難所

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ


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第3グループ=第1班:樺澤です。


今日(5月30日)は勤務最終日でした。宮古小学校の子どもたちは非常になつっこく、お別れするのが大変でした。

宮古小学校に避難されている方々は、自立ということを非常に大切にしていて、支援物資も必要最低限のものしか頼まないというスタンスでこれまで生活してきました。そのため宮古小学校は避難場所の中では特異な存在といえます。
しかし、復興ということを考えればもっとも早くするであろうと思います。非常に意識が高く、班長を中心によくまとまっています。

私たち支援チームに依存することなく、自分達で基本的にやっているので、ある意味では不完全燃焼な面もありました。しかし復興支援というものは決まったものではなく、子守りも含めて、現地の方々望むことをすることが復興支援だということを身をもって体験しました。

2011年05月02日

【☆4=支援活動報告】北海道の担当ガラリと変る=第4グループの活動がはじまりました!

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ


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第4グループ=道本部・酒井康弘


5月2日(月)第4グループの活動がはじまりました。

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これまでの北海道の担当とガラリと変わって戸惑いも多い中ですが、連休中の志願者が多く積極的、意欲的なムードの中で頑張ってます。


夕食の配膳

1班、2班が合同で担当になったグリーンピア宮古は450人ほどの大所帯、3班は80人ほどの宮古第2中になりました。
状況は、今後ボチボチとお伝えします。

20110501bussi.jpg
支援物資保管の体育館

【じちろうNEWS】被災地の小学生にカルタと寄せ書き、DVD

自治労本部の「じちろうNEWS]です。

じちろうNEWSをダウンロード

2011年05月03日

【☆4=支援活動報告】テントが…とてつもない強風の一日でした

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ

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第4グループ=1・2班:道本部・酒井康弘

5月3日(火)

北海道のメンバーは、同じバスにのって出発し、まず3班が宮古第2中学校で降り、1、2班は田老地区を越えてグリーンピアまで行きます。
避難所の中にいて忘れていましたが、翌朝に気づくと、活動初日の昨日はメーデーでした。全道集会も大通で開催されたはずですが、デモ行進なしというのは寂しいですね。
こんな時だからこそ、働くものの団結で、みんなが安心して暮らせる社会をしっかり立て直そう、手をさしのべあい励まし合い、東北復興にみんなで立ち上がろう、と、大きくアピールすべき、してほしかったと感じます。
バスの中から田老の風景を見つつ、そんなことを考えながらグリーンピアに着きましたが・・・。
 

テントは撤去…自転車も…

今日の宮古(東北、北日本全域?)は、とてつもない強風の一日でした。グリーンピア組は朝8時に到着してバスを降りるやいなや、目の前でテントが強風にあおられて風前のともしび! スタッフルームへの出勤も省略して、避難所の中からの応援を頼み、必死の?撤収作業に集中。テントの後は仮設トイレ対策。
いやー、朝から大変でした。でも、一声かけたら多くの人がすぐ集まってくれて、当たり前とはいえ良かったです。いろんな機会で、避難所の皆さんに呼びかけて積極的にやってもらうことは意味あると感じます。



グリーンピア正面

グリーンピアは大所帯の避難所で、自治会組織もこの5月からやっと立ち上がったばかりです。今まで自治労やボランティアが担っていた配膳や給湯など各区(避難所の居住スペースごとのブロック)から担当が集まってやっていく体制が始まりましたが、当然試行錯誤で、私たちのかかわりのあり方もまた、模索しながらの滑り出しです。
それでも、市の担当の方やボランティアの方々とのコンタクトもだいぶスムーズになり、避難所のみなさんともやわらかい感じでのあいさつになってきたと感じます。
さて、明日もがんばらないと。
 

【☆4=支援活動報告】温かいみそ汁、疲れがとれます。

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ

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第4グループ=1・2班:全道庁後志の岩田です

昨夜9時
キッズコーナーの後片付けです

ブロックやトミカが散乱してました
寝ている方もいらっしゃるので音を立てないように


朝4時45分

住民の皆さんが少しずつ起きてきます。お湯を沸かして10台のポットにどんどん
補充します。


朝7時


自衛隊の方が炊き出しを運んできます。
今朝のメニューはごはん、みそ汁、納豆、きんぴら、きゅうり漬け物。
温かいみそ汁が本当にありがたい。疲れがとれます。

9時

朝ご飯の片付けがおわり、30カ所の仮設トイレを掃除する時間です。
避難所建物内のトイレが不調のため、こちらをメインで使用しています。
とっての消毒を施し感染症を予防です

9時54分

避難所の受付です。
市内の高校生が取材に訪れました
初期対応を行い市役所の職員さんに引き継ぎます

12時43分

配膳後に昼食をいただきます。メニューはごはん、レトルト牛丼、ツナサラダ、小松菜のスープ

13時16分

屋外の流し台で洗い物。


灯油を補給

前日の強風で撤去したテントの張りなおし
足をたたむ工程を省略したため五十肩のおじさん達にとって過酷な作業

敷地内で自衛隊さんが支援物資を調理してくださっています。とても美味なので
毎食楽しみです


子どもと遊ぶのも大事な仕事
大人気なのは岩内町職の菊地さん

19時

左から岩間さん、李家さん、若林さん

ベースキャンプから夜勤班が到着。急いで引き継いで日勤班の業務は終了です。
夜勤に入る全道庁網走の李家さんと岩間さんはこれから過酷な24時間勤務に入り
ます。

2011年05月04日

【☆4=支援活動報告】14:00、避難所に渡部謙が?

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ

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第4グループ=1・2班:全道庁後志の岩田です


完全防備でトイレ掃除を行う若林隊員。アドレナリン全開で気合いが入っていま

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元気に業務開始。


地元ボランティアの方と打ち合わせ

今日は渡辺謙が避難所を訪れるようで
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13時55分
アルバムの泥を水で落とす女性。
旦那さんとの思い出を話してくださいました。

【☆4=支援活動報告】宮古第二中学校から=支援の難しさ感じる

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ

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第4グループ=3班、斉藤桂子(深川市職労)

第4グループ3班は、これまでの担当が変更となり宮古第二中学校避難所を担当。
ここの避難所は、被災されたボランティアを中心に住民主体の生活をおくっています。

避難所内の風景

私たちの活動は
・市職員のサポート(不在時の受付など)
・配膳の手伝い
・換気
・移動風呂の清掃
を中心に、その他気づいたことをサポートしていくというものです。

前任の京都班から、避難所内でインフルエンザが発生したとのことで換気には気をつけるよう引継ぎがありました。
体育館内の窓の開閉は、2階ギャラリーへ上がっての作業で全部の窓を開け閉めするには10分ほど時間がかかりなかなかの体力戦です。

震災から2カ月近く経過したということもあり支援物資が山のようにありました。
煩雑なものを少しでも見やすいようにとラベルをつけたり並べ替えたりもします。

物資いろいろ

また、空いている時間を利用して清掃したり

班長の凛々しい姿
※ゴルフの素振りではありません。


班員の凛々しい姿


忘れ物・落し物が増えてきたのでまとめたり

班員の雄姿

女子更衣室の換気をしながらの花見?
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岩手の桜=クリックすると大きく表示されます


本日5月4日は、俳優の渡辺謙さんが慰問。
一人一人と話をし、避難所内が少し明るくなりました。
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行政と民間ボランティア、そして自治労支援との兼ね合いの難しさを感じながら残りの日程も支援していきたいと思います。

【☆4=支援活動報告】明日はこどもの日

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ

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第4グループ=1・2班 岩田恵孝(全・後志)

5月4日(水)

明日の子どもの日に備えてお菓子を袋詰めをしています。

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【☆4=支援活動報告】俳優の渡辺謙さんが激励に!いちごとバナナの差し入れ

第4グループ=1・2班 岩田恵孝(全・後志)

5月4日(水)

俳優の渡辺謙さんが激励に来ました。
約2時間半、各個人の居住スペースを訪ねて回っていました。

差し入れのイチゴとバナナはこれから夕食でいただきます。

【☆4=支援活動報告】夜勤者と交代  「がんばるぞ!」

第4グループ=1・2班:第4グループ:1・2班 岩田恵孝(全・後志)

5月4日(水)19時22分

今日の夜勤は道本部酒井団長と企業局労組の伊藤さん。
明朝の湯沸かし頑張ってください!


2011年05月05日

【☆4=支援活動報告】今日はこどもの日!大イベントはじまります

第4グループ:1・2班 第4グループ:1・2班 岩田恵孝(全・後志)

5月5日(木)11時40分
今日は子どもの日。大イベントがはじまります。

地元の歌手の方が、そば1000食を用意してくださいました。
他にもからあげ、フランクフルトなどもあります。
我々も昨日袋詰めしたお菓子を配ります。

今日の田老は最高気温8℃。少し肌寒いですが、大変な盛況です。

【☆4=支援活動報告】今日から3連続夜勤!

第4グループ:1・2班 岩田恵孝(全・後志)

5月5日(木)19:55
本日の夜勤は、全道庁十勝の佐藤さん中央と岩内町職の菊地さん右。今日から3連続
の夜勤です。頑張って!


21:25
一方、ホテル組の自治労ボランティア団。
今日は青森県、奈良県の方達と合流。
食後、青森県の方が美しい音色を披露してくれました。

疲れが吹き飛びました。

2011年05月06日

【☆4=支援活動報告】残り2日!できることをやってきます

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第4グループ=3班宮古第2中学校、斉藤桂子(深川市職労)

※5月6日(金)朝6時起床

6:20からはラジオ体操です。
ラジオ体操風景を写真に撮ろうと思ってたのですが、一生懸命になりすぎて写真を撮ることを忘れてしまいました。
本日の朝食は、ご飯・なめ茸・たくわん・なめこの味噌汁でした。
きのこづくし…
昨日の夜には出入り口にこんなものがありました。

聞くところによるとこちらの地域でこのようなものを作る風習は特にないとのことでした。
ほかの避難所でも同様のものが置かれているようなので、どなたかのお気持ちなのでしょうね。

昨日、24時間勤務明けの私は山口小学校を視察してきました。
第3グループまでは北海道が担当し、現在は秋田が担当しています。
各避難所にはそれぞれのルールがあるようで、秋田の方とお話しながらも「ウチとは違うな~」ということばかりでした。

「北海道チームが作ったキッズルームは好評です」と聞きました!

山口小学校では1日2回、加湿のために2階ギャラリーにタオルを干すそうです。
※宮古第二中学校では加湿はしてません…

ベースキャンプ近辺も歩いて回ってみましたが
被害の少ないところ、甚大なところ、さまざまでした。
1本道を挟んで被害の違いがあったり、解体OKの文字も多く見かけました。
言葉になりませんでした。

BC近くの民家

残り2日!できることをやってきます。

【☆4=支援活動報告】北見の隅田市議、田老で誕生日・58歳!おめでとうございます(^_^)/

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ

今朝、北見市職労から教宣紙が届き、「単組・組合員ニュース」にアップしましたが、その中で組織内市議が支援活動に参加しているとのことでした。隅田さんは本日が誕生日とのこと。ぜひ、隅田さんの報告がほしい!と思っていたら、届きました!
忘れられない誕生日になりそうですね。お疲れさまです。
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第4グループ=1班:隅田一男(北見市職労・組織内市議)

5月6日(金)

北見市の隅田です。 

救援活動も残すところ2日となりました。
本日、58歳の誕生日を田老でむかえ、朝6時から散歩をしていたら写真張を見つけ、自治労中央本部の方に市役所に届けてもらうようお願いしました。

職員さんと話をしたら、まだまだ写真や位牌などを探しきっていないとのことでした。

取り壊す家を中心にボランティアの力が必要であり、自衛隊だけでは無理のように感じました。


てまえが隅田さん

【☆4=支援活動報告】今日も元気いっぱい頑張っています!

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【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ


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第4グループ=1・2班:岩田恵孝(全・後志)

5月6日(金)

今日も元気いっぱいの1.2班です。

受付業務、朝食の片付け、ゴミの運搬、トイレ掃除、物資の仕分け、など精力的
に活動しています。


ゴミの運搬


物資の仕分け

【☆4=支援活動報告】北海道の湯豆腐に長蛇の列!

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ


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第4グループ=1・2班:岩田恵孝(全・後志)

5月6日(金)
画像の1、3、6番目はクリックすると大きく表示されます


豆腐が手に入ったので夕食に活用します。
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近くの道の駅で地元産昆布を購入。湯豆腐を作ることにしました。

物資置き場からネギと椎茸をもらい、給湯室で調理です。

夕食時間の17時40分過ぎ、酒井団長が「北海道の湯豆腐を召し上がってください!」とアナウンスすると長蛇の列が。

なんでも避難所で豆腐を食べるのは初めてだったそうです。
たくさんの方達に「おいしかったよ」と声をかけていただき、大満足の隊員たちでした!

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2011年05月07日

【☆4=支援活動報告】支援活動も明日1日残すだけ。自治労として支援できること

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【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ


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第4グループ=3班:斉藤桂子(深川市職労)

5月7日(土)10:54

支援物資をどのように住民に渡すのか、という問題を直面するようになってきました。
現在、宮古市では避難所以外で生活されている方へも支援物資を渡しています。
今後、避難所内で生活されている方との公平さをどうするのか
宮古市の判断が求められるようになってくるので
第5グループ以降の課題になると思います。
※判断は市職員がしているので、私たちは対応するのみですが・・・

今日も夜勤明けということで
個人的にあちこち回ってきました!
宮古市役所を視察。
丁度、窓口があいてるときにお邪魔しました。
外観は、みなさん以前の報告で見てるかもしれないので、内部から見た出入り口を。

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エントランスホールの被害は大きかったのが目に見えてわかります。

さらに北海道チームが担当していた愛宕小学校にも行ってきました。
愛宕小学校は現在京都チームが担当しています。
中に入ってびっくり。支援物資(食料分)がたくさん。

愛宕小学校では各班で役割を決めてやっているようで
3班が担当している宮古第二中学校に通じるものがあるかもと思いました。

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20110507sono3.jpg

電子レンジがあったり、物干し場があったりと少し充実しているのかなとも感じました。
表を見ると仮設住宅の建設が急ピッチに進んでいました。

時間に余裕があったので魚市場・道の駅まで足を伸ばしてきました。

今までの災害の教訓があるのかこんな表示も見かけました。

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20110507sono8.jpg

魚市場はがれき集積場になっていました。

支援活動も明日1日残すだけとなりました。
自治労として支援できることをしてきたいと思います。


【☆4=支援活動報告】避難所に通って一週間・がんばろう東北、がんばろう宮古!

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ

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第4グループ=1・2班:隅田一男(北見市職労)

5月7日12:51

田老の町のがれきを見ながらグリーンピアの避難所に通って一週間が経とうとしています。

青森県本部のお2人と

420人の被災者との支援・交流は24時間体制で一緒に過ごさせていただき、最終日の今晩は若者が夜勤に入り別れを惜しみます。

色々と知り合った入居者さんとの別れは寂しいですが、お互い次のステップにむけて頑張らなければなりません。

東北の皆さんからは、人のやさしさ、支え合い、思いやりを教えてもらい再認識しました。

「子どもには希望」
「大人には安定(仕事)」
「老人には安心」
が今、必要です。

「がんばろう東北、がんばろう宮古!」
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【☆4=支援活動報告】1、2班、任務終了!あっという間の一週間

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【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ

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第4グループ=1・2班

5月7日20:15

あっという間の一週間が過ぎました。
日勤の隊員は避難所のみなさんとお別れです。

20110507-maiku192452.jpg

市役所の方のご好意で、マイクを使って住民の皆さんに退任のごあいさつをさせていただきました。

20110507minna193132.jpg

入口でたくさんの方から見送りされ、感傷に浸りながらベースキャンプ行きのバスに乗る1、2班の日勤隊員でした。

次の任務は第5グループへの引き継ぎです。
ベースキャンプでは、このあと20時30分からグループ合同の打ち合わせ。
そして、最終任務は現地の案内となります。
今夜も菊地さんと佐藤さんが夜勤に入っているので、明朝、避難所において引き継ぎを行い、第4グループの任務は終了となります。

2011年05月08日

【☆5=支援活動報告】第5グループ到着!被害状況の説明受ける

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【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=道本部・上島早苗

5月7日00:20
集合写真と桜の写真は、クリックすると大きく表示されます

第5グループはJRで青森入りした渡島・檜山組と青森空港で合流し、バスで約5時間かけて宮古市入りしました。
20110508syugo.jpg

宮古市は、私たちが通ったルートはホテルに着く直前までほとんど被災のようすが見受けられませんでした。コンビニも飲食店も営業しており、着々と復興を進めてきているようです。
しかし、そうした「普通」の町並みが、突然津波の傷跡が生々しく残る町並みに変わりました。きっと津波の到達の境目なのだと思います。

ホテルに到着し、新たに任務に入る他県本部の人たちとともに今後の行動について説明を受けました。
最初に、宮古市職労が市役所庁舎から撮影した、津波がマチを襲うようすを記録したDVDが上映されました。あっという間に水かさを増し、堤防を越えマチを襲う津波と、通行人に向かって「逃げろー!」と絶叫する市職員。
このマチを襲った惨劇を映像で目の当たりにし、これから入る支援行動に身が引き締まる思いでした。

その後、宮古市職労の澤田書記長から被害状況の説明がありました。市役所は1階が浸水し、パソコン、書類すべてが流され、翌朝水が引くまで市役所内に取り残されたとのこと。田老地区では職員が診療所の患者を連れて高台まで避難したが、足元まで水が来ていたこと。
地震直後の2週間は瓦礫で車が通れず、職員がレール上を歩いて支援物資を避難所に運んでいたことなどが話され、そうした状況のなか自治労の支援が入ることについて深く感謝の言葉を述べられました。

<澤田書記長>

夜は任務を終えて戻ってきた第4グループとの引継ぎです。
妙にしんみりしているなーと思ったら、第4グループの支援報告を読んで納得。涙涙のお別れをしてきたあとだったのですね。
第4グループが作ってくれた信頼関係に感謝しながら、明日からの任務に入りたいと思います。

20110508sakura.jpg
桜がきれいです


産直販売所で宮古市のイチゴが売られていました。とっても甘かったです。300円でした。

【☆5=支援活動報告】第5グループに活動を開始!虹!虹!虹!

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【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=樋口(北斗市職)

5月8日21:24

第5グループの活動がはじまりました。

第4グループに引き続き第1、2班はグリーンピアでの活動、第3班は宮古第2中学校での活動となります。

ここでは、グリーンピアでの状況をお伝えします。
グリーンピアでは大所帯ということもあり、自治会組織が機能しはじめていることや、第4グループのみなさんが築いてくれた信頼関係が非常に大きいことから、思っていたよりもスムーズに活動を開始できたと感じています。

受付業務担当の伊藤さんと上島さん。笑顔が爽やかです!

昼食の配膳中の高井さん(右)と私、樋口です。

今日の天気は晴れていて暑いなぁと思っていたら、予報どおりの突然の雨。
でも、その雨のあと・・・

虹!虹!虹!(笑)
思わず上島さんの場内アナウンスもありました。
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クリックすると大きく表示されます

こんなにはっきりした虹はなかなかないですね。
これも被災者為の応援?!けっぱろう宮古市!

社民党 福島瑞穂党首が訪れました。

授乳室兼女子更衣室。周囲を覆った女性専用物干し場もありました。

こんなものも見つけました。クリックすると大きく表示されます
20110508book.jpg
<ブッシオフ>


煎茶サービス 新茶!

2011年05月09日

【岩手県本部】今こそ、働く者の連帯を!

岩手県本部が発行する東日本大震災特集号「自治労いわて」です。
1面は、第82回メーデー、2面は、復興支援についてです。
ぜひ、ご覧ください。

ファイルのダウンロード

【☆5=支援活動報告】第3班は、宮古第二中学校で活動。朝6時のカーテン開けではじまります

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=3班:三上晃典(名寄市職労)

5月9日08:55

第5グループ第3班は宮古第二中学校での支援活動です。
第3班の5人が昼番3人・夜番2人のシフトで任務にあたっています。
宮古市職員の方も朝から翌日の朝までの24時間体制の交代で勤務しています。

【写真・避難所の全景】

初日は昼番が成田さん(上ノ国町職)・近藤さん(北見市職労)・玉置さん(斜里町労連)
夜版が根本班長(道本部)・三上(名寄市職労)という体制でスタートします。
20110509syupatu8hi.jpg
【3班の5人】

夜番が到着すると、19時から班長会議があります。
住民8班の各班長+宮古市職員+自治労(昼番&夜番)。この班長会議で、市からの連絡や懸案事項の確認をします

夜は21時に消灯し、22時に施錠となります
昨夜は消灯後に「子どもが歯痛で痛み止めがほしい」というお母さんが本部に来て
懐中電灯で子どもが飲んでも大丈夫な薬を探しお渡ししました
昨夜は居ませんでしたが、仕事などで施錠後に帰ってくる方のために鍵を開けるということもあるため、色々な対応があります。

避難所の朝は、朝6時のカーテン開けで一日がはじまります。
体育館の2階に上り、暗幕を開けていきます。
真っ暗だった体育館に気持ちの良い朝の陽射しが差し込んできます。

【カーテン明け】

6時20分からはラジオ体操が始まります。みんな元気よく身体を動かしています。

ラジオ体操が終わる頃に自衛隊から朝食が届きます。食事はすべて大きなビニール袋に入って運ばれます。
特に、みそ汁などの汁ものを袋から鍋に移す作業が難しく、こぼしてしまいかねないため、慎重に作業が必要です
9日朝のメニューは「ごはん・みそ汁(もやし&きのこ)・おでん」でした。

【朝ごはん】

食事が終わって一段落すると、体育館全体の換気をします。
カーテン開け同様、体育館2階に上がってクランクを回して窓を開けていきます。
体育館では石油ストーブを焚いているので、適度な換気が必要となります。

【換気クランク】

昼番が到着し、昨夜起きたことなどを引き継いで夜番と昼番が交代します。
今日の日中の任務、昼番のみなさんよろしくお願いします。

今日は月曜日で、学校に行く子どもたちや仕事に行く方々が多くなり、日中に避難所に居る方は土日よりも少なくなります。

8日から9日朝にかけて宮古第二中学校担当の宮古市職員・宇都宮さんの話では、津波の被害があってから1週間、ずっと市役所で寝泊まりしていたこと。
その間、テレビの電波も新聞も来ない状態で情報が遮断されていたこと、また、福島原発の事故を知ったのは震災発生から1週間後だったと話していました。
宮古市役所でも、「世間では大騒ぎだべなぁ」と思ってはいたけど、まさか福島原発で事故が起こっていたとは…と大変驚いたそうです。

8日の新聞・岩手日報の一面で平泉がユネスコ登録になるニュースが報道されていました。
岩手県民にとって、平泉の世界遺産登録は喜ばしい大ニュースだそうで新聞の見出しが緑色というのも初めて見る珍しいものだそうです。
20110509yunesuko.jpg
【岩手日報】クリックすると大きく表示されます

【☆5支援活動報告】船越さんや市職員との信頼関係の深さや強い絆に感銘を受けた

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=1.2班:及川(新ひだか町職 )


みんな元気でやってます。
北海道チーム日に日に結束力高まっています!

5月9日21:50

第5グループ第1・2班2日目の活動報告です。写真はのちほどアップします。

昨日に引き続き第1・2班はグリーンピアでの避難所運営のお手伝いのほか、本日から新たな業務が追加となりました。
 
■支援物資の仕分け作業 (安達・太田・及川)

<仕分け作業>
支援物資は全国各地から今も贈られており、数や種類も膨大で、その支援物資をまず食料・日用品・衣服に大分類し、その後、更に細かく使用目的に仕分けする作業を行います。
仕分けチームは、本日、衣類の選別を行いました。やはり、支援物資で1番多いのは衣類で、全国から届いた心のこもった衣類が山のように積まれていました。
明日以降も東北財務局・ボランティア・市職員の方々と継続して業務を行う予定です。
 
■写真洗浄作業

洗浄作業(東)(相内・渡辺・東)

瓦礫や倒壊した住宅から自衛隊の方などが取り出したアルバムから写真を抜き取り洗浄する作業です。泥にまみれて真っ黒に汚れている写真をハケなどで丁寧に汚れを除去し、市の職員に誰が写っているか確認していただきます。
 
仮設住宅の建設も急ピッチで進んでいますが、当初、11日から入居がはじまり、我々も「お引越しの手伝いを」との引継ぎで、張りきっておりました。しかし、「入居は15日頃までずれ込みそう」とのことで、お引越し手伝い業務は、第6班に委ねることになりそうです。

仮設住宅
 
仮設への入居は、被災者の皆さんの切実な願いではあります。
仮設が立ち並ぶグリーンピア周辺は、高台で津波の心配はありませんが、商店などが一切なく、入居者の多くが高齢ということもあり、入居後の生活支援など「新たな問題が発生することになる…」とボランティアリーダーの船越さんはおっしゃっていました。
 
本日、曹洞宗青年部から新たに3人のお坊さんがボランティアとして佐賀県からいらっしゃいました。明日からもお坊さん達と力を合わせて頑張ります!

お坊さん
 
左から ナガイ和尚 ムカイ和尚 ワタナベ和尚 ミヤジマ和尚
今日も無事に1日の業務が終了しました。用意した食材が足りないなどの不手際がありましたが、誰ひとりとして被災者の方々は文句ひとつ言わずボランティアリーダーの指示に整然と従う姿に、この地域の方々の忍耐力の強さを感じるとともに、船越さんや市職員との信頼関係の深さや強い絆に感銘を受けた1日でもありました。

2011年05月10日

【☆5支援活動報告】ボランティアフォードさん、朝食はこんな感じ、市役所では今…

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=3班:三上晃典(名寄市職労)

5月10日(火)08:37

◇9日夜の班長会議から、今夜の夜番がスタートします

【班長会議の写真】

議題の中で、支援物資の取り扱いについての話題となりました。
仮設住宅に引っ越して避難所を出た人達については、米とか家電も一通り揃い、商店の品揃えも回復してきています。
独立が原則!が宮古市としての考え。

班長さん達からは「(避難所外の人に)避難所の支援物資を渡す・渡さないは市役所で統一の見解を出してほしい」との要望がありました。

実際、市内の各避難所での対応が違っていたり避難者間の会話の中で「○○小に行けば△△が貰える」など噂が広まっていたりするのも聞こえてきているそうです。

住民対応としての部分、市全体で決めていくルールとしての部分や、いろんな兼ね合いもあり、市職員としても対応に苦慮しているという率直な想いが宮古市職員の方からも話されました。

◇民間ボランティアのフォードさんとチャーリーさん

民間ボランティアで来ているフォードさんとチャーリーさんです。
フォードさんは奥さんの実家が宮古市で、何度も宮古市に来ている方です。日本語もペラペラです。


【フォードたちと(中央がフォード)】

フォードさんが作成した宮古市の被災状況をまとめた動画をipadで見せていただきました。
(フォードさんの職業はコンピュータプログラマ)


【ipadでford作成の動画を見ています】

動画は、津波の被害にあった市内のありのままの姿。震災から立ち上がろうとする市民の姿などが紹介されています。

避難所の住民の方とも一緒に見ました。動画を見ている住民の方の目には涙が浮かんでいました。
我々も悲惨な状況に言葉を失っていました。この震災から宮古市が復興していくために
支援活動を精一杯がんばりたい思いが強くなりました

動画はYouTubeでもアップロードされています
http://www.youtube.com/watch?v=-VnPvEloDT0

9日の深夜は大雨で
体育館の屋根に雨が当たる音がうるさい夜でした。住民の方も安眠できたかどうかちょっと心配です。

◇10日の朝ごはんの配膳です。

大袋に入った味噌汁を鍋に移し替えます、こぼさずバッチリできました。
フォードさんも配膳を手伝ってくれていました。
器用に箸をつかい、きんぴらを小鉢に取り分けていきます。

【味噌汁うつしかえ】

【フォード・食材配膳】

【朝ごはん】

自衛隊から袋状態で届く食材はこんな感じです。

【袋食材(ごはん)】

【袋食材(味噌汁)】


◇宮古市役所ではいま…

今朝まで宮古第二中担当だった宮古市職員・箱石さんの職場は財政課で。ここ最近での仕事についてお話を聞かせていただきました

4月15日の臨時議会で23年度1号補正が可決され、6月の市議会で2号補正となっているのですが、補正というよりも当初予算を全面組み換えとなる予定だそうです。
現在、箱石さんは各課のヒアリングの業務に携わっています。

震災にかかる財源確保で、予算を落とせるところは落とすのですが、生活や福祉など落としようのないところも多く、財政担当者としても大変であることを伝えてくださいました。

震災にかかる予算措置も、超法規的措置が取られ、契約関係で予算議決前の契約締結で支出を施行していたとしても遡って有効にしたりなど、融通を利かせた財政運営を行っているようです。

3月などは、工事の支払いで書類が見当たらず支払額の全貌が見えない中でも、震災復興の工事をする企業に払えるだけ支払うという形があります。それも企業に対する復興支援の側面でもあったと話してくださいました。


【☆5=支援活動報告】お風呂カー再開と洗濯物干し場づくり

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=3班:近藤洋徳(北見市職労)

5月10日(火)09:54

◇お風呂カー復旧

3班が担当する宮古第二中学校の入浴施設として活躍していたお風呂カー(車両後方コンテナ部にユニットバスがついている感じ)が、私達の到着日(7日)に故障していました。直るまでには時間がかかるのでは、との見通しでした。

【お風呂カー】

日中の気温が20℃を超えだした中、お風呂に入れない日が続いてしまわないかと心配でした。
9日にメーカーの方に修理していただき、無事に直りました!
昨晩の班長会議で皆さんにお伝えし、今日からまた入浴いただけます。


お風呂カー再開にむけて、掃除に励む玉置さん(斜里町労連)です。

◇洗濯物を干すスペースづくり

宮古第二中学校には洗濯機は設置されていますが、洗濯物を干すスペースが十分に確保できていません。

そこで、体育館アリーナの一部を洗濯物干しスペースにするべく、ボランティアの方と協力しながら作業を行いました。



外国人ボランティアのお二人は、日本語が堪能でコミュニケーションもバッチリです。

【☆5=支援活動報告】餃子で有名な「大阪王将」の炊き出し

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=1・2班:伊藤 公(江差町職)

5月10日(火)21:00

2日目の活動報告です。

第1・2班はグリーンピアでの避難所運営のお手伝いの他、昨日から支援物資の仕分け作業と写真洗浄作業が加わりましたが、本日は支援物資の仕分け作業は人数が足りていることから、避難所運営と写真洗浄作業のグループに分かれました。

■避難所運営
(上島・伊藤)

写真洗浄作業グループと別れ、私たち2人は受付係をしながら避難所運営の手伝いをしています。私は、給湯作業をメインとしており、お湯の必要な時間帯を見極めながらポットのお湯が切らすことないよう細かく点検しています。

「湯沸し番長・伊藤」?

受付係では、主に来客者の応対がメインですが、上島女性部長が日に日にアナウンスが上手になっています。

今日は、避難所に新たに1人が来ました。世帯人数で区画が決まっており、そのダンボールで間仕切りを作る作業もしました。

■写真洗浄作業
(渡辺・東・太田・及川・樋口・高木)
昨日からの引き続きの作業で、瓦礫や倒壊した住宅から自衛隊の方などが取り出したアルバムから写真を抜き取り洗浄する作業です。泥にまみれて真っ黒に汚れている写真をハケなどで丁寧に汚れを除去し、市の職員が、写っているひとを確認します。


今日は、餃子で有名な「大阪王将」の炊き出しがありました。

〈ぎょうざ行列〉

10時半から炊き出しがはじまり、その列が途切れることがありません。
13時半にようやくその行列が終わりました。
餃子を食べた皆さんの感想は、「美味しい。美味しい。さすが本場の味。」と言いながら食べていました。
ぎょうざがみんなの心をひとつにした日でした。

被災地に来て思うことは、避難所で勤務されている職員やボランティアをされている方も、被災者であるということです。
 
家が流され、車も流され、帰る家がないということ。
自分も辛い立場でありながら、それでも、毎日、笑顔で働いている姿を見ると、逆に勇気づけられるものがあります。
 
避難所運営に携わって3日目。
来客者と避難者が抱き合って泣いている姿を見ることもあります。被災されているみなさんが、お互いを助け合いながら頑張って復興しようという想いが私たちにも、しっかり伝わってきます。

「ペット」~避難者のペットは車の中で生活しています。

「取材」~テレビ局が取材に来ました。


2011年05月11日

【☆5=支援活動報告】宮古市内…日々刻々と解体、撤去、再建が進んでいます

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=3班:三上晃典(名寄市職労)


5月10日(火)22:20

夜勤明けの宮古市内を見て歩いてきました。
市内の至る所で震災の爪痕が残されています。(8日と9日のようすをお伝えします)


宮古市役所のすぐ近く。
津波で堤防を乗り越えて打ち上げられた漁船が残っておりました。津波の威力を思い知らされます。

【打ち上げられた漁船=8日】

その翌日、市役所付近を再び通ると、打ち上げられた漁船の撤去作業の真っ最中でした。
重機で漁船を解体し、残骸がトラックで運ばれていきます。

【漁船撤去中=9日】

また、重機で解体作業に取り掛かっている民家もありました。
日々刻々と解体、撤去、そして再建が進んでいます。

【重機で撤去中の民家】


宮古大橋を渡り、市役所から閉伊川を挟んで南側のエリアに行ってきました。南側のエリアは市役所付近とは違い、被害もあまり見受けられませんでした。
壊れた家や「解体OK」「解体可」のスプレーを見ることはありません。

再び宮古大橋を渡り、来た道を戻ろうとしたとき、鉄橋が半分無くなっている光景が目に入り驚きました。

【鉄橋を宮古大橋からみた光景】

JR山田線の釜石方面、宮古駅~磯鶏(そけい)駅の間にある閉伊川を渡る鉄橋です。
鉄橋付近に行ってみると、物凄い力で捻じ曲げられたレールと、その先には破壊された鉄橋の残骸が残されておりました

【鉄橋近くの写真】

市内の信号機は大半が復旧してきています。ベースキャンプ付近の交差点ではいまも信号機が止まったままのところがあります。
「止まれ」の標識が追加で取り付けられ、ゴムタイヤで重にして動かないようにされています。

【信号とまった交差点】

宮古市役所付近の歩道橋のある交差点は交通量がとても多いです。今、交差点の信号は復旧していますが。つい1週間ほど前までは信号が壊れたままで、警察官による手信号で交通整理がされていたそうです

【写真・宮古市役所付近の交差点】
左側の建物が市役所、奥に行くと宮古大橋


3時09分(たぶん15時09分?)で止まったままの時計がありました。3月11日に発生した地震と津波の影響で止まったままなのでしょう。
過去にヒロシマの旅で訪れた広島平和記念資料館に展示されていた「8時15分で止まったままの時計」を思い出しました。

【写真・止まったままの時計】


【☆5=支援活動報告】物資の商品説明とワンポイントアドバイス

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
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第5グループ=3班:近藤(北見市職労)画像をクリックすると大きく表示されます。

5月11日22:28

避難所に届く救援物資の中には、日本を越えて諸外国から送られてきた物資も多くあります。

また、普段使わないような日用品も多く、避難所で生活されている方も使い方が分からずに、あまり使っていない物も多くあります。

3班メンバーの成田さんは、職種が保健師ということもあり、物資の整理だけではなく、商品説明やワンポイントアドバイスを添えて、物資コーナーをさらに使いやすく陳列しています。

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【☆5=支援活動報告】本日の避難所の夕食は、なんとマグロのづけ丼

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第5グループ:第1・2班、2日目の活動報告です。高井(函館市職労)

5月11日22:36


本日は避難所運営のほか写真洗浄作業に従事しました。今日の宮古市は曇り空で気温が上がらず、最高気温は13℃でした。地元の方いわく、西の山から吹き降ろす「やませ」だそうです。

◇本日、座禅教室・夕食はマグロのづけ丼

グリーンピア三陸みやこは宮古市内では最大の避難所で、連日何がしかのイベントがあります。本日は、私たちと同じくボランティアで避難所支援にあたっている佐賀曹洞宗青年部の皆さんによる座禅教室が行われました。

本日の避難所の夕食は、なんと…
20110511maguri2.jpg
【すしざんまいの炊き出し=マグロのづけ丼!!】

東京の寿司チェーン店「すしざんまい」の皆さんによる炊き出しです。私たちはまだ4日目ですが、避難所でいただく食事は新鮮なものというわけにはいかず、ナマのお魚はたいへん貴重なものに感じます。避難生活を送っている方々はなおさらだと思います。大人も子どもも皆さんたいへんおいしくいただいたようです。

今日はとても寒い一日でした。佐賀のお坊さんチーム、巡回されている大阪府警の皆さん、地元の方もとても寒そうにしていました。

◇第6グループ以降のみなさん!気候に注意!

私たちが写真洗浄作業を行う場所は、田老地区公民館の2階ベランダで、つまり屋外です。昨日の日中は日差しがあってとても暑く、今日は風に吹かれてとても寒かったです。第6グループ以降の支援活動では、現地の気候に注意が必要だと思います。

グリーンピアの敷地内では、すでにグラウンドやテニスコートに仮設住宅が建ち並んでおり、来週には入居がはじまるという情報があります。昨日は、被災された地区の商店主たちの共同店舗となる仮設テントが駐車場内に立ち上がるなど、復興の兆しが見えてきたような気がします。

我々の活動期間の折り返しを迎えましたが、引き続き宮古市の皆さんの力になれるよう、でも気合を入れすぎて空回りしないようにがんばります。

グリーンピアのボランティア(自治労・佐賀曹洞宗青年会・地元)で集合写真を撮りました。

支援団恒例?のお誕生会です。上ノ国町職の成田さんが今日5月11日誕生日でした。みんなそろってケーキでお祝いしました。
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2011年05月12日

【☆5=支援活動報告】ただいま24時間勤務に入っています


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第5グループ=3班宮古第2中学校:三上晃典(名寄市職労)

5月12日13:40

根本班長(道本部)と三上(名寄市職労)の2人は、11日19時から翌12日19時までの24時間勤務に入っています

就寝後の12日未明・3時21分に宮古市で震度2の地震がありました。
この地震で夜中に目が覚めました。寝場所の周辺に積んである救護グッズがガサガサと音を立てて揺れ、ほどなくして地震が収まり、暗い体育館の中を見渡すと、携帯電話で地震情報を確認している方や、目が覚めてトイレに行く人などの姿が目立っていました。

私は岩手県庁サイトにある「いわてモバイルメール」のリアルタイム防災メルマガを登録していましたので、3時32分に地震情報のメールが届きました。
このメールは県内で震度3以上を観測した場合に送信されるもので、宮古市は震度2。しかし、県内では盛岡市の震度3が最高だったので送信されています

【防災メルマガ】

避難所には毎朝、新聞が配達されます。今朝も配達員が岩手日報を自転車に積んで運んできました。

【新聞配達】

新聞を受け取り、ビニール袋を開封して取り出し、新聞コーナーに並べます

【新聞開封】


【新聞コーナー】

今日の朝ごはんが届きました。
メニューは「ごはん・味噌汁・紅鮭の塩焼き」です。

【12日朝ごはん】

この紅鮭の塩焼きに、住民の皆さんは大喜びでした。
紅鮭は真空パックの冷凍食品なのですが、湯煎で温められてアツアツの状態で届きます。

【紅鮭真空パック】

食事後に食器洗いをしているお母さんたちからは「今日はいい一日だ!」「ほんと魚食べたったからねぇ」と楽しい会話が聞こえてきました。
避難所に活気が出ています。我々も紅鮭パワーで24時間勤務の後半戦がんばります!

【☆5=支援活動報告】宮古で経済の復興支援しよう!

第5グループ:1・2班グリーンピア

今日は道本部・上島女性部長からの報告です。
上島さんは現在、避難所グリーンピアにいます。
消灯前ぎりぎりに送ってくれました。
 
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5月12日21:30
 
本日私は夜からの勤務なので、日中は宮古市街を散策しました。津波被害のようすはすでに三上特派員から報告済みですので、重複しないように報告したいと思います。
 
まずは、市役所庁舎に行ってみました。庁舎1階が浸水したとのことですが、玄関の上まで水が来たことを示す跡が残っていました。

<庁舎入り口>
 
1階では、義援金申請の受付が行われていました。こちらでは山形県本部の仲間が受付業務の支援を行っていました。ご苦労さまです。

<山形県本部>
 
テレビで、黒い海水が堤防を越えてマチへ流れ込む映像がよく流されましたが、それはこの市役所庁舎の6階から撮影したものです。


<庁舎>
 
堤防に登って気づいたのが、海抜が低いこと。海と陸地の高さがほぼ同じです。

<堤防>
 
連合岩手宮古地区協議会の建物も津波の被害を受けていました。左奥に見えるのが市役所庁舎。

<連合>

産直のお店を発見。宮古の新鮮野菜がお手ごろ価格で売られていました。避難所にいる人達に新鮮生野菜を食べさせてあげたいなーと思ってキャベツとしばらくにらめっこしていたのですが、430人分の千切りをする自信がなく断念しました。

<産直>
 
商店街では、営業しているお店、営業準備中のお店、解体予定のお店が混在しています。

<信金>
 
そんな中、営業している美容室を発見。日ごろなかなか髪を切りに行く時間がなかったので、ここで髪を切っていくことにしました。

カット中、美容師さんからいろいろなお話を聞くことができました。このお店も被害を受けしばらく営業ができなかったため、その間別店舗で無料でカットのサービスを行っていたそうです。毎日80人くらいが訪れ、たくさんの人のカットを行った結果、「今カットが暇なんですよ。切りすぎちゃいました」と言っていました。
また、自分の家は被害が無かったけど周りが被害を受けているため、「あまりすっきりした髪にしないでくれ」とか「いつもよりメッシュを2本減らしてくれ」などの自粛注文?も結構あったそうです。

これから、支援に入るみなさん、ぜひこちら宮古市の商店街を利用し、経済での復興支援も行いましょう。
 
ちなみに、夕食のとき隣に座った秋田県本部の女性は「あれ、髪切りました?」とすぐに気づいてくれたけど、わが北海道団の男性陣は誰一人気づいてくれませんでした。これだから男の人は・・・。

<美容師>
 
さて、今夜から24時間の避難所勤務です。ボランティアリーダーの船越さんによると、自治労支援団の女性で24時間勤務は初めてだそうです。24時間勤務と言っても、9時半で消灯となりきちんと仮眠時間も確保されているので問題なし。
 
夜の避難所は人の出入りもなく、とても静かです。子ども達も学習コーナーで静かに勉強しています。
今夜から雨が降るようなので、雨漏りが心配です。それと少し寒いので、ストーブをつけたまま寝ることになりそうです。
札幌病職の太田さんと宮古市の職員の方達と、がんばりまーす。

<学習コーナー>

2011年05月13日

【☆5=支援活動報告】ボランティアのフォードさんは今日でお別れ

第5グループ:3班 三上晃典(名寄市職労)


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5月13日14:10

鍬ヶ崎(くわがさき)は宮古湾に面した地域で、津波による被害が物凄かったと
ころです。
宮古第二中学校の民間ボランティアリーダー・鳥居さんの地元です。
鳥居さんから「鍬ヶ崎をぜひ見てほしい」と、我々3班メンバーを案内してくださいました。

案内された鍬ヶ崎の状況は、民家の解体や瓦礫の撤去があまり進んでおらず、津波の被害の様子がありのままに残っている状態でした。

【鍬ヶ崎を案内する鳥居さん】

【鍬ヶ崎の状況1】

【鍬ヶ崎の状況2】

避難所となっている鍬ヶ崎小学校に行きました
(鍬ヶ崎小学校に通っている子どもたちは、卒業後は宮古二中に通います)
鳥居さんの話では、津波がきた時に先生が裏にある熊野神社に逃げるよう指示し児童たちは無事に逃れることができたようです。

【鍬ヶ崎小学校】

【鍬ヶ崎小学校のお風呂】

【熊野神社】
階段下にある「熊野神社」の石碑が倒れています

また、坂を上って高台に逃れようとしたら、反対方向からも津波が襲ってきて前後ともに逃げ場を失ってしまった状況もあったことを、鳥居さんから教えてもらいました。

【高台からみた鍬ヶ崎】

東京都港区から保健師・栄養士・衛生管理の方々が来ています。
住民のみなさんの健康状態や、避難所内の衛生状況、配膳の方法など、その道のプロとしてのアドバイスで避難所内の改善を重ねていきます。

東京都特別区は区単位で各地への支援体制をとっており、宮古市のほか、気仙沼市にも行っているそうです。
港区のチームは来週火曜までで、次は千代田区に引き継ぐとのことでした。

今日は、港区の方々と一緒にお昼ご飯をたべました。
サイドメニューの秋田名物「いぶりがっこ」(漬物の燻製)に港区職員の方々も舌鼓を打っていました。

【13日昼食@港区職員と】

ボランティアのフォードさんは今日で帰るとのことで、避難所のみなさんとお別れです
別れ際、宮古市民の方々に「また宮古で会いましょう」と、笑顔で話していました。
フォードさん、今までの宮古二中での活動ありがとうございました。

【Ford動画を見る港区職員】

【☆5=支援活動報告】13日最大のイベントは鳥羽一郎!

5月13日、第5グループ第1・2班6日目の活動報告です。

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23:00安達(網走地本)

 
本日も避難所運営のほか写真洗浄作業に従事しました。今日の宮古市はほぼ晴天、気温も徐々に上がり、最高気温は20℃で、とても過ごしやすい一日でした。
 
グリーンピア三陸みやこは宮古市内では最大の避難所であり、連日さまざまなイベントが行われています。

本日最大の報告としては、何と言っても「鳥羽一郎」の慰問です。
本人の歌はもちろんのこと、ヤクルトやバナナを始めとした大量の支援物資の提供で、もの凄い盛り上がりとなりました。
 
 

 
本日の避難所の夕食は、なんととても塩辛いマーボー豆腐・・
さすがにショッパイ・・・
 
 私たちが田老地区で行って来た写真洗浄作業は本日で終わりです。
我々には海水と砂混じりの汚れた写真でしかないのですが、被災された関係者の方々にとっては、すべて貴重であり、そした掛買いの無い財産・・・
一枚でも多く、それぞれの皆さんのもとへと戻ることを念じながら、刷毛で丁寧に砂を落とさせていただきました。
 
 
ここに来ることができた我々は、ある意味とても幸せ者であると思います。
ここではテレビや新聞では感じることのできない「現場のニオイ」を体験できるから・・・
 
我々の一番の役割は被災者へのわずかばかりの支援ですが、そのほかにもたくさんのものを感じ、そして吸収することができます。
 
それは被災者の皆さんを心から支援しようとする一般のボランティアの皆さんの本当に献身的な姿を見せていただけていること、そして何よりも我々同士が、お互いの姿を見ながら日々支援の向上をめざせていること・・・
 
この活動は、それぞれがそれぞれの場所に戻っても、きっと「意義あるもの」であることは間違いないと感じています。
 
あと一日、悔いを残さず「みんな」でやってみます!
 
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避難所の朝の風景


子どもたちは毎朝スクールバスで元気に登校します。


お年寄りも避難所からデイサービスセンターに通っています。

「網走地本」のみなさん

宮古第二中学校の避難所を担当している第3班の左から玉置さん(斜里町労連)、近藤さん(北見市職)のお二人が、夜勤前の時間を利用してグリーンピアに視察にきました。
 
 

2011年05月14日

【☆5=支援活動報告】名残惜しい最終日、精一杯がんばる!

第5グループ:3班 三上晃典(名寄市職労)

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5月14日9:40

連休明けに入荷すると言われていた物干し竿がようやく宮古二中避難所に届きました。

体育館2階に台や竿をみんなで手分けして運びました。
(コンクリートの台はとても重たかったです・・・)
台の置き場所とポールの間隔を調整して・・・
これで、洗濯物を干す場所が完備されました。
設置したのは体育館2階の日当たりの良い場所なので、天気が良い日には洗濯物が気持ちよく乾くでしょう


【ポール運搬】


【台運搬】


【セッティング】


【セッティング(下から写しました)】

物干しに必要な洗濯ばさみを準備しました。
この洗濯ばさみは、先週、宮古二中を訪れた俳優・渡辺謙さんから物資として提供していただいてたものです。

【せんたくばさみ組み立て】

後日、避難所宛に渡辺謙さんから写真と手紙が郵送で届きました。写真は、写っている住民に手渡され、手紙は掲示板に貼ってあります。
20110514ken6.jpg
【渡辺謙さんからの手紙】クリックすると大きく表示されます

避難所でインフルエンザに罹患された方が出たので別室の準備をしました。
ストーブやマット類を運び込み、ついたてやカーテンなどの工夫をしました。


【別室準備】


【ついたて作成】


【カーテン取付】

幸いにも、罹患された方は熱も下がってきて順調に回復しています。
札幌医科大から派遣された医師や、東京都から派遣された保健師など、避難所での医療のサポート体制もバッチリです。

今日の14日で、我々第5グループ第3班の宮古二中での活動は最終日となります。 
長かったようで短かったような、あっという間の一週間でした
名残惜しい気持ちがありますが、最終日の活動を精一杯がんばりたいと思います!

2011年05月15日

【☆5=支援活動報告】明日から仮設住宅入居!ついに避難所のみなさんと別れのとき・・・

5月14日 第5グループ最終日 1・2班 相内 利幸(道本部)

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大阪から15時間かけてアフリカ太鼓の演奏にきてくださいました。みなさんノリノリで拍手をして、一緒に踊っていました。

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最終日を迎えて新たな業務が発生しました。

いつも通りトイレ掃除を済ませた後の指令は、「お楽しみ袋」作り。
明日から仮設住宅への入居が始まるため、レトルトカレーやカップ麺などの物資を少しずつ袋詰めにして持たせようということではじめたものの、400を超える数の袋詰めは予想以上に体力を消耗し、さらに昼食の準備の時間も迫ってきて大苦戦しました。

詳細は省きますが、「東」さんの素晴らしいアイディアのおかげで何とか昼食の前に作業を終えることができました。

午後はゴミ捨て場の移動作業で、体力のみを頼りに大量のゴミを運ぶという作業を2時間程行い、終了後は若い人も含めてしばらく立てない状態に陥り、肉体的に最も辛い日だったと思います。

そうこうしているうちに夕食の後片付けも終わり、ついに避難所の皆さんにお別れを告げる時が来ました。最後のあいさつをさせていただいた時の避難所の皆さんが送ってくれた温かい拍手で、日中の疲れは吹き飛んでしまいました。



クリックすると大きく表示されます

励まさなければならない立場の我々が、逆に励まされたような気がして恥ずかしいような嬉しいような不思議な気持ちになりました。
自分は、また必ずここ(岩手県宮古市田老地区)に来ようと心に誓いましたが、他のメンバーもたぶん同じ気持ちではないでしょうか。

本当に名残惜しいのですが、この気持ちを第6グループに託して北海道に帰ります。


【☆5=支援活動報告】第3グループまでの避難所は今・・・

第3グループまでの支援活動に関ったかた方から、「いま、あの避難所はどうなっているのだろう?」と心配し、その後の状況をホームページ上で報告してほしいという声がありました。現地報告が届きました。
5月15日午前1時50分


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北海道団は第4グループから現在の避難所担当となりましたが、その前の第1~第3グループは別の避難所担当でした。
現在、それらの避難所がどうなっているのか、14日の夜勤メンバーが取材に行ってくれました。


5月14日第5グループ

○宮古小学校

現在は和歌山県本部が担当。避難住民は45人となっています。本日5月14日は、「こどもの日」にできなかったイベントとして子ども縁日を開催するとのこと。
そのためのポップコーン、わたあめ、バザーなどの準備をしていました。
現在の通常業務は、在庫整理が主となっており、他の業務は住民が主体となっているためほぼないそうです。夜勤は一人ずつ、市職員の代わりに夜警として3時間交代で行っています。
今後仮設住宅の話が出てくるようす。



○山口小学校

現在は滋賀県本部が担当。避難住民は45人ですが、ゴールデンウィークから帰ってきていない人が1人いるので実質44人。午前中は主に、外の仮設トイレを含む避難所の掃除を行っています。避難所の雰囲気はアットホームな感じだそうです。仮設住宅入居の話はまだ出てきていませんが、他のようすからこれから建設されるのかと思われます。



○愛宕小学校

現在の避難者は88人。仮設住宅は5月中旬完成予定。食事は、朝夜と自衛隊が配給する食事ですが、昼は弁当屋の食事を利用しているそうです。
仕事は、食事の配膳、物資受入、ストーブの給油などです。教育委員会の職員が二人常駐しているので、24時間勤務が2人、昼の勤務が1人体制で行っています。風呂はゆったり館を利用しています。

グランドに仮設住宅建造中でした


【☆5=支援活動報告】引き継ぎを終え、第5グループが帰る時間!

第5グループ:3班 三上晃典(名寄市職労)

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5月15日11:15

15日朝、第6グループへの引き継ぎで、第5・第6グループ一緒に宮古二中にむかいました。
校舎裏では八重桜が綺麗に咲いていました。

15日午前中に入荷予定となっていた冷蔵庫が、今まさに運び込まれたばかりでした。

第6グループが避難所内を見て回っている最中なので、第5グループ最後の仕事として、冷蔵庫の設置をしました。

これまで二中避難所には冷蔵庫がなく食品の保存で心配な面もありましたが、今後は安心して食材管理ができるようになります。

引き継ぎを終え、第5グループが帰る時間が近づいてきました。
第6グループの皆さん、今日からの任務、よろしくお願いします!

別れ際、住民の皆さん一人ひとりにごあいさつをしてまわりました。
皆さんから感謝の気持ちが伝えられ、中には涙声でお礼を言ってくださる方もいて、我々も涙をこらえるのが精一杯でした。

一緒に写真撮りましょうと言われ、皆さんと記念撮影です。
真ん中右寄りに映っているまさと君からは、毎日のように「遊んで」となつかれて、おもちゃの刀で何度も何度も斬られました。
お母さんからも「斬られ方が上手ですね」と褒められていました。

宮古第二中学校のみなさん、今日まで本当にお世話になりました。
またいつの日か、宮古市を再び訪れたいと思っています。

2011年05月16日

【じちろうNEWS】鎌田 慧さん(ルポライター)が現地取材 !

自治労本部の「じちろうNEWS]です。

じちろうNEWSをダウンロードをダウンロード

【☆6復興支援活動】第6グループ活動はじまっています

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
【☆6=支援活動報告】←第6グループ

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第6グループ:鈴木知幸(道本部)


5月14日(土)

北海道を出発し、青森空港で青森県本部の方と合流し、バスで5時間30分かけてBCの宮古ホテル沢田屋に到着しました。

20110515syu-go2.jpg
(青森空港での全体写真=道本部・黒坂さんが写しているので載っていません)

到着後、第6グループ全体意思統一会議が開かれ、現地の任務、被災状況などの報告を受けました。(詳細は、第5グループ報告済)

その後、前グループから丁寧な引継ぎを受け、男性は8県本部・全国一般(石川県)の全50人が大部屋で宿泊して一日を終了しました。(いろんな方言が飛び交っています)明日から任務開始です。
※宮古第二中学校は、避難所の見取り図付きの4ページでした。引継ぎ文書を読むと前任の方々の思いが伝わります。


追伸=留萌地本の伊藤さん、十勝地本の佐藤さんが千歳空港まで、お見送りにきてくれました。
がんばってきます。


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5月15日(日)別海町職・佐藤政士
任務一日目・グリーンピアの避難所支援です。

今日は、7時から朝食、7時50分BC出発ですが、全員7時前には起床し、行く準備を整えていました。

朝、グリーンピアにて前グループからの引継ぎを受けて、任務開始です。
仮設トイレを清掃した後、水を補給している山口さん(中標津町職労)と菅原さん(上士幌町職)ノロウィルス対策で、一日に何度も念入りに消毒をしています。


トイレ掃除

割烹着を着て、食事の準備をしている私。まわりからは、お似合いですと言われました。

晩御飯の後、子どもたちを集めて、ゲーム大会を開催しました。今日がはじめての開催なので、はりきって内容を説明していたところ、「おじさん、早くやろう」と言われてしまい、司会の中澤さんは苦笑いでした。子どもたちも楽しんで参加してくれました。評判が良かったので、明日からも開催するよと子どもたちと約束しました。

司会者中澤さん(根室市職労)景品を渡しているのが、山口さん(中標津町職労)と私です。


2011年05月17日

【岩手県本部】職員の負担軽減はかる=遠野市で支援活動

岩手県本部が発行する東日本大震災特集号「自治労いわて」です。
ぜひ、ご覧ください。

「自治労いわて」のダウンロード

【☆6=支援活動報告】「ありがとう」を返そうというメッセージボックス記載例に『自治労』!うるっ…(;_;)

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
【☆6=支援活動報告】←第6グループ


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第6グループ= 黒坂秀勝(道本部)

5月16日(月)

本日の気温は22度。じっとしていても汗がにじむ。今日は、被害の大きかった田老地区での写真のクリーニング作業。
ボランティアスタッフの案内で浦幌町職・菅原さん、帯広市労連・奥山さん、標茶町職労・若松さん、黒坂の4人で写真のクリーニング作業にむかう。

自衛隊の捜索の際に発見されたアルバム類を公民館ホール内に運び込みができるよう歯ブラシ、筆などを使って砂などを取っていく。
結婚式披露宴のスナップや手紙、幼稚園の作品集、更新したての船舶免許証など思い出と生活の詰まった品物と「止まった時間」に、果たしてこの持ち主は迫りくる津波から逃げ遂せたのかと心がざわめく。


(テラスでの作業風景)


休憩の合間に地区出身のボランティアスタッフから、津波の爪あとを説明される。かける言葉が見つからない。


(テラスから望む10mの巨大堤防とその爪あと)

戻って昼食の準備。今日は牛肉ときのこ、長ネギのパスタ、コンソメスープ。びわの缶詰。学校が再開したため、朝食・夕食は400人を超える人数だが、昼は200人近くまで減る状況。
ここでも帯広市労連の奥山さんが配膳の手伝いに入る。仮設住宅はできて15日から入居が始まったものの炊飯設備が整わないため、引き続き17日もグリーンピアで食事提供することに。
20110515epuron.jpg
(班当番のお母さん方にエプロンの着付け?を手伝ってもらう奥山さん)


宮古市役所他で義援金受付、仮設住宅入居申し込みの意思再確認の電話連絡などの市職員の事務補助に従事する秋田県本部。
スタッフがBCに戻ってからの他県交流で、電話連絡した際に住民が怒鳴り散らしたい気持ちが、他県からの支援で来たことを伝えると、ちょっとトーンダウンしたとのことを聞かされる。行き場のない住民の怒り・不満はいかばかりだろうか。


(第6グループの紅2点深川市職労の恒本さん(左端)と浦幌町職菅原さん(左から2人目)と秋田県本部の皆さんと出発前の1枚)。

アリーナ内に、「応援いただいた人へ『ありがとう』を返そう」という避難者の方が設置したメッセージボックス。
その記載例に『自治労』の文字を見てわれわれみんなの想いが伝わっているのかなとちょっと「うるうる」きてしまった。

(応援募集メッセージ箱のメモ。励みになります。)

【☆6=支援活動報告】苫前町職・伊藤さんが入浴介助「週2回は入浴させて!」

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第6グループ 第3班・恒本 明子(深川市職労)

5月16日(月)

第3班(宮古第二中学校)の任務は、第5グループと同じ救援物資の受け取り、避難所内換気、食事の配膳ほかです。

避難所についてすぐに、ボランティアの鳥居さんが先日までボランティアでいたフォードさんが編集した津波のDVDを見せてくれました。

避難所に来て、数回しかお風呂に入っていないという方がいたため、港区保健所の保健師さんに依頼され、苫前町職・伊藤さんが入浴介助をしました。とても気持ちが良かったようすで、週に2回は入浴させてあげてほしいと言われました。第7グループ以降の方もお願いします。

体育館のギャラリーに設置された洗濯物干し場に、女性用の下着が見えないようにとの要望つくりました。

(物干し場)

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5月17日(火)

空気清浄機のフィルター洗浄を行いました。清掃後は、においもなくなりスッキリ。

(空気清浄機を清掃する苫前町職・伊藤さん)


(道本部・鈴木さんからHPの説明を受ける苫前町職・伊藤さん)

避難者が減ってきたため、体育館内での区画整理を行いました。これに伴い、保健所から指導を受けていた、ゴミの一時保管場所も設けることができました。
昨日から、ずっと日曜大工的なことをやっています。かなり手際が良くなってきました。


(区画変更で仕切りを直す川口さんと伊藤さん)


2011年05月18日

【☆6=支援活動報告】消灯後の避難所は非常口の誘導灯と灯油ストーブの灯り

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第6グループ 第3班・逢坂信吾(羽幌町職)

5月18日(水)

第3班(宮古第二中学校)の夜番のようすをお伝えします。

夜番(19時~翌8時30分)は避難所に到着後、19時からの班長会議に参加します。
班長会議は、宮古市職員1人、避難住民の各班長7人、3班の全員5人の計13人で行われ、市からの連絡事項や各班長からの提案、自治労からの連絡などを議題として会議を行います。

21時の消灯前に、本部横に設置しているインターネットコーナーに来て、「プリキュア見た~い」と子どもたちがパソコンの前に座りました。
最初は理解できませんでしたが、よくよく話を聞くと動画サイトでお気に入りのアニメを見ているようです。
避難所内には、おもちゃや絵本、アニメのDVDなどもありますが避難生活が長いためなのか、最近の子どもだからなのかはわかりませんが、自分たちの時代とは随分遊び方が変わったなと思う一面でした。


【写真】インターネットで「プリキュア」や「仮面ライダー」を楽しんでいます

動画サイトを私と道本部の鈴木さんも一緒に見ていましたが、楽しんでいる子どもたちの会話の中からは、仮面ライダーの変身ベルトやプリキュアのカードが映ると、「これ持ってたけど、流された」と淋しい一面もありました。

消灯を前に本部内に仮眠スペースを設置します。
22時の玄関施錠後に帰ってくる住民に対し開錠したりするため、ここで仮眠をとります。


【写真】開錠のために仮眠スペースを設置

ちなみに消灯後の避難所は、非常口の誘導灯と灯油ストーブの火の灯り、そして2階ギャラリーの手すりに設置している投光機(1カ所)の灯りのみとなります。
避難所は体育館のため、ちょっとした物音でも気になります。


【写真】とても暗い消灯後の避難所のようす

2011年05月19日

【☆6=支援活動報告】仮設住宅の引っ越しがはじまりました!炊き出しは「松じん」

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第6グループ 第2班 玉井秀樹(道本部)・中澤愛樹(根室市職労)

5月17日(水)10:19

15~16日、仮設住宅の引っ越しがはじまりました。
引っ越し作業を期待していましたが、社協とボランティアの人たちが担当となり、ちょっとがっかり。


仮設住宅


下水の復旧はまだまだ先とのこと

簡易浄化槽

本日(17日)は炊き出しのイベントが行われ、姉妹都市の滝川市と八幡平市(はちまんたいし)、名護市よりジンギスカン丼・手打ちそば・コーヒー・黒糖飴の振る舞いがあり長蛇の列になりました。
20110519jin-soba.jpg


手打ちそば


順番待ち


滝川市からは、松尾副社長(左)と山内滝川市交流推進室長以下10数人のスタッフが、遠路はるばる応援に駆け付けてくれました。


松尾副社長・山内室長

【☆6=支援活動報告】天気がいいので布団干し!

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第6グループ=第3班:恒本(深川市職労)川口(全道庁労連札幌総支部)伊藤(苫前町職)
 

5月18日(水)

今日は、朝から天気がよく、布団を干す場所を設置しました。校庭の隅にダンボールを敷いてその上に布団を干す簡易なものですが、気温が上がってきたこともあって、避難者に好評でした。

(ダンボールを敷いての布団干し)

夕食後、救援物資で残っていたお菓子がたくさんあったため、子ども(中学生以下)を対象に宝引きを行いました。
「子どもたち集まれ!」の掛け声によるトラの登場に子どもたちも大喜びでした。


(準備のようす)

(トラの着ぐるみで宝引き)

2011年05月21日

【☆6=支援活動報告】いろいろな方の協力によって避難所は運営されています=

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第6グループ 1・2班 上士幌町職 菅原


5月20日

ここ岩手県宮古市田老地区のグリーンピア避難所にはいろいろなボランティアの方が来てています。


写真の赤いベストの皆さんは佐賀県の曹洞宗の僧侶の方です。また、一緒に写っている警察官の方は大阪府警の方です。


白いベストの方は国境なき医師団の方です。

また、写真はないですが看護師の方は下関市の方です。いろいろな方の協力によって避難所は運営されています。

2011年05月24日

【☆7復興支援活動】第7グループ活動はじまっています

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ
【☆4=支援活動報告】←第4グループ
【☆5=支援活動報告】←第5グループ
【☆6=支援活動報告】←第6グループ
【☆7=支援活動報告】←第7グループ
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報告者=第7グループ:3班 中野渡(道本部)5月23日(月)


5月21日(土)

7グループ3班 宮古第2中学校
あいにくの小雨の中、千歳を発った7G一行は青森で、青森県本部一行同乗のもと、一路宮古へむかいました。


青森空港

バスに揺られること5時間、宿泊先の宮古沢田屋さんに到着したときはなぜか、蒸し暑く、窓を開けても汗がにじむほどです。
今日は大部屋で宿泊、これ喉大きな部屋に泊まったのは修学旅行以来でしょうか、懐かしい。。。いよいよ明日から任務開始です。

5月22日(日)7G3班
早一日、朝食後早々に、6グループに引率してもらい、初めて避難所を訪れます。
出発時に6Gとあわせ、集合写真を撮影しました。


6Gといっしょに

宿泊先からみてかなり高台にある中学校で、バスで10分くらいかかります。北海道だったら5分と言ったところです。
このあたりは津波の影響はなさそうだと、外を眺めてましたら、到着、むかいにはなんとコインランドリーがあります。これなら行き帰りで洗濯ができそうです。バス停から3分で学校です。

あいにくの雨の中ですが、昨日より明らかに温度、湿度が低いです。
避難所体育館に入ると、屋根に雨が当たる音で少しうるさいくらいです。
しかし、今日は日曜日ということもあり、生徒の姿も見あたりません。

早々に6Gからの引き継ぎを終え、お見送りの後、いよいよ作業開始です。
初めての作業は「除菌作業」です。消毒液を湿布したタオルでひとの手が触れそうな所はすべて拭う。そのあと間もなくお昼になります。自衛隊が食事を運搬してくるので、受取、配膳の準備です。
現在この避難所では54人の避難者が退避しており、仲よくコミュニティーをつくり上げています。
配膳は、自治労本部団とボランティアでおこないます。
取りに来るのはみなさん各自なのですが、配膳はボランティアの皆さんと私たち自治労道本部が行います。
避難所本部にはこのような支給品のもありました


避難所


耳栓

生活に必要なものはたくさんあるんですね。


【☆7復興支援活動】徐々に仮設住宅へ引っ越がはじまっています

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第7グループ3班:中野渡(道本部)5月24日(火)


活動2日目、5月23日

3班 宮古第2中学校
初仕事から2日目、宮古中学校でさらに4人の方が仮設住宅へ引っ越しされました。

宮古の各避難所では仮設住宅の建設に伴い、避難所から荷造りをする姿が目につくようになりました。この7月までに非難者全員の入居が可能になるように、作業が勧められているようです。しかし、仮設住宅にも色々あり、厳冬期に耐えるつくりのものもあれば、鉄板一枚のような住宅は、夏は暑く、冬はとても寒いそうです。
ともあれ、この避難所ではまだ仮設住宅の建設がされていません。

さて、3班の夜勤初日者、戸田さん(苫小牧)、篠原さん(洞爺湖町)とバトンタッチした、二日目日勤班、中野渡、粟野さん(恵庭)、大林さん(恵庭)のグループですが、今日は昨日と違って晴れ間も少し見えています。

朝いちばんの大切な仕事は体育館の窓をあけて換気作業、結構大変な作業です。
ハンドルが固い窓もあり、壊さないように、気をつけて。

ここ2日間で8人の退所者あり、体育館の中が少し空いてきたのでボランティアさんと一緒に模様替えです。


【写真】模様替えの様子

と、ダンボールで敷居を作り、ご希望のスペースを確保です。

今回は布団、毛布、座布団などを大移動。段ボールで壁を作り、その一角に収めることにしました。何せ量も多いので移動も時間がかかります。
新聞コーナーも本部席近くまで移動し、みなさんの目に付くように配置をしました


【写真】模様替えでキレイになりました

ついでに粟野さんが、乱雑するパンフレットに見かねて、レターラックの作成にとりかかりました。


【写真】レターラックを作成する粟野さん


【写真】四角く段ボールをまとめました、何につかうのでしょう?

手先の器用な粟野さん、立派なレターラックができあがりました。
構想30分、総製作費0円の大作が完成です。
勢いで2個できあがりました。


【写真】角度をつけて取りやすくするために作ってたんですね。

2011年05月25日

【☆7復興支援活動】藤盛小隊長とグリーンピアみやこで奮闘中

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第7グループ1、2班:長谷川(上富良野町職)5月24日(火)

第7グループ1・2班10名はグリーンピア三陸みやこで避難所運営支援にあたっています。
避難者はスーパー堤防で知られる田老地区の方々です。
震災当時の話しを直接聞きあの時の恐ろしさを改めて思い知らされました。
避難所での1日を紹介いたいします。

受付事務は抜群の事務処理能力を持ち責任感に満ち溢れた道本部副執行委員長こと我らが藤盛小隊長


【写真】慰問に訪れたハープ奏者、ファヴィウス・コンステーブル氏と藤盛小隊長

避難所の仕事は朝のお湯の用意から始まります。

仕事の関係で朝の早い方のため朝4時半からヤカン6台でお湯沸し。


【写真】上富良野町職長谷川さんが朝早くに湯沸かし

日勤者到着後ミーティングを行い朝はみんなでトイレ掃除(神様がいますから~)

その後は支援者のメンタルも心配なため、国境なし医師団によるメンタルヘルス(上村さん:臨床心理士)


【写真】余市町職の北島さんが相談にのってます

一番の大仕事はご飯の配膳!

370人余りが今も避難生活を送っています。


【写真】余市町職の笹山さんと北島さんが配膳がんばってます!

神の舌の持ち主で味見が大好き2班班長の古川さん。

ちなみにメニューはナポリタンとコンソメスープにヨーグルトなどなど


【写真】神の舌の持ち主、全道庁労連日高総支部の古川さん

休憩なんかもってのほか、空いてる時間も作業をみつけバリバリ働く小樽市職の金山さん。


【写真】トレイのごみ箱作成中!小樽市職労の金山さん

この後はまた夕食の用意と後片付け!終了は約19時30分

この後は24時間勤務の、浦河町職の伊藤さんと、旭川市職の富山さんへバトンパス。
あっという間の1日です。
避難者の方々の明るさと優しさに満ち溢れた避難所グリーンピア三陸みやこです。

【☆6復興支援活動】何年か後、このメンバーで宮古に来よう

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第6グループ1班:黒坂(道本部)、2班:若松(標茶町職労)5月21日(土)・22日(日)

第6グループの活動もいよいよ終盤戦。
先日姉妹都市の炊き出しに来ていた八幡平市の西根中学校の生徒さんに演奏と合唱に来ていただく。スタッフも機材の搬出入を手伝う。そのすぐあとには、地元では有名な「中川あいこ」おばちゃん一行が民謡・お笑いショーを披露し、みんなで頑張ろうとエールを送るとともに「頑張ろう宮古、頑張ろう田老」と呼びかける。


【写真】八幡平市立西根中の演奏風景


【写真】「中川あいこ」おばちゃん一行の演奏風景

午後は、上士幌町職の菅原さんをメインに避難所の人たちやボランティアスタッフにも協力してもらってサッカー大会。子どもたちの動きについて行くのがやっとの大人たち。
子どもたちのいい気分転換になれば幸いである。


【写真】子供たちとプレーをする下関市のボランティアスタッフ


【写真】中央は標茶町職労の若松さん


【写真】非番を利用して駆けつける3班の苫前町職伊藤さん

第6グループの昼番の活動を終え、引き継ぎの時に仮設住宅に移られた方から、お世話になったお返しと、これからも頑張るという意味で作ったというキーホルダーをプレゼントしていただいた。メンバー一同の宮古に寄せる「絆」がまた一つ生まれた。


【写真】仮設住宅に入居された方がわざわざお礼に来てくれました


【写真】いただいたキーホルダー。メンバーにとっても宝物です。右側は中標津町労連山口さん

5月22日(日)
宮古市職労伊藤執行委員長の案内で被害の大きかった田老地区の視察に向かう。我々グリーンピアに通っていたメンバーにとっては今日がいよいよ最後の日程。10mの高さのX型堤防の内側に初めて足を踏み入れる。木造の家屋は基礎部分以外ほとんど残っていない。場所によってはコンクリート製の建物であっても倒壊している。宮古市街方向からの波ともう一方の波により渦のような流れが起き、被害が大きくなったという。改めて津波の威力を思い知らされる。災害復興計画は今年10月を目安に作り上げられる。具体的な作業はこれからだとのこと。自治体職員としても高い関心を寄せたい。あとは陸路で盛岡まで移動・宿泊。花巻空港より帰道。誰からとなく「何年か後にこのメンバーで宮古に来よう」と確認し合い、任務終了となった。


標茶町職・若松さんの感想をダウンロード



【写真】倒壊したガソリンスタンドの建物


【写真】3階部分まで被害を受けたホテル


【写真】任務終了し一路北海道へ

【☆7復興支援活動】「継続すること」に安心がある

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第7グループ3班:中野渡(道本部)5月25日(水)

宮古第2中学校避難所支援も4日目をむかえました。
3班は3つのシフトで動いていますが、初日からずっと夜勤に就いてくれている篠原さん(洞爺湖町労連)、戸田さん(苫小牧市職労)の二人は朝から物資の補給をしていました。


【写真】物資補給をする篠原さん、戸田さん

宮古第2中学校の夜はとても静かということですが、長期の避難で体調を崩し、薬の配布を求める被災者の方もいるそうです。
さらに夜には「移動お風呂カー」の清掃もあるので忙しいそうです。
しかし、こうした自治労支援の引継ぎがしっかりされることで、衛生管理が安定し、保険所の視察でも「良好」な反応のようです。
必ず「継続すること」に安心があるのだと、つくづく考えました。


【写真】戸田さん(左)、篠原さん(右)夜勤終了お疲れ様でした。

【☆7復興支援活動】化粧品配布で大喜び!

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第7グループ2班:伊藤圭悟(浦河町職労)5月24日(火)

今日は、資生堂の職員が慰問に訪れ、避難所のお母さんたちを対象に化粧品配布とその使用方法の説明会が開催されました。
大盛況でみなさん大喜び、少し若返った?ように見えました。


【写真】使用方法の説明をする資生堂の職員さん

午後3時、こり固まった体をほぐすため、避難所に残っていたみなさんとラジオ体操。


【写真】ラジオ体操が体と心の健康を保ちます

いよいよ休憩。休憩中のおやつは、宮古市田老地区名物の【ひゅうず】を食べました。「中は黒砂糖が溶け食べづらかったけど、昔ながらの味がしておいしかった♪」(小樽市職労:金山談)


【写真】この餃子のような食べ物が“ひゅうず”という食べ物。一度ご賞味を!

本日の肉体労働。倉庫に山積みされた段ボール箱を概ね1時間かけ全て片付けました。


【写真】ゴミ収集車に段ボールを投げました

その後、夕食時間まで小学校から帰ってきた子ども達と第6グループから引き継いだサッカーを楽しんで交流を深めました。


【写真】子ども達の元気な姿が一番の復興です

2011年05月27日

【☆7復興支援活動】新たな任務。みんなで作業!

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第7グループ2班:第1班金山仁美(小樽市職労)、第2班古川円(全道庁労連日高総支部) 5月26日(木)

今日から第7グループでは、「災害義援金交付申請の受付補助作業」を行うこととなりました。
これは山田町のみなさんへの給付への準備作業で、第1班の金山仁美さん(小樽市職労)、第2班の古川円さん(全道庁労連日高総支部)が役場で作業を行いました。
入力データのチェック作業は会議室で缶詰状態。


【写真】山田町役場のようす


【写真】作業に取り組む金山さん

昼休みに若干時間があったので、山田町内の現状を視察してきました。
まだまだ、災害の爪あとが残ってました。


【写真】駅だとやっとわかるくらい。災害の大きさを物語ります


【写真】民家が傾きいつ崩れてもおかしくありません

いまだに被災地は厳しい状況ですが、みんなで協力して作業をすすめることで、少しずつでも復興して欲しいと思いました。
私たちも、少しでも早く義援金が住民のみなさんに交付できるように頑張ります!

2011年05月28日

【☆7復興支援活動】第7G1・2班いよいよ支援活動も大詰め!

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第7グループ1・2班:長谷川 千晃(上富良野町職)

5月26日から27日の報告です。


グリーンピア三陸みやこでは、第1班の金山さんと第2班班長の古川さんが山田町役場で義捐金受付業務支援にまわったため、2日間は日勤者6人で支援にあたっています。

昨日26日には、歌手の庄野真代さんが慰問に訪れ、懐かしの名曲「飛んでイスタンブール♪」を避難所の方々へ披露され、その後は宮古北高校の吹奏楽部の演奏が行われました。


(避難所の方と記念に写真を撮る庄野真代さん)

そして、この人の存在を忘れてはいけません。支援作業を行いながら、第7Gの記録を管理する比布町職の黒瀬さん!


(記録写真の撮影をする黒瀬さん)

もう一人忘れてはいけないのがこちらの方!

スーパーエンジニアの旭川市職労~富山さん!

避難所の方々から要望がたくさん寄せられていましたが、作業が難しく手をつけることができなかった、洗濯機の分解メンテナンス。

ここまで洗濯機が分解できるなんて~。


(洗濯機のメンテナンス中の富山さん)

その後は、施設のごみ運搬等で大変重要な役割を果たしている軽トラも整備してしまい、施設の方が大喜びしていました。

27日の日中は夜勤に備えて非番のため、近くの大槌町や陸前高田市を視察しました。
まだ自衛隊による作業すら終わってなく、3月11日の津波の猛威を感じさせる現状を目の当たりにし胸が痛みました。



またグリーンピア三陸みやこには、ものまねタレントのコロッケさんが慰問に訪れ、約370人の避難所の方と関係者へ笑いをプレゼントしました。

【☆7復興支援活動】食料物資など物資を移設し在庫把握=長いようで短い1週間

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7と変えています。
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報告者=第7グループ3班 中野渡(道本部)

5月28日

本日は朝から雨です。
いよいよ、3班日勤班も本日が最終任務日です。
宮古第2中学校では、穏やかな毎日が続いていますが、小さな出来事がありました。

避難者が復帰のための仮設住宅への入居が続き、市内各避難所の縮小化が進み、7月の仮設住宅完成に向けた最終避難所体制へのビジョンを描くため、宮古市でも避難所に配布されている支援物資の把握が必要になってきました。

こちらでも、食料物資など各種の物資を移設し在庫の把握をはじめました。

避難所が開設されてから、体育館では数度のレイアウト変更されましたが全員が過ごしやすい環境を整えることはとても難しいと聞きます。

ところで、物資を移動しているとき、このようなラーメンを発見しました。
20110528tikin.jpg
チキンラーメン
災害用らしいのですが、3年間持つそうです。

さて、考えてみると長いようで短い1週間でした。
岩手県内でも、ここ宮古は他の地区と比べると被害が少ないと言われますが、被害に遇った方々にとって、各々の生活に戻るためにはまだ多くの問題と、時間の解決が必要です。
街のほうは少しずつではありますが、店舗・営業の再開などの動きが感じられることから、すべての被災者の方々に穏やかな生活が戻ることを祈ります。

2011年05月29日

【☆8復興支援活動】7グループとの熱い引き継ぎを終え第8グループ支援開始!

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7、☆8(は第8グループのこと)と変えています。
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報告者:森(佐呂間町職労)

5月29日(日)

前夜からの第7グループとの熱い引き継ぎを終え、いよいよ現地での支援活動開始です。今回も北海道からは3チーム15人が参加しています。クリックすると大きく表示されます。
20110529sono1.jpg

帰途に就く第7グループと活力みなぎる第8グループ。山田町の任務に就いている足寄町職の2人はこの時すでに出勤済み…一緒に撮れなくて残念。

引地団長(道本部)率いる1班の3人と2班5人は、被災者361人が生活している「グリーンピア三陸宮古」へ、3班は50人の「宮古第2中学校」へ、そして1班の中鉢さんと尾西さん(ともに足寄町職労)は、前グループから新たに支援を開始した山田町役場(自治労未加盟)での義援金交付事務へ。 

本日夜からの24時間勤務の1班・瀬下さん(遠軽町労連)と森、3班・夜勤の中村さん(滝川市職労)工藤さん(北竜町職労)は夕方までオフということで、いてもたってもいられず被災地視察に出かけました。


宮古市田老地区 築2年の診療所もこんなことに…


明治、昭和と続けて大津波で壊滅的被害を受けたことにより建造された田老の「万里の長城」と称されている高さ10メートル堤防も今回の津波には歯が立たなかったようで・・・


BCから1時間ほど南下した大槌町。正面が役場らしいのですが・・・道路にもまだ土砂が堆積したままです。

20110529sono5.jpg
道中立ち寄った自販機に書いてあったこの方言「はっけー」「ぬっきい」わかるかな?
クリックすると大きく表示されます。

2011年05月31日

【☆8復興支援活動】盛岡のラーメン屋さんの炊きだし!「田老のアイドル」ってだれ?

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3、☆4、☆5、☆6、☆7、☆8(は第8グループのこと)と変えています。
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【支援2日目 避難所からの報告】

報告者 第8グループ現地広報部長 森(佐呂間町職労)

5月30日(月)

「グリーンピア三陸宮古」の朝は5時の当直者の湯沸しからはじまります。ポットに詰め替えて提供する作業が2時間ほど繰り返されます。
入居者のみなさんがいろいろな係を決めて運営を手伝ってくれるので、大変助かっています。


7時には児童生徒が次々にスクールバスで出かけます。

本日の昼食は盛岡のラーメン屋さん「柳谷」のみなさんによる炊き出しです。
味噌、醤油、そして名物「納豆ラーメン」。2杯目に挑戦する避難者も多く。
3杯目に挑むスタッフは胃の大きさに負け、あえなく撤退!
たいへんおいしゅうございました。

夕食までの間つかの間の休息では、私たちと談笑する方もいます。

20110530sono4.jpg
田老のアイドル「ヒッキー団長」(クリックすると大きく表示されます)

※次号は宮古第2中学校or山田町役場(自治労未加盟)からの報告です。

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