4月10日スタートした「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第1グループ活動報告が届きました。
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第1グループ
2011.04.16(第7日目)の報告
いよいよ第1グループとして任務の最終日を迎えた。今朝もいい天気だ。
冒頭お断りをしておかなければならないが、今夜は秋田空港経由で宮古入りした第2グループとの引き継ぎがあったため、3班集まっての総括交流会はできなかったので、第1班日勤組の報告中心となることをお許し願いたい。
他班及び夜勤組の活躍ぶりは別の機会に報告することとしたい。
さて、日勤組の3人は、「いよいよ最後だねぇ」とか言いながら、BCから歩いて約5分の宮古小学校に向かった。
今朝も「自治労復興支援活動・北海道」のゼッケン姿で歩きながら道行く人々にあいさつすると、「おはようございます」「ありがとうございます」と気持よい返事が返ってくる。
「お〜し、今日も頑張るぞ〜」と元気がみなぎってくる一瞬なのである。
しかし、我々を待っていたものは…。
第1班が担当する宮古小が、本日「体育館への集約化」の日であることは既報のとおりであが、昨夜も寝ずの番を通した釧路市役所ユニオンの夜勤組2人との引き継ぎを終えた後、朝から苛酷な「引っ越し作業」が待ち受けていたのである。
教室のある校舎から体育館まで、数百枚の小畳や発砲スチロール運び。最初のうちは、すれ違いざまに軽口をたたき合っていたが、やがて苦笑のみの交換、最後はほとんど無表情のままで交差する…。
普段運動不足の筆者などは、体内から水分が消滅するんではないかと思うくらい汗だくとなってしまった。
その後は、新たな居住区となる体育館のスペースにスチロールと小畳を敷き詰め、避難者のみなさんに少しでも心地よい環境をつくれるようにと1枚1枚丁寧に並べていった。約2時間ほどかかって体育館全体の整備ができた。外はいつの間にか雨模様…やがて雷とともに激しく雨が降り出した。
約1カ月間教室に居住していた避難者のみなさんも、自らの荷物を少しずつ体育館に運び込む内に昼を迎える。
宮古小の校庭に営舎を張る自衛隊は真駒内駐屯地からの支援部隊、避難所数ヶ所分の食事約700食を毎日3食ずつ炊きだししている。
午後からもさまざまな作業があったが紙面の?都合で大胆に省略、夕食を終えた後は一段落し、今日は居住区が集約化されたこともあって子どもたちも増え、「若いオジさ〜ん」などと呼ばれてニヤけながら少しの時間交流を楽しんだ。
動き回った今日は気のせいか時の経つのがとても早く感じられ、20時少し前に再び夜勤組との交替時間を迎えた。
明日、本部が企画する田老地区の視察に参加する石狩市職労の2人は、これが避難所での最後の時間だ。
自らの家を失い、そして、大槌町に嫁いだ娘さんを津波で亡くして明日が葬儀というKさん。体育館のみなさんをしっかりまとめながら、この6日間我々にも本当に気持よく接してくれたリーダー格のKさんと記念撮影をしてお別れの握手を交わした時、こみ上げるものを抑えられなかった…。
BCに帰る3名の胸中、「あ〜終わった、終わった」との感覚は全くなくて、何かしらやり残したことがまだまだたくさんあって、もう少し一緒に頑張りたい…との思いは共通していた。
しかし、我々には一区切りであっても、避難生活をしている方たちは仮設住宅や我が家の改修作業が終わって引っ越しできるまでは、厳しい避難所暮らしが続くのだ。
我々の思いは、帰宿して合流した第2グループの各班にそれぞれからしっかり引き継がれたと思う。
地元市職員の業務を補助することで震災発生時から蓄積した疲労を回復させ、避難者のみなさんには復興・再起に向けた意欲と元気を取り戻してもらいたい、そうした願いを第2グループに託して、充実感と、ちょっぴりの物足りなさと、「どんな形であれ、是非また宮古に来たい」という思いが交錯する中で、心地よい眠りについた。
少し長くなってしまったが、以上をもって、先遣隊的役割も担った第1グループの報告としつつ、第2グループを含めメンバーを送り出してくれた各位に改めて深く感謝を申し上げるとともに、復興は長い道のりになるので、引き続く支援活動への最大限の取り組みを各地方本部及び単組・総支部にお願いして脱稿としたい。
「がんばろう東北、がんばろう岩手、そして、がんばろう日本」なのである。
(報告者=道本部・木村美智留)