見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第2グループの報告=第2班山口小学校支援 全道庁労連後志総支部・渡部広幾
山口小学校避難所に2台の洗濯機が、2日前岩手YMCAより支援を受け設置しました。
今までコインランドリーや親戚のところでで洗濯していたのが、同じフロアーにある女子・男子更衣室で行えるため、皆さん大変喜んでいます。
また、プライバシーをまもるためパーテーションで区切った女性用物干場も、同時に開設しました。
徐々に避難所の住環境も良くなってきていますが、4月25日(月)の小学校授業再開にむけ、学校運営と避難所運営をどう協調していくのかが、長引く避難所生活において今後のテーマになることでしょう。
この頃、避難者の皆さんのお名前と顔が一致するようになり、色々お話を聞けるようになりました。
津波の被害のあった、3月11日の状況もお聞きしました。
杖で歩行している66歳の女性の方の話では、住居は河口に近い防潮堤の近くで、地震直後に外へ出ましたが、同居している娘さんが車の免許もなく徒歩で避難しながら、「もうだめだ、死ぬ」と思ったそうですが、幸い親戚の人が車で通りかかって同乗し、高台にむかい助かったそうです。
70代の女性は、宮古駅近くの家にいて地震後直ちに避難せず、宮古市防災放送の津波の呼びかけで、中学生のお孫さんと外に出たときは、足元に黒い海水(宮古港のヘドロ交じり)が流れてきて「もうだめ」と、思ったそうですが近所の5階建の病院に避難し助かったそうです。
このように、ボランテアの私に“世間話”のように津波の状況のなかで「私は生かされた」とおしゃってました。
岩手県出生の宮沢賢治は、明治時代の三陸津波の経験から、あの有名な「雨にも負けず・風にも負けず」の詩を詠んだそうです。
この地が育んだ、“頑固で素朴な力強さ”の風土こそが、今後の岩手県においての復旧・復興事業を遣り遂げると、この自治労復興支援活動で強く感じています。