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2011年04月 アーカイブ

2011年04月10日

【☆支援活動報告】青森空港からバスで盛岡に到着!

東日本大震災の自治労の復興支援活動は4月10日スタートした。北海道本部からの第1グループ15人は、4月10日午前11時過ぎに青森空港に到着した。

その後、自治労本部対策本部(平木さん、矢吹さん)と青森・京都・和歌山県本部と合流、総勢32人で、自治労本部が準備した岩手県交通バス(所要時間5時間)で宮古ベースキャンプにむかった。

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各自昼食後に集合し意思統一のあと全員で写真撮影。クリックすると大きく表示されます。
今回の参加者は、全道庁労連から5人、石狩市職労2人、岩見沢市職労1人、深川市職労2人、滝川市職労2人、釧路市役所ユニオン2人、道本部(木村、写真左から3人目)から1人の15人

道中、被災地域を通りましたが、たしかにテレビで観た光景が広がっていました。
しかし、実際に見る被災地は「ひどい…」としか表現しようのないほど何もかもがメチャクチャでした。


川の上流に向かって津波が押し寄せ、川を氾濫させて堤防を軽々と超えて山の中腹まで船が打ち上げられていました。


家々や店、会社の1階は、少しだけの骨組みを残してことごとく廃墟と化していました。
3セクの鉄道線路が歪み曲がって山側に張り付いていました。


車があちこちに無惨に転がっていました。


電柱の天辺に漁網と浮き玉がぶら下がっていました。
まだまだ一杯あるのですが…私たちが通った沿線はまだマシな方と聞いて暗澹たる気持になってしまいました。


バスは約5時間かかって宮古BCの「宮古ホテル沢田屋」に到着。BC到着後、18:30から、他県も合流して10チーム揃っての全体ミーティング。


全体ミーティング

勤務ダイヤは時間的に相当ハードなもので、12時間の2交替制、24時間勤務というのもあり、明日から健康管理に気をつけながらしっかり頑張らなければ…との気持を強くしました。

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(深川市職労番水さん提供画像。4月11日追加アップしました)
19:30からの夕食は、明日から交替制勤務がスタートするため、全体が揃うのは最初で最後。
支援活動への期待なのか、ホテルで出してくれた料理は、震災の影響で名産品も打撃を受けている中でも心遣いが感じられるなかなかの品々でした。

自治労の仲間を支え復興を担う活動に、全力で取り組んでいきます。
(現地報告=道本部・木村)

2011年04月12日

【☆支援活動報告】宮古市職員の避難所担当回数・頻度はかなり軽減

4月10日スタートした「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第1グループ活動報告が届きました。

☆この報告を、プリントして回覧している単組があると、今朝報告を受けました。ありがとうございます。

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第1グループ
2011.04.11(第2日目)の報告


初日ということで、3班とも朝8時までに各避難所に向かい場所の確認、宮古市担当者との顔合わせからスタート。

避難所では、避難者の人数も運営体制(自主性)も違っており一概には言えないものの、概ね、次のような業務・任務。
①避難者の食事(食器準備、配給等)の補助
②避難所のトイレ掃除、ペーパーの補充
③支援物資の搬入、管理、配布
④居住スペースの乾燥防止のための加湿作業
⑤避難者の名簿管理
⑥親戚・知人の安否確認に訪れる方への対応
(該当者が避難しているかどうかの確認)
⑦居住スペース集約化(教室→体育館)のための引っ越し作業
⑧市の担当者業務の補助(連絡係、来所者対応、名簿検索等)
⑨その他

4月11日からの自治労支援活動により、市職員の避難所担当回数・頻度はかなり軽減されるとともに、この間自宅の状況確認すら満足にできなかった現状を少しは改善できると感謝された。

3班それぞれに初日の活動内容に強弱もあり、また、避難所によって24時間勤務の時でも一定の時間には仮眠OKの所もあるなどするが、肉体的・精神的に厳しいという感じではなかった。

筆者の担当している避難所では、約150人の避難者を11班に編成、それぞれに班長を選任して生活のほとんどを自主的に運営しているなど、逆に我々が直接関与することが反って迷惑になってしまう感じがしたくらいである。また、日中は仕事や家の片付け等で2割ほどの人しか残っていない状況だった。

3避難所とも食事は自衛隊の炊き出し(一部の食事は地元生協の弁当)であり、避難所にいる方ばかりではなく、自宅に戻った方でも水道・ガスが使えない方たちは避難所に食べに来るのもOKとしていることが少し意外であった。

なお、避難所の一部では今日の昼食時に地元業者(組合)によるラーメンと焼肉の炊き出しがあり、好評だったようだ。

初めての支援活動への戸惑いもあったが、初日は「寒さ」に閉口した。途中で肌着やウィンドブレーカーを着込んだり、防寒服を取りにBCに戻ったりした者もいた。

日勤者のBCへの帰着も班毎にバラバラであったが、夕食終了後に3班集まって活動内容等を情報交換して初日の任務を終えた。
(報告者=道本部・木村美智留)

2011年04月13日

【☆支援活動報告】再来週から学校を再開、居住スペース移動へ

4月10日スタートした「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第1グループ活動報告が届きました。
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第1グループ
2011.04.12(第3日目)の報告

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(クリックすると大きく表示されます)
石狩市職労の菅原さんと渡部さん。13日の24時間勤務を務めます

夜勤組の任務時間帯は20時から翌朝8:30。
3カ所の避難所(小学校)それぞれで任務内容は異なるものの、主には「夜警」の任務。
2カ所は夜中の一定時刻になると市の担当者も含めて睡眠をとれる。
残り1ヶ所は24時間体制。昨夜は、市の担当者2名が、夜勤明けでも仕事に行く(建前では休んでよいことになっているが、通常業務もあり実際には休めない者も多いようだ。)とのことで、気遣って睡眠を勧め、北海道の夜勤メンバー2人が寝ずの番をした。
現地2日目、本日(の日勤組)は、少しペースもつかめてきたのか、業務的には特に混乱はなかった。

一方で、3つの避難所は、生活の全般にわたって避難者を班編成して全て自主的に運営している所、自治会長的な役割を担う人が取り仕切る所、物資・食事のかなりの部分を自衛隊が仕切っている所といった具合で、我々が支援活動の柱とする市職員の関与のしかたもかなり異なっており、また、学校側が仕切っている所もあるなど、避難所運営のさまざまな課題や組織の枠組みを越えた連携の難しさも見えてきた。

我々の任務は、あくまでも市の業務の補助的任務にあるので、出過ぎたことをする訳にもいかず、少し歯がゆい思いをすることも増えてきたが、市職員(自治労組合員)をしっかりサポートすることに徹しようと確認しあっている。

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釧路市役所ユニオンの宝力さんと阿部さんです(クリックすると大きく表示されます)

避難者とあいさつ・ことばを交わしている内に、徐々に顔見知りもできてきて話し相手になる機会も増えてきた。
悲惨としか言いようのない震災の体験・経験をした方々にどんなお見舞いのことばをかければよいのか戸惑うことも多いが、避難者の多くは「わざわざ北海道から?本当にありがとう!」と感謝のことばで逆に我々を励ましてくれる。そのことばに報いるために「頑張ろう」と気持を新たにさせてくれる。出会って2日目なのに、心が通い合うことで本当に嬉しくなる。

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(クリックすると大きく表示されます)

また、今日、旭川市内の中学校のバレー部が送ってくれた支援物資が避難所に届き、ひとしおの感慨にひたることもできた。
(現在、支援物資の受入れを中止している所も多いので、この点は留意を。)

宮古市では、再来週から学校を再開することにしており、複数の避難所では、現在避難者の居住スペースに使用している教室から、今週中に体育館に集約化する(移動する)という大きな課題・問題を抱えている。
我々は、指示に基づき移動準備(間仕切り板の設置作業)や移転の手伝いもすることになるが、震災から1カ月余り、それぞれの居住スペースでできあがった「地域コミュニティ」の変化が、避難者同士や行政とのトラブルにつながらなければよいが…と懸念している。

また、明日からは24時間勤務もスタートする。
第1グループ15人は(今のところ?)元気に任務にあたっているが、心身ともにお互い気をつけ合いながらしっかり頑張っていきたい。
(筆者の属する第1班の写真しかお届けできなかったことお許し願いたい=道本部・木村美智留)

【☆支援活動報告】今朝の岩手情報=3日間とも天候は晴れ

昨日までの3日間とも天候は晴れ、気温は10度以上になることも。
しかし、日中は風が強く(岩手県の天気予報には「風注意報」とか「風警報」があります)、避難所内にいても体感温度はかなり低め、肉体労働をしてない時は寒くて着込まねば…といった感じです。

「ホコリ」は、街中&避難所含めて特に気になりません。マスクはお互いの感染症対策のためといった感じですが、地元ではかけてない人が多いです。

今朝も宮古は晴れ。
明け方4:30頃こちらにきて初めての地震を経験しました。震度3くらい。こうした環境のなか、余り恐怖は感じない。しかし、気をつけて頑張ります。

第1グループも支援活動も中盤。今日から避難所の移動(引っ越し)作業がはじまる。
(道本部・木村美智留8:30)

【☆支援活動報告】地元紙にインタビュー受ける!

現地から、「地元新聞の取材を受けて、今日の新聞に載ったよ!」と深川市職労の赤川さんから伊藤組織部長の携帯にメールが着ました。

下記の記事です。クリックしてご覧ください!

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写真右は、岩見沢市職労・佐藤さんです

【☆支援活動報告】第2グループ以降の参加者増に期待!

4月10日スタートした「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第1グループ活動報告が届きました。
(画像は、クリックすると大きく表示されます)

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第1グループ
2011.04.13(第4日目)の報告

第2グループ以降も同じ任務配置になるとは限らないが、第1グループの活動状況や現地・宮古市での様子は、組合員専用ページに既報の報告、本部資料などで雰囲気はつかめていただけたかと思う。

本日、13日も夜勤組からの引き継ぎで始まった。
第1班の石狩市職労の2人は、昨夜も宮古市の担当者(市職員・一部事務組合職員の2人)を仮眠させて、自らは寝ずの番だったと言う。班長として「無理をするな」と言ってみても、みなぎる使命感の前にはかすむばかりだ。その犠牲的精神には頭が下がる。

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さて、岩手県の天気予報に「風注意報」とか「風警報」があることは既にお伝えしたが、今日は朝から台風並みの強風に見舞われ、我々の任務にも少なからず影響が出た。
避難所の集約化に向けたパーテーション(応援に来ている中学校の先生がダンボールを加工したもの。)の運搬は、校庭を横切ればスグなのに、校舎内をぐる〜っと回り道しなければならなかったり、入口と体育館を結ぶ渡り廊下に雨・風よけのために張っているブルーシートをズタズタにされ、応急処置をした上で明日張り直しが必要となるなど…。

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北海道なら間違いなく「台風」なのだが、地元の人に言わせれば「春一番」か何番か?くらいの感覚で、数年に一度この時期の強風(暴風?)は珍しいことではないのだと言う。
他の班でも同様に、今日の作業を延期した避難所もある。

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避難所による現状の違いも顕著になってきた。
某班では、毎日・昼夜交替する市職員がなかなか判断を下せないこともあって、北海道団としては「出しゃばってはいけないよ」と意思統一しているのだけども、どうしても「仕切る」ことを求められてしまい、それで避難者からも信頼されて、近々「ずっといて!」の署名活動が起きるとか(この段落の一部に誇張あり)。

また別の班では、支援物資の食料を傷まない内に消費しないと、送ってくれた人に申し訳ないと、被災者への配布に色々と知恵を働かせたりもしている。
この班では、今夜からの24時間勤務を志願した深川・滝川の若者2人が、「仮眠は取れるから」と日勤帯の手伝いにも来てくれたと言う。
これに刺激された先輩たちも「全員が24時間勤務を経験しよう」と、本部の割り振りを自ら修正(勝手に変更?)して明日からの残り任務にあたる。

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こうした活動を地元紙「岩手日報」が取り上げてくれたことは既報のとおりである。

避難所における人間模様の難しさや、宮古市職員との連携の課題など、触れたい課題はまだまだあるし、時間的制約から他県メンバーとの交流ができていないことは残念であるが、少なくとも北海道から参加している15人の仲間は、今回の活動を通じてさまざまなことを学んでいる。
つたない報告ではあるが、雰囲気を感じ取って、第2グループ以降の活動に参加してくれる単組・組合員が増えてくれることを祈るばかりである。

明日は最高気温が19度の予報。
ももひきをはかずに、また充実した汗を流せるよう頑張りたいと思う。

(報告者=道本部・木村美智留)

2011年04月16日

【☆支援活動報告】明日(16日)は避難所最終日!

4月10日スタートした「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第1グループ活動報告が届きました。

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第1グループ
2011.04.15(第6日目)の報告

日勤と夜勤のローテーションが入れ替わった日、昨日に引き続き気温は20℃前後となり、月〜火曜日の寒さは一体何だったんだ?と思わせるような陽気であった。

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避難所4月15日の献立(クリックすると大きく表示されます)

第1班の夜勤組・釧路市役所ユニオンの両名も前任を受け継ぎ、宮古市職員を仮眠させて自らは寝ずの番を務めた。「今宵も同様に」と交替時は意欲満々の 笑みだった。
第2班は全道庁労連2人が夜勤入り、筆者と同世代だけに体力面が心配だが、「一緒にするな」と叱られそうである。
第3班はローテーションを変形して、班員全員が24時間勤務を経験しようとの試み、結果がよければ本部に意見反映し、引き続く各グループの勤務ダイヤの改良にもつなげられれば…と思う。

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段ボールでできた更衣室

さて、今日の日勤組の任務、暖かくなった日に限って体力勝負の作業が多かったようだ。

今日が体育館への集約化(教室に居住する避難者の体育館への移動)の日だった避難所では、予想していたとおり大小のもめ事が発生したらしい。夜勤組に交替した後の「本日の北海道団総括交流」で3班相互にしっかり情報交換し、明日集約化を控えている避難所の参考としたことは言うまでもない…実際にもめ事の防止につなげられるかどうか手腕が問われるところでもある。


東京都中央区立泰明小学校の子どもたちから届いたメッセージ

また、退所した人たちが使用していた毛布を青空のもと干す作業…枚数も多く朝から汗だくになって頑張っていた姿が印象的であった。さらに、集約化に備えて山積みされた支援物資の移動作業に汗した班も「最初からあそこに積んでいれば…」という思いになるのも当然ではあるが、現在は150人程度の避難者数でも、震災後しばらくの間は混乱の中で5〜600人もの人が小学校に避難していたことを思えば、そんなに計画的に物事を進められたハズもないので、ことばを呑み込んで黙々とダンボール箱と格闘していた。

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酒井義明さんの詩(クリックすると大きく表示されます)
酒井義明さんのHPはこちら↓
http://sakaiyoshiaki.com/index.html

道本部ホームページを通じてこの間の報告をしてきたが、メンバーを送り出してくれた単組の方から温かいコメントが寄せられ、大変励みになっている。
当該メンバーたちに、今日から避難所に導入された災害情報用パソコンを拝借して専用ページを閲覧してもらったところ、なかなか喜んでいた。

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ホテルの夜ごはん(クリックすると大きく表示されます)

筆者としてお詫びしなければならないのは、報告の内容が、把握可能な自分の班のことが中心となりがちで、頑張っているメンバーすべての活躍ぶり?を平等に取り上げられていないことだ。
固有名詞掲載の有無に拘わらず、3班・15人全員が、本当に貴重な体験・経験をしながら奮闘していることを強調しておきたい。

気がつけば、明日は避難所での任務最終日である。夜勤組は明後日の朝までの任務となるが、明晩は第2グループがBC入り、引き継ぎを行うことになっている。
第1グループの経験を「役に立つ情報」としてきっちり引き継ぐこととしたい。
やはり「がんばろう東北、がんばろう岩手、そして、がんばろう日本」である。

今日は、写真を撮る余裕もなかったために、本文と関連のないものが多いが、そこは想像力を発揮して、新たな派遣要員の確保に役立てていただきたい。

(報告者=道本部・木村美智留)


2011年04月17日

【☆支援活動報告】復興は長い道のり、引き続くとりくみに!

4月10日スタートした「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第1グループ活動報告が届きました。

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第1グループ
2011.04.16(第7日目)の報告

いよいよ第1グループとして任務の最終日を迎えた。今朝もいい天気だ。
冒頭お断りをしておかなければならないが、今夜は秋田空港経由で宮古入りした第2グループとの引き継ぎがあったため、3班集まっての総括交流会はできなかったので、第1班日勤組の報告中心となることをお許し願いたい。
他班及び夜勤組の活躍ぶりは別の機会に報告することとしたい。

さて、日勤組の3人は、「いよいよ最後だねぇ」とか言いながら、BCから歩いて約5分の宮古小学校に向かった。
今朝も「自治労復興支援活動・北海道」のゼッケン姿で歩きながら道行く人々にあいさつすると、「おはようございます」「ありがとうございます」と気持よい返事が返ってくる。
「お〜し、今日も頑張るぞ〜」と元気がみなぎってくる一瞬なのである。

しかし、我々を待っていたものは…。
第1班が担当する宮古小が、本日「体育館への集約化」の日であることは既報のとおりであが、昨夜も寝ずの番を通した釧路市役所ユニオンの夜勤組2人との引き継ぎを終えた後、朝から苛酷な「引っ越し作業」が待ち受けていたのである。

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教室のある校舎から体育館まで、数百枚の小畳や発砲スチロール運び。最初のうちは、すれ違いざまに軽口をたたき合っていたが、やがて苦笑のみの交換、最後はほとんど無表情のままで交差する…。
普段運動不足の筆者などは、体内から水分が消滅するんではないかと思うくらい汗だくとなってしまった。

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その後は、新たな居住区となる体育館のスペースにスチロールと小畳を敷き詰め、避難者のみなさんに少しでも心地よい環境をつくれるようにと1枚1枚丁寧に並べていった。約2時間ほどかかって体育館全体の整備ができた。外はいつの間にか雨模様…やがて雷とともに激しく雨が降り出した。

約1カ月間教室に居住していた避難者のみなさんも、自らの荷物を少しずつ体育館に運び込む内に昼を迎える。

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宮古小の校庭に営舎を張る自衛隊は真駒内駐屯地からの支援部隊、避難所数ヶ所分の食事約700食を毎日3食ずつ炊きだししている。

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午後からもさまざまな作業があったが紙面の?都合で大胆に省略、夕食を終えた後は一段落し、今日は居住区が集約化されたこともあって子どもたちも増え、「若いオジさ〜ん」などと呼ばれてニヤけながら少しの時間交流を楽しんだ。

動き回った今日は気のせいか時の経つのがとても早く感じられ、20時少し前に再び夜勤組との交替時間を迎えた。
明日、本部が企画する田老地区の視察に参加する石狩市職労の2人は、これが避難所での最後の時間だ。

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自らの家を失い、そして、大槌町に嫁いだ娘さんを津波で亡くして明日が葬儀というKさん。体育館のみなさんをしっかりまとめながら、この6日間我々にも本当に気持よく接してくれたリーダー格のKさんと記念撮影をしてお別れの握手を交わした時、こみ上げるものを抑えられなかった…。

BCに帰る3名の胸中、「あ〜終わった、終わった」との感覚は全くなくて、何かしらやり残したことがまだまだたくさんあって、もう少し一緒に頑張りたい…との思いは共通していた。
しかし、我々には一区切りであっても、避難生活をしている方たちは仮設住宅や我が家の改修作業が終わって引っ越しできるまでは、厳しい避難所暮らしが続くのだ。

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我々の思いは、帰宿して合流した第2グループの各班にそれぞれからしっかり引き継がれたと思う。
地元市職員の業務を補助することで震災発生時から蓄積した疲労を回復させ、避難者のみなさんには復興・再起に向けた意欲と元気を取り戻してもらいたい、そうした願いを第2グループに託して、充実感と、ちょっぴりの物足りなさと、「どんな形であれ、是非また宮古に来たい」という思いが交錯する中で、心地よい眠りについた。

少し長くなってしまったが、以上をもって、先遣隊的役割も担った第1グループの報告としつつ、第2グループを含めメンバーを送り出してくれた各位に改めて深く感謝を申し上げるとともに、復興は長い道のりになるので、引き続く支援活動への最大限の取り組みを各地方本部及び単組・総支部にお願いして脱稿としたい。

「がんばろう東北、がんばろう岩手、そして、がんばろう日本」なのである。

(報告者=道本部・木村美智留)

【☆支援活動報告】第1グループは、現在「青森行き」バスの中です

12時過ぎ、第1グループの3班15人全員元気で、他の3県本部とともに青森行きバスでBCを出発しました。

バスからはあちこちに桜も見えているのに、上川では「大雪警報」…と聞いています。第2グループのみなさん、くれぐれも体に気をつけて頑張って下ださい(^_^)/~


青森行きのバスには、北海道の以外の県本部のかたも合わせて30人が乗っています。
みなさん疲れて、眠り込んでいてほとんど写っていません。

(道本部・木村美智留)

お疲れさまでしたm(_ _)m

【☆2=支援活動報告】第1Gから引き継ぎ完了!宮古小に桜咲く

4月16日出発した「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第2グループ活動報告が届きました。

本日から第2グループの報告を掲載します。わかりやすくするために、見出しの表示を変えました。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ

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第2グループの報告(クリックすると大きく表示される写真があります)


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雨天のなか激しく飛行機は揺れ、今後のこれからの私たちの支援行動を暗示するかのようであったが、無事秋田空港に到着。

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盛岡駅の物産館では震災により物産店が開かれず、在庫となってしまった南部せんべいが値引きされ、売られていた。また、菓子店のいくつかが、被災により製造できず、閉店状態。

強風と雨もやみ、盛岡へむけバスが出発。
BCの宮古ホテル沢田屋へに近づく途中、だいぶ片付けられたのだろうが、瓦礫の残骸やTVで何度もみ見た、津波が堤防を越え漁船が橋げたにぶつかる映像、まさにその光景目の当たりし、思わずゾッとし寒気がした。

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緊張しながら、意思統一に参加、岩手県本部来内(らいない)委員長のあいさつ、澤田書記長から現地の被災状況報告に身が引きしまる。
これからの支援行動に自分たちに何ができるのか不安とともにどんなことでも力になりたいと気持ちを強くする。

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支援行動第1日目は第1グループの木村総括責任者が現地宮古小学校でも引継ぎをしてくれた。いろいろ説明を聞いた。

1度聞いただけでこの内容の用務をこなせるだろうか…
「え?もう木村さん帰っちゃうの?もう1日いてください!」と声にでそうになったが、そうもいかない。
やるしかないんだ。体制を確立していただいた第1グループのみなさんのご苦労ははかりしれない。夢中で1日の任務を終え本当に実感した。

第1グループのみなさん本当に本当にお疲れさまでした。


自治体職員のノウハウを発揮して、すぐに支援活動に取り組む伊藤組織部長。


退所者の日干しした毛布ををかたづける、札幌市労の阿部さん

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宮古小学校の校庭に桜が咲き始めている。


グラウンドを囲む桜の木々とその中に並ぶ自衛隊の救援車両と炊き出しテント。
被災者の方たちはどんな気持ちで今年の桜を眺めているのだろうか。

つづく

(報告者=道本部・小杉由美子)

2011年04月18日

【☆2=支援活動報告】今日は臨時登校日、時計の針はあの日のまま

4月16日出発した「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第2グループ活動報告が届きました。

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ

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第2グループの報告

支援活動2日目

宮古市内は抜けるような青空。
避難所になっている宮古小学校では、25日の授業再開にむけて今日は臨時登校日となり朝から子どもたちのにぎやかな声が響いてきました。
小学校には学童保育所も隣接しており、授業終了後にはたくさんの子どもたちが集まっています。


工作教室

今日は、震災で日常の楽しみを制限されている子どもたちに楽しんでもらいたいと札幌市労から参加してくれている阿部さんが支援活動の合間をみてちょっとした工作教室を開いてくれました。あっという間に子どもたちの人気者です。

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りりしい後ろ姿!将来はサッカー選手かも…

外ではサッカーに興じる子どもたちもいて微笑ましい限り。
避難所にいることを忘れさせてくれる春のひと時でした。


避難所を訪れるお客さんの対応をする宮古市職員

さて、避難所には毎日多くの方が訪れます。親戚や友人を尋ねてくる方、ボランティアの方、支援物資を求めてくる方などさまざま。時には避難所内でお互いの無事を確認して抱き合う姿に思わずもらい泣き・・・。

震災から1カ月が過ぎて避難所の皆さんは、表面上は落ち着きを取り戻しているように見えますが、体育館の時計が地震の時刻を指したまま止まっているのを見て「3月11日を思い出してしまうので早く直してほしい」という避難者の声に、皆さんの心の傷の深さを思うと本当に胸がつまります。一日も早く平穏な日々が戻るよう願わずにはいられません。

北海道の支援隊は、宮古小学校、山口小学校、愛宕小学校の3カ所の避難所運営を支援しています。それぞれ5人を配置し日勤3人は8:30から19:00、夜勤2人は19:00から翌朝の8:30までです。
避難所ごとに運営ルールが違うためそれぞれに苦労もあるようですが、第1グループが作ってくれた人間関係や信頼関係に大いに助けられている気がしています。

次回は、それぞれの避難所で奮闘している仲間の情報をお伝えしたいと思います。

(道本部・伊藤美恵子)

2011年04月19日

【☆2=支援活動報告】東北の人の暖かさに励まされ...

4月16日出発した「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第2グループ活動報告が届きました。

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ

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第2グループの報告

今回は、第2班山口小学校の報告です。


山口小学校近辺に降る雪…

避難所の支援をはじめて、3日が過ぎました。
今日の宮古市は、寒気の影響で一日中雪と雨。寒さの堪える一日でしたが、避難所の中は、とてもにぎやかでした。
 
避難所には、毎日さまざまな団体の方が、ボランティアや物資の支援に訪れて下さいます。
昨日は、弁護士会の生活相談や化粧品メーカー。今日は、子どもむけ遊び会、メガネ屋さんのメガネ提供、フラワーアレンジの会、美容師さんによるカットのサービスなど盛りだくさんで、事務局を担う自治労の仲間は、対応に大わらわ…。でも、どのサービスも被災者の方には大好評でした。
 

行列ができためがね提供サービス

特にメガネ提供のサービスは、地震でひびが入ったメガネを使っていたり、津波でメガネを流された多くの方が列を成し、皆さんが1カ月も不便な想いをしていたことに、今さらながら思い至りました。

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色とりどりのカーネーションに笑顔がこぼれます

また、フラワーアレンジの会では男性の方々も参加して、作品を作る皆さんの顔に笑顔があふれました。
被災者のお一人が、作った作品を事務局にプレゼントしてくれるという一幕もあり、お心遣いに感動…!
皆さん、ご自身が大変な中でも事務局にねぎらいの一言をかけて下さり、東北の人たちの暖かさを感じて逆に励まされる日々です。
 
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避難所で一番のイベントは、自衛隊の方が作ってくれた食事の配膳です。
その日いる人数を確認しながら、足りなくならないように…でも、せっかく作っていただいた食事を残さないように、総出でスピーディーに配膳を行います。
 

もたつく事務局に、ちゃきちゃきと作業を進める被災者(笑)
 
配膳と片付けをみんなで行うことで、避難所の連帯も高まっている気がします。
 
(筆:第2班山口小学校支援 全道庁労連空知総支部・松井梨絵)

2011年04月20日

【☆2=支援活動報告】避難所の1日はあっという間=残りの期間も頑張る

4月16日出発した「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第2グループ活動報告が届きました。

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ

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第2グループの報告

今回は、第3班 愛宕小学校の報告です。

支援活動4日目となりました。
避難所のボランティアにも少しだけ慣れてきたように感じます。

愛宕小学校の避難所ボランティアは、昼勤務(8:30-19:00)と24時間勤務(8:30-翌朝8:45)までのシフトでまわしています。3日目にしてはじめての24時間勤務は、昼には見られない避難所のようすを垣間見ることができました。

<避難所の一日>

引き継ぎ

朝、避難所に着い時点で自治労5人のメンバーと事務局で引継ぎをします。
男性4人と私の5人のメンバーで、それぞれの考えを伝えあいます。それから宮古市の職員二人と、避難所のリーダーである町内会長さんにあいさつをします。
その後24時間勤務を終えて疲れきった二人は帰り、フレッシュな3人でお仕事開始です。

現在の愛宕小学校では被災者が4班に分かれ、食事の用意をする班と掃除班を日替わりで担当しているため、雑用と配膳の手伝いなどをしている状態です。例えば、開いたまま閉まらなくなった窓を力ずくで閉めたり、頻繁に届く物資を保管場所に運んだり、男性陣は力仕事を積極的にこなしてくれます。
私は普段包丁を持たないのですが、昼に出すために支援物資のダンボール箱いっぱいのりんご剥きを3人で担当。手が痛くなりましたよ!また、なるべく事務局に居て御用聞きになれるよう努めています。

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「ご自由にどうぞ」コーナー=クリックすると大きく表示されます

支援物資が毎日届くためどのようなものがあるかも確認する必要があります。今回は外国からの支援物資が大量にあったため、「ご自由にどうぞ」コーナーにコメント付きで置いたところ、多くの方に使っていただくことができました。

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時間が空いているときには子どもたちと遊びます。子どもと遊ぶひと時は、なんだか癒されますね。

食事当番の班はありますが、自衛隊からの炊き出しの受け取りや、配膳のためのセッティング、高齢者や大家族の方の配膳を手伝うなど、さまざまな手伝いをします。また、食事はみなさんが楽しみにしているため、町内会長さんがメニューを見て少し足りないと判断したら、支援物資の中から煮豆や缶詰などを選んで、プラスでおかずを出します。

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掲示板=クリックすると大きく表示されます

このように、一日はあっという間にたち、9時の消灯になります。テレビを消し消灯しても、かなり明るいため寝付くのには難しい状態です。

また、一日避難所にいる方は寝たり起きたりを繰り返しているため、眠りが浅いようです。地響きのようないびきもあちらこちらから聞こえます。
朝は、5:30ころから新聞を待っている方が複数いらっしゃるので、なるべくはやく各班に配布します。


避難所生活は、昼間は保健師や医師などのボランティアが体調管理をしてくれて、三食の炊き出しもありますが、体育館での集団生活を長期続けることは、心身ともに本当に負担のかかることだと思います。少しでもそのお手伝いができると信じて残りの期間もがんばります。

(第3班 愛宕小学校支援 札幌市職連 葛葉もも子)



窓ガラスの補修

2011年04月21日

【☆2=支援活動報告】小学生のトイレ掃除=みんな「べっぴんさん」になれるよ!

4月16日出発した「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第2グループ活動報告が届きました。

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ

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第2グループの報告(写真は明日アップします)

第5日目(第2班 山口小学校支援 全道庁空知総支部 尾藤清志)


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山口小学校校庭の桜(クリックすると大きく表示されます)

今日は夜番なので日中の勤務はなかったけれど、ついつい山口小学校に足がむいてしまいました。
底冷えする昨日の天気とは違い、ぽかぽか陽気の気持ちよい天気になりました。山口小学校の校庭では桜が満開に咲き、本格的な春の訪れを感じることができました。


校庭の仮設トイレには毎日訪れるボランティアの小学生たちの姿がありました。

一番大変なトイレ掃除を率先して行ってくれます。明るく頑張る姿に、いつもこちらが元気をもらっています。
きっとみんな「べっぴんさん♪」になれるよ!

津波に襲われた宮古市役所の裏にある海岸付近を散策しました。
復興がはじまったとは言いつつ、まだまだそんなことが感じられる風景ではありません。

復興という言葉は外から来た私たちが使うのではなく、そこに住む人たちが使う言葉ではないかと感じました。

昨日、同じ宿舎に泊まっている北海道テレビ(HTB)の取材班と風呂場で一緒になりました。被災地での健闘を讃えつつも、ついつい愚痴っぽくマスコミの報道は「公務員労組の選挙活動ばかり槍玉にあげるが、自治労は被災地の支援だってやっている。ぜひ取材に来てください」と言ってしまいました。


2011年04月22日

【☆2=支援活動報告】ともに生きていくための知恵を共有することが大切

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ

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第2グループの報告=宮古サポーター・増田徹(札幌市職連)


あっという間の6日目
今日の愛宕小避難所は大きなイベントもなく、穏やかな1日を過ごそうとしています。
そこで、届けられた支援食料の中でも早く消費しなくてはならないもの、ちょっと手のかかるものを皆さんに提供することにしました。


イモ洗いする柳原さん

一つは北海道産のジャガイモ。
ダンボールで大量に届いているのですが避難所には調理場がないので処理に困っていたものです。
早くも芽が出かかっていたので、ストーブに鍋をかけて塩ゆでにすることにしました。
札幌市職連のイモ奉行・柳原さんが分量やゆで時間をきっちり計算し、ホクホクのところを夕食と一緒に出したら大好評でした。


夕食配膳のようす


夕食配膳真ん中が葛葉さん

もう一つは青森から送られたリンゴです。
市職連のリンゴ奉行・葛葉さんの指示のもと、皮をむいていると避難者の皆さんが次々に声をかけてくれます。
「山ほどあるねぇ。リンゴ好きなんだよ」「お兄さんリンゴむくの上手だね」
被災された皆さんとのこういったコミュニケーションがうれしいです。
皆さんに喜んでもらえてビタミン補給のお役に立てるなら、皮むきぐらいお安い御用です。


愛宕小学校避難所

この避難所で何日間か被災者の皆さんと生活をともにして感じたことを2つ書いてみますね。
まず、支援物資のあり方です。
一例をあげれば、使い古しの毛布や古着など。これらが現地で使われることはまずありません。
親切心で送ってくれるのでしょうが、言ってしまえば「有りがた迷惑」の好例みたいなもの。
災害発生直後で生きるか死ぬかの瀬戸際ならば分かりませんが、1カ月もたってそこそこ落ち着いている現地の状況では、メーカーからの援助で新品が送られてくれば、そっちを使うに決まっています。
使う側の気持ちに立った物的な援助が求められていると思いました。

食料などもたくさん送られてきますが、一人ひとりに当たるように小分けされたものでないと扱いに困ってしまいます。
2リットルのペットボトル飲料よりも、200mlの紙パックを10個送ってくれたほうが助かります。
全国の皆さんの好意をムダにしないためにも、そういう現地の状況や被災者の気持ちをきちんと伝えたいものです。


手の消毒やマスク着用を勧めています

次に、避難所の衛生状態について。
愛宕小に巡回に来ている横須賀市の保健師さんといろいろお話をしました。
ここ何日か寒い日が続いたので、すきま風が入らないように窓や非常口の目ばりをしっかりやったのですが、
それはそれとして定期的に換気をやるように、と指摘されました。
広い体育館といえども汚れた空気が循環していると体に悪く、風邪を引きやすくなるそうです。
今日は少し暖かかったので、昼食後に2階のガラス戸を15分ほど全開し、空気の入れ替えをしました。

食品衛生についても細心の注意が必要です。
高齢の方、体の弱い方もたくさんいらっしゃるので、感染や食中毒の原因になることは絶対ダメ。
きちんと手洗い、消毒、マスクや手袋など、私たちの普段の生活以上の配慮が必要です。


宮古市職員の方とミーティング

支援のために被災地に来ているのですが、いろいろ学ぶことの多い毎日です。
助けてあげる、といった「上から目線」ではなく、ともに生きていくための知恵を共有することが大切だと思いを新たにしています。
宮古市の職員の皆さんとも寝食をともにしながら情報交換し、仲良くなれてうれしいですよ~
以上、現地からの報告でした。


2011年04月23日

【☆3=支援活動報告】第3グループ出発!雨です…

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ


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第3グループの報告

いよいよ第3グループが出発しました!
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第3グループ(クリックすると大きく表示されます)

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青森空港を出発して高速道路の岩木山パーキングで14:10から14:20まで休憩、雨の中全員がバスを降りました。(青森空港は、12:30に出発)

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そして、合流地点での写真です只今15:00、盛岡駅で花巻空港便との合流待ちです。天候は、現地に近づくにつれ、雨足が強くなっています。週刊天気でも雨模様、大変さを予感…

(道本部・山木紀彦)

【☆2=支援活動報告】一級建築士?なんでも作っちゃいます

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ

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第2グループの報告=第3班:愛宕小学校支援 札幌市職・柳原 大

(道本部・小杉談=柳原さんは手先がとても器用で得意の工作(?)でいろいろなものをつくり、避難所のみなさんに喜ばれていました)

避難所で突然自治会長から、ホワイトボードのペンとイレイサーを保管する場所がほしいと言われ作ったのが第1作でした。

その後、黒板消しを発見し、当番表でチョークが卓球台の枠の上に乗っていたので、第2作目の板消しとチョークを立てるケースを作成し、自治会長へ報告ししばらくすると、自治会長が何を思ったのか、うちには一級建築士がいるからと、周りの方に言いふらし?はじめたのが、避難所勤務初日のことでした。

翌日、「インターネットを見られるパソコンの利用方法を、簡単に案内する看板がほしいね」と言っていました。

ちょうど良い箱が空いたので看板と、ルーター、電源タップを収納する箱を兼ねた物を作成してみました。


同日、横須賀から支援に来ていた保健師さんから、うがいの状況と紙コップの在庫状況を尋ねられ、充分にあることを伝えると使った紙コップを使い捨てにしてほしいと要望があったので、その対応のため作成したのが、水場への紙コップ置き用のケースです。
うがい用として2個、水飲み用として1個、給茶コーナー用に1個作成しました。

この紙コップ置きを作成している際に、班長の岩淵さんから、紙コップを1つずつ引き抜ける紙コップケース作成を命令され、試行錯誤の結果完成したのが次の作品です。

当初、紙コップを引き抜くためには強い力が必要で、どうやって壁に固定するか悩みましたが、答えが出ずやむななく一旦保留し翌日を迎えました。
すずらんテープすらない避難所で、偶然、ゴミ箱に新聞を束ねていた荷造り紐が残っていたのを発見、3つに割き横に穴を開け紐で縛ってみることにしました。
左手でケース本体を持ち、右手で紙コップをこじると1つずつコップを入手することができます。

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クリックすると大きく表示されます

事務局の側で身体の不自由なおじいさんが、毎食床に置いた食べ物をつらそうに食していたのが気になっていました。ちょうど良い箱が手に入ったので試行錯誤の結果、無事テーブルが完成しました。

足の部分は、台形に加工した箱と、未加工の箱を組み合わせて接着し、ハの字になるように加工したことで、正座したときにひざが入り、おなかをテーブルに近づけることができるようになりました。また、足のむきを間違わないように青いテープで上部を色付けし。足と天板を別々に分離できるように接着しませんでしたが、安定感もあり、片付けやすいテーブルになりました。

周囲の方からも良いものを作ってもらったねと声かけもあり、おじいさんはとても喜んでいました。
食後はテーブルを大事に片付けてくださり、今後も引き続き使っていただけるようすでした。

避難所の住人全体に喜ばれる工作も楽しかったのですが、たった一人の方のための工作も楽しい作業でした。
 
あっ、ジャガイモ洗いは大変でしたが、茹でジャガイモ作成も楽しかったですよ(笑)

【☆2支援活動報告】「雨にも負けず・風にも負けず」頑固で素朴な力強さで復興

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ

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第2グループの報告=第2班山口小学校支援 全道庁労連後志総支部・渡部広幾


山口小学校

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山口小学校避難所に2台の洗濯機が、2日前岩手YMCAより支援を受け設置しました。
今までコインランドリーや親戚のところでで洗濯していたのが、同じフロアーにある女子・男子更衣室で行えるため、皆さん大変喜んでいます。

また、プライバシーをまもるためパーテーションで区切った女性用物干場も、同時に開設しました。

徐々に避難所の住環境も良くなってきていますが、4月25日(月)の小学校授業再開にむけ、学校運営と避難所運営をどう協調していくのかが、長引く避難所生活において今後のテーマになることでしょう。                                                               
この頃、避難者の皆さんのお名前と顔が一致するようになり、色々お話を聞けるようになりました。                            
津波の被害のあった、3月11日の状況もお聞きしました。
 
杖で歩行している66歳の女性の方の話では、住居は河口に近い防潮堤の近くで、地震直後に外へ出ましたが、同居している娘さんが車の免許もなく徒歩で避難しながら、「もうだめだ、死ぬ」と思ったそうですが、幸い親戚の人が車で通りかかって同乗し、高台にむかい助かったそうです。

70代の女性は、宮古駅近くの家にいて地震後直ちに避難せず、宮古市防災放送の津波の呼びかけで、中学生のお孫さんと外に出たときは、足元に黒い海水(宮古港のヘドロ交じり)が流れてきて「もうだめ」と、思ったそうですが近所の5階建の病院に避難し助かったそうです。

このように、ボランテアの私に“世間話”のように津波の状況のなかで「私は生かされた」とおしゃってました。

岩手県出生の宮沢賢治は、明治時代の三陸津波の経験から、あの有名な「雨にも負けず・風にも負けず」の詩を詠んだそうです。
この地が育んだ、“頑固で素朴な力強さ”の風土こそが、今後の岩手県においての復旧・復興事業を遣り遂げると、この自治労復興支援活動で強く感じています。



仮設トイレ

2011年04月24日

【☆3=支援活動報告】第3グループの1日目がはじまりました

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ


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第3グループ

1日目が始まりました。第2グループから朝一番で現地引き継ぎを行い、学校の
副校長の依頼でさっそく、体力仕事。昨日とうって変わった晴天。開始まもなく
で汗だくで作業しています。被災された方も元気です。これから一週間がんばり
ます。

徐々に携帯メールで暇を見つけて、報告します。11:30

(道本部・山木紀彦)

【☆3=支援活動報告】第2Gに避難者から「ありがとう」の声。気引き締まる

見出しの表示は下記の通りグループごとに☆、☆2、☆3と変えています。
【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第2班:道本部・牧野長武  14:19


昨日の雨もおさまり、今日の宮古市は晴天です。

昨晩は、全体会議とBCでの班毎の引継ぎを行い、いよいよ第3グループの支援活動がスタートします。
第3グループの北海道団は、第1・2グループに引き続き、「宮古小・山口小・愛宕小」の3箇所の避難所支援を行います。
 
第2班は、山口小学校を担当します。
第2班は、道本部から牧野、士別市職労の太田幸兵さん、上川町職労の只野敬子さん、小路枝美子さん、鷹栖町の山本沙織さんの5人。上川地本メンバーです。
 
24日、先ずは第2グループのメンバーと一緒に、2班全員で山口小にむかい現地での引継ぎです。山口小は、ベースキャンプから徒歩15分の場所にあり、現在は70人ぐらいが避難をしています。
 

士別市職労の太田さん

引継ぎでは、支援物資の取り扱いや保管場所、各種事務、衛生面の課題などなどを教わりました。市職員も同じ人が常駐してるわけではないので、「前に来たときと色々と変わってますね。本部の周りも整理されてる(笑)」と言ってました。
避難所支援は、状況も日に日に変わっていくし、臨機応援な対応も求められるものと思います。不安もありますが、宮古市の仲間の負担を軽減できるように、しっかりとがんばっていきます。

引継ぎ後、第2グループの方々は帰宅です。帰りのあいさつをすると、避難者からは「ありがとう」とのお礼の声、大きな拍手が沸きあがりました。第1・2グループが築いてきた避難者との信頼関係を受け継ぎ、しっかりとがんばらなくてはと、気が引き締まりました。

避難所の雰囲気を体験したところで、夜勤隊の2人はベースキャンプに戻り、夜に備えて休憩です。帰り道、公園の横を通ると桜が満開で、ブランコで遊ぶ子どもたちの姿もありました。

【☆3=支援活動報告】体力勝負の作業山積み!(^^)!

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=1班:道本部・山木紀彦 15:44


ここ宮古小学校は明日から始まります。

今日まで利用していた家庭科室(皿洗いなど)の引越を旧校舎にシンクを作ったり、教室などの荷物移動そして、明日から使用できるように洗濯機置き場の整頓と物干し場の作成、体力勝負の作業山積み。
明日からの学校で雰囲気もガラリと変わるだろう。まだまだ、がんばるよ!

【☆3=支援活動報告】宮古小学校は明日始業!旧校舎への運びこみで汗;

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第1班:道本部・山木紀彦 20:41


第3グループは毎日、班の順番を決めて報告することにしています。
今日は第1班、山木が報告をいたします。

チョコチョコ報告をしているのでHPにアップもされているかと思いますが、本日の報告を夜勤は現在進行中。
 
なお、私のポカで写真データが非常に少ないのは素直にごめんなさいとお詫びして、写真は後ほどデーターを送信しますので、校正の手間をかけて申し訳ない。メールでの報告技術がないためご了承願いたい。

昨日に引き続き、第2グループ伊藤班から朝一で現場の引継ぎを受け、「そろそろいろいろな問題が出てくるよ」と少しの脅しを受けて、第一日目がスタートした。
 
第1班は、不祥な班長=道本部・山木、札幌市職連・吉田さん、千歳市職労・谷内田さん、北広島市職労・宮本さん、当別町職・樺沢さんの5人で、昼勤務、山木、吉田、谷内田ではじまった。

現地の宮古小学校は、明日からはじまるということで、今まで利用させていただいた教室などにある荷物を、今は使われていない旧校舎に運び込み、第2グループが作った旧校舎内のトイレを改装した洗濯室と食器洗い場に物置台やシンクを運び込んだ。
物干し場を作るため階段(コケや汚れが酷い)の清掃を行った。前日の雨模様と週間天気予報が外れ、春を思わせる陽気の中、汗だくの作業となった。
 
吉田さん、年を感じさせない働き、見習わないといけない。

谷内田さん、班での紅一点、すばやい動き、これも見習わなければ、それと寒いので体調に充分気をつけて。

校庭では、近隣の避難所への炊き出しを行っている自衛隊のキャンプが張られ、日に数百食を被災者のために努力している。全国から数万人規模での支援、複雑な思いもありつつ、早期復興のためともに頑張ろうという気持ちになった。

夕方、避難所に大道芸(ピエロっていっていたが)を見せてくれるボランティアが来て、子どもたちが抱腹絶倒、厳しい中にもささやかながらも笑いを提供してくれた彼らに敬意を表する。少しでも避難所に元気をくれたと思う。(最初に胡散臭いと思ってごめんなさい)

現場ではさまざまなことが起きました。明日から学校もはじまり、雰囲気も一変するかと思うが、夜勤の宮本さん、樺沢さんともども頑張ります。

これからも「ちょび報告」は携帯で現地から時間を見つけて送ります。明日の報告は、第2班からの山口小学校からの報告予定です。

2011年04月25日

【☆3=支援活動報告】今日が宮古小学校の始業式、一つ一つ復興…

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【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第1班:道本部・山木紀彦 8:38


いよいよ今日が宮古小学校の始業式です。写真はその準備風景です。この後は新
一年生の入学式です。一つ一つ復興にむかっています。


【☆3=支援活動報告】今日は宮古小学校の入学式!時は刻んでいます

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【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第1班:道本部・山木紀彦 9:15


今日4月25日は宮古小学校の入学式。
新一年生が続々とやって来ました。大変な中でも、着々と時は刻んでいます。


【☆3=支援活動報告】きめ細やかな活動で力になりたい

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【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第2班:上川の只野です。班員の報告をそれぞれ送ります!

上川町職労 小路
活動初日が終わり、少し余裕が出てきて周りを見て何をすべきかをようやく判断できるようになったところです。
今朝(4/25)自宅解体に立ち会うというご家族と話をして、避難所の比較的穏やかな雰囲気の中であらためて、ハッとする思いがしました。これから一層、きめ細やかな活動に心がけて、皆さんの力になりたいと思っています。

士別市職 太田
宮古市は大きな被害を受けたものの順調に復旧し、避難所の被災者も想像以上に明るく元気です。これから1週間、私も元気に頑張ります。

上川町職労 只野
避難所については、衛生面ではしっかり管理されていて、色々と思いを巡らせて現地入りした私にとっては、良い意味で想像を裏切られました。
ボランティアの方々や、さまざまな福祉関係の方が毎日入れ替わり訪れ、被災された方々のケアをされています。私も微力ながら被災された方々の一助になれれば良いな…。と改めて感じました。

2011年04月26日

【☆3=支援活動報告】自転車が届きました!

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第3グループ=第1班:道本部・山木紀彦


日常が戻りつつある一風景です。
子どもたちの元気な姿に一刻も早い復興を望むばかりです。10:30


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市から自転車が一台避難所に届きました。組み立てで一苦労。これから暖かくなり自転車の稼働も増えるので対応も出来るかな?12:29


【☆3=支援活動報告】積み上げられた支援物資を片付け移動!

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【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第1班:道本部・山木紀彦 14:31


小学校の旧校舎2・3階廊下に積み上げられた支援物資を1階の物置を片付け、移動(千歳市職労の谷内田さんも力仕事を頑張ってます。)2日がかりで完了しました。


2011年04月27日

【☆3=支援活動報告】朝残ったご飯で焼きおにぎり!

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【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第3班:洞爺湖町労連 佐藤&天羽
(写真はのちほどアップします)

「第3班全員揃って朝のミーティング。今日も1日気合いを入れて!」第3班は十勝総支部土田さん、胆振総支部山本さん、河﨑さん、洞爺湖町労連2人の計5人で愛宕小で避難所運営の支援を行っています。


「第3班全員揃って朝のミーティング。今日も1日気合いを入れて!」

第3班の支援ローテーションは班長(土田さん)が午前8時30分から午後7時まで(日曜日から土曜日)、ほかは2人1組で午前8時30分から午前8時30分まで(1日交替)のローテーションで支援を行っています。


体育館横に今日、やっとふとん毛布を干すための物干し台の設置工事が始まり
ます

4月26日
この日は、愛宕小学校で入学式が行われました。愛宕小で避難生活をされている男の子も泣きじゃくりながら(感極まって?)、お父さん、お母さんと一緒に学校に行き、晴れて1年生になりました。おめでとうございます。


「朝食で余ったご飯で、屋外で被災者による焼きおにぎりです。かなり美味で被
災者に好評でした…もちろん完売ですょ」

この日の昼は、お弁当なんですが避難者の方々が朝残ったご飯で焼きおにぎりを焼いてくれました。(祭の露店に出してもいいくらいの腕前でした)

班長が毒味?をしましたが、「おいしい!」と言って食べていました。
この避難所の方々の中には、今回の震災で家族を亡くされたり、未だに家族の行方が分からない方、また、住む家もない方もいます。それでも、みんなで協力し合い前に進んで行こうという気持ちが強く伝わり、逆に自分たちが元気をもらっている気がします。

第3グループの支援活動も残りわずかではありますが、班長を筆頭に避難されている方、宮古市役所の職員の方に対して微力ですが明日以降も頑張っていこうと思います。
              

「宮古第一病院からリハビリ課の音楽療法士、言語聴覚士など5人が来ました。
被災者も音楽は癒しのひと時です」


「横須賀市からの保健師2人、毎日来て、毎日健康チェックを!いゃいゃ毎日女子ト
イレの掃除窓拭き、ラジオ体操も模範体操して帰ります。頭が下がります」


「保健師さんと共にお昼のラジオ体操です。昨日から毎日午前11時に体操です」

【☆3=支援活動報告】来年、校庭に桜が咲くときには…

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ第1班 吉田 隆一


本日は支援の折り返し日です。避難所任務にも多少慣れ、被災者の方ともお話をすることができるようになりました。不自由な避難生活で、当然のように心身ともにストレスと疲労の中ですが、被災者の皆さんは落ち着きを取り戻しています。

また、宮古市は近隣の市町村から比較すると災害からの復興が進んでいるようで、避難所の皆さんも今後の生活にむけて取り組んでいます。仮設住宅や義援金の申し込みも始まっています。復興にむけ着実な歩みを感じます。

避難所の子どもたちも深い心の傷を抱えているとは思いますが、元気に私たちと遊んでくれており、心が和みます。

自衛隊が駐屯している宮古小学校の校庭は桜がとてもきれいに咲いています。来年、校庭に桜が咲くときには、子どもたちが校庭で遊ぶ「普通」の校庭の風景があるでしょう。

【☆3=支援活動報告】さまざまな場面で復興が進んでいます

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第1班:道本部・山木紀彦


宮古市内の多くの店は閉まっているものの、数店舗は営業しているようです。さまざまな場面で復興が進んでいます。

避難所では、徐々に人も少なくなり、これまでお手伝いしていなかった配膳にも協力しています。
宮古小学校では、衛生面で非常に気を配っており、配膳前のお手伝いが主でした.

2011年04月28日

【☆3=支援活動報告】田老地区を視察「言葉が出ない」

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第2班:道本部・牧野長武
4月27日(水)

夜勤隊の日中の空き時間を使い、田老地区の被災状況、避難所の視察が行われました。


田老地区=写真の奥に見えるのが大防波堤です。

田老地区は、過去の大津波の教訓から、1979年に高さ10m、長さ2.4kmの大防波堤が完成しています。しかし、今回の東日本大震災による大津波で壊滅的な被害をうけてしまいました。
 
田老地区の現状を見た率直な感想は、「言葉が出ない」でした。
瓦礫の撤去なども進んでいるようすでしたが、本当にマチがまるごとなくなったような感じで、改めて、津波の恐ろしさ、被害の大きさを痛感しました。
 

また、鍬ケ崎の魚市場方面も案内していただきましたが、岩手県本部の方は「魚市場は宮古のシンボル。早く復旧をしてほしい」とも言っていました。


仮設住宅は、グリーンピア三陸みやこの敷地内に建設中の仮設住宅です

避難所では、山形県本部・滋賀県本部が担当している「グリーンピア三陸みやこ」を見てきました。ここは、600人ぐらいが避難している大きな避難所です。

乳幼児や高齢者世帯などはホテルに宿泊し、アリーナには350人ぐらいが避難しています。写真はとれませんでしたが、ダンボールを使い碁盤の目状に区画整理がされている、四方向がダンボールで仕切られているという感じでした。
私的な空間が確保されている反面、共有スペースの清掃関係などさまざま出ているとの事でした。

今日は、これから24時間勤務です。
やっと、避難者の顔と名前も一致してきました。今夜もがんばるぞ!

【☆3=支援活動報告】仮設住宅45戸建設が決定!しかし…

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第3班愛宕小学校避難所:十勝総支部・土田

愛宕小学校グラウンドに仮設住宅45戸建設が決定しました。
工事は今日から始まり5月末完成6月入居開始です。
避難所は5月末で閉鎖されます。

工事着工日が急遽決まったことについて、入所者112人を前に昨夜7時から宮古市
住宅建築課滝澤課長から説明ありました。
やっと少しは辛い避難所生活から解放される人達もいます…。



避難者を前に、愛宕小学校古玉校長が「体育館を5月末で避難所を閉める要望をした理由は、グラウンドに仮設住宅が建つと子ども達の遊び場所、運動する場所がありません…皆さんには申し訳ありません。事情をご理解ください…」と涙ながらに訴えていました。


「避難所内体育館ステージに子ども用のミニ図書館をスタッフ苦労しながらつくって
います」


ステージ裏など毎日届く支援物資は至るところに分散し、とうとう市職員事務所まで満杯に…我々も見かねてついに整理整頓です。



愛宕小学校運動広場午前8時から仮設住宅建設作業が始まりました。避難所に45戸が建設されます。

私からの報告はこれで終了です(^_^)v(土田)

【☆3=支援活動報告】残り3日、全力で頑張ります(^_^)/

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【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第1班:道本部・山木紀彦

今日は、昼勤から夜勤への交代日で、ホテル周辺を視察し、第1班以外の北海道担
当避難所を回りました。
写真は、現在の宮古市役所と山口小学校の近くの公園です。どの避難所も特色ある運営で、みんな元気で頑張ってます。残り3日、全力でがんばります。


以前玄関だけ紹介した、宮古市役所です。

今日は、昼勤から夜勤への交代日で、ホテル周辺を視察し、第1班以外の北海道担当避難所を回りました。

写真は、現在の宮古市役所と山口小学校の近くの公園です。どの避難所も特色あ
る運営で、みんな元気で頑張ってます。残り3日、全力で頑張ります。


山口小学校の近くの公園

2011年04月29日

【☆3=支援活動報告】パソコンとプリンター導入、事務処理もスピードアップ!

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【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第2班:道本部・牧野長武


4月28日
今日の山口小学校も、朝4時の新聞受け取りからスタートしました。
避難所には、岩手日報・朝日・毎日・読売・スポニチなど各社の新聞が届いています。
早起きの方々は5時前には新聞を読み始めています。
 

パソコンを打つ上川の小路さん

さて、今日の山口小は、事務局にパソコンとプリンターが入りました。
これで、事務処理もスピードアップです。早速、避難者名簿、支援物資の管理表などを作成しました。
 

日勤と夜勤の引き継ぎ

避難所の夜は、まだまだ寒いです。
昨晩までは夜勤の担当でしたが、11.23幌延デーのグッズからちょうだいしてきた「カイロ」を毎晩使用していました。次のグループの方も、ぜひ寒さ対策には気をつけてください。
 
避難所の喫煙所では、色々な話をしています。
「会社も営業しているが、仕事もないので出勤日数も少ない。日給月給だし、この収入では食っていけない。今はまだ蓄えがあるけど・・・」などの悩みも聞きました。
復興に向けて、雇用や賃金などの課題も山積みです。
 
支援行動もあと2日。最後までしっかりとがんばります!

【☆3=支援活動報告】避難所リーダーの奮闘記事が大きく取り上げられた

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【☆支援活動報告】←第1グループ
【☆2=支援活動報告】←第2グループ
【☆3=支援活動報告】←第3グループ

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第3グループ=第1班:道本部・山木紀彦


ゴールデンウィーク初日、抜けるような晴天の中で、子どもたちと外遊び、昼には鹿角町のボランティアの人たちによる「きりたんぽ鍋」の炊き出し、そして3日ほど一緒に活動していた静岡の学童保育研究員の方とお別れです。


第3グループ第1班担当の宮古小学校避難所

避難所リーダーの奮闘記事が大きく取り上げられました。

20110429sinbun1433.jpg
4月29日付毎日新聞岩手番の記事です。(クリックすると大きく表示されますが小さいです^^;)


2011年04月30日

【岩手県本部】岩手県宮古市支援団レポート

岩手県本部が作成した参加者のみなさまにむけたレポートです。

自治労復興支援活動(岩手県宮古支援団)のダウンロード

【じちろうNEWS】自然エネルギーシフトへむけ学習会

自治労本部の「じちろうNEWS]です。

「じちろうNEWS]をダウンロード

【支援活動報告】本日4月30日、第4グループ15人が出発!

本日4月30日、第4グループ15人が、指定時刻(7:15)前に全員集合し、7:45新千歳発→8:40花巻空港に到着しました。18:00頃ベースキャンプに到着します。

本グループから任務替えとなるもよう。
北海道は1班&2班がグリーンピア三陸みやこ(現在は山形・滋賀が担当)、3班は宮古第二中(現在は京都が担当)、いずれも車で移動になる…との第3グループ・山木団長からの情報です。

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