東日本大震災自治労の人的支援
2011年04月13日【☆支援活動報告】再来週から学校を再開、居住スペース移動へ
4月10日スタートした「東日本大震災」自治労復興支援活動中の北海道本部第1グループ活動報告が届きました。
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第1グループ
2011.04.12(第3日目)の報告
(クリックすると大きく表示されます)
石狩市職労の菅原さんと渡部さん。13日の24時間勤務を務めます
夜勤組の任務時間帯は20時から翌朝8:30。
3カ所の避難所(小学校)それぞれで任務内容は異なるものの、主には「夜警」の任務。
2カ所は夜中の一定時刻になると市の担当者も含めて睡眠をとれる。
残り1ヶ所は24時間体制。昨夜は、市の担当者2名が、夜勤明けでも仕事に行く(建前では休んでよいことになっているが、通常業務もあり実際には休めない者も多いようだ。)とのことで、気遣って睡眠を勧め、北海道の夜勤メンバー2人が寝ずの番をした。
現地2日目、本日(の日勤組)は、少しペースもつかめてきたのか、業務的には特に混乱はなかった。
一方で、3つの避難所は、生活の全般にわたって避難者を班編成して全て自主的に運営している所、自治会長的な役割を担う人が取り仕切る所、物資・食事のかなりの部分を自衛隊が仕切っている所といった具合で、我々が支援活動の柱とする市職員の関与のしかたもかなり異なっており、また、学校側が仕切っている所もあるなど、避難所運営のさまざまな課題や組織の枠組みを越えた連携の難しさも見えてきた。
我々の任務は、あくまでも市の業務の補助的任務にあるので、出過ぎたことをする訳にもいかず、少し歯がゆい思いをすることも増えてきたが、市職員(自治労組合員)をしっかりサポートすることに徹しようと確認しあっている。
釧路市役所ユニオンの宝力さんと阿部さんです(クリックすると大きく表示されます)
避難者とあいさつ・ことばを交わしている内に、徐々に顔見知りもできてきて話し相手になる機会も増えてきた。
悲惨としか言いようのない震災の体験・経験をした方々にどんなお見舞いのことばをかければよいのか戸惑うことも多いが、避難者の多くは「わざわざ北海道から?本当にありがとう!」と感謝のことばで逆に我々を励ましてくれる。そのことばに報いるために「頑張ろう」と気持を新たにさせてくれる。出会って2日目なのに、心が通い合うことで本当に嬉しくなる。
また、今日、旭川市内の中学校のバレー部が送ってくれた支援物資が避難所に届き、ひとしおの感慨にひたることもできた。
(現在、支援物資の受入れを中止している所も多いので、この点は留意を。)
宮古市では、再来週から学校を再開することにしており、複数の避難所では、現在避難者の居住スペースに使用している教室から、今週中に体育館に集約化する(移動する)という大きな課題・問題を抱えている。
我々は、指示に基づき移動準備(間仕切り板の設置作業)や移転の手伝いもすることになるが、震災から1カ月余り、それぞれの居住スペースでできあがった「地域コミュニティ」の変化が、避難者同士や行政とのトラブルにつながらなければよいが…と懸念している。
また、明日からは24時間勤務もスタートする。
第1グループ15人は(今のところ?)元気に任務にあたっているが、心身ともにお互い気をつけ合いながらしっかり頑張っていきたい。
(筆者の属する第1班の写真しかお届けできなかったことお許し願いたい=道本部・木村美智留)
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