2008年12月12日
基地の中の沖縄=平和の必要性伝えよう!
第二次世界大戦開戦の日である12月8日を含む、12月7~9日、全国から仲間が沖縄に集結し、2009自治労青年女性オキナワ平和の旅が開かれ。総勢39県本部、261人が集まり、北海道から青年3人、女性3人が参加した。
沖縄は第二次世界大戦において国内唯一の住民を巻き込み地上戦が行われた。戦後63年が過ぎた今も米軍優先の政策が進められるなかで、基地の中にオキナワがあるという状況だ。
オキナワの歴史と現状から、人権を踏みにじる軍隊優先の戦争の実相を学び、オキナワの歴史と反戦平和の運動を学び、日米安保条約・地位協定を盾にした基地用地の使用や、軍事訓練による生活・環境への影響、経済発展の阻害などさまざまな問題について認識を深めるため行われている。
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【画像】糸満市にある、ひめゆりの塔の前の北海道参加者。
ひめゆりの塔は、沖縄戦末期の激しい戦闘でほぼ全滅した沖縄陸軍病院第三外科壕の跡に立つ慰霊碑
初日、沖縄県本部山城副委員長から米軍基地をめぐる状況について講演を受けた。戦場さながらの軍事訓練が行われている基地のようすや、地域振興策の名のもとに多額の補助金が投じられ、それにより住民の基地反対運動が骨抜きにされていることなどが、地元の熱い声で伝えられた。
翌日からは、戦跡及び米軍基地を巡るフィールドワークが行われた。
各自の懐中電灯の明かりのみを頼りに入ったアブチラガマは、陸軍病院の分院として数百名の負傷兵と住民が避難していたところ。
全員が中に入ったところで、一斉に懐中電灯を消すと、これまで体験したことのない漆黒の闇に包まれた。それは何分経っても目が慣れることはなく、自分が目を開けているのか閉じているのかもわからないような状態。戦時中はこの状態で何ヵ月も過ごし、さらに外では爆音、なかでは負傷兵のうめき声が絶えない状況で、想像を絶する過酷さに参加者一同声を失いました。
戦時中本土決戦を阻止するための「捨て石」とされ、膨大な犠牲を出した沖縄、戦後60年以上たった現在もなお、沖縄本島の約19%を米軍基地施設が占め、県民の生活・安全に大きな被害を及ぼしている。
基地が居住地に隣接し、深夜未明を問わない戦闘機の離発着による爆音被害、いつ事故が起きるかわからないという不安など、沖縄県民は戦後ずっと基地による被害にさらされて生活している。また基地外に居住する米軍人は住民登録が不要など、国内法がことごとく米軍には適用されない無法地帯となっている沖縄。
これは沖縄だけの問題ではない。こうした蛮行を米軍に許し自国民に犠牲を強いている日本政府の姿勢に対し、私たちは強く異議を唱えていかなくてはならない。また、戦争ができる国づくりが着々と進められていることを感じ取り、平和の必要性を訴え続ける必要がある。
そのためにまずできることは、私たち参加者がこの平和の旅を通して見てきたこと、感じたことを1人でも多くの仲間に伝えていくことだ。
参加者の声は、左のメニュー「単組・組合員専用」に掲載しました。



